Bon Voyage!
ASIA AT RANDOM

WONDER ISLAND BALI with Family

バリ3日目。今日の予定はあえて白紙。

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3月29日(木)激辛バリの洗礼。

メール送信完了。

今朝も早起きして通信する。なぜかまたもメール送信できず、仕方なく他のアクセスポイントを試そうかとシンガポールやクアラルンプールを探す。そうしてようやく思い出したのは、メーラーのサーバー設定をabroad用に作っていたことだった。そうなのだ、海外や他のプロバイダからは違うSMTPサーバーに接続しないといけなかったのだ。なんでこんな基本的なことを忘れていたんだろう?

そういうわけで、無事にメールも送信。もう6時を過ぎているが、甥を起こして朝日を見に行く。母と姉がすでにいた。姪は、例によって寝ている。ヒマさえあれば寝ているのだ、こいつは。

出た、出た、朝日。

もうあたりは明るく、甥は飽きたのかトイレなのか「帰る」とあっさり部屋に戻ってしまった。もう日の出は終わったのかと思いきや、いきなり太陽が海面から顔を出した。ウワハハハ。どうやらあの甥がいないと日の出が見られるらしい。

今日の予定の相談、というか希望を聴取。もともと何のスケジュールも入れていない日なので、なんとでもなるのである。

そういうわけで、いったん部屋に戻ってから8時頃出発。ビーチを北上し、さらに歩き、もはや観光客もいない辺りまで来て左折。こないだまでは、このあたりに地元向けの屋台があったのだが・・・あった。

地元屋台にチャレンジ。

ここでは日本語はもちろん英語もほとんど通じないので、とにかくナシ・チャンプール5つと水やスプライトやテ(いちおう瓶入りの冷たい紅茶なのだが無茶苦茶甘い)などの飲み物を頼む。とりあえず、今までは誰もお腹を壊していないので大丈夫かと思ったが・・甘かった。

あまりの辛さに玉砕する者3名。10歳の甥などは顔がゆがんでいる。おなかが空いているけど、辛くて食べられない、というのは地獄の苦しみらしい。ワハハハ。と笑ってもいられないので、チキンを手で裂いて辛くないところを選ってあげる。

意外というかなんというか、この辛さになんともなかったのは71歳の母だけであった。シシトウと唐辛子を一緒に栽培して平気なだけある。私でさえ、全部食べはしたものの、大汗かいているのに。

画家の家。

たっての希望でメイヨール博物館へ。グラスボトムボートの客引きがしつこくついてきて、勝手に案内する。鷹揚にあしらっていたのだが、解説まで始めるので、「私はここは2度目なのだ」と言って引き下がってもらった。

メイヨールはベルギーの画家で、戦前にバリに住んで踊り子を妻にもらい、西洋絵画の技術を残していった。そのもと住居がこの博物館になっている。

さて、時間はまだ9時過ぎ。「グラスボトムボートに乗りたい?」と聞くと全員が「乗りたい!」。そりゃあ、聞くだけ野暮か。

船の底から海底観察。

そういうわけで交渉。一人あたり15ドル〜20ドルくらいの相場らしいのだが、5人で70ドルで手打ち。10人乗りボートを貸し切り状態で海に乗り出す。なにしろ浅瀬がずーっと続く。底のガラスから海の中を見ていると気づかないが、実は30分乗っても全然沖合に出ず、岸の近くを行きつ戻りつしているのであった。

それでも、旧日本軍の沈船や珊瑚礁が見える。群舞というわけではないが熱帯魚が行きすぎるたびに「いたっ!」「赤い魚!」「また来た!」とみんな真剣だ。


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件の客引きは「生ウニどう?」「スラガン島の海亀は?」「レンボガン島にも行けるよ」と営業に余念がないが、姉が間髪いれずに断るためについに断念。

<タンジュン・サリ>のビーチに接岸しもらい、私は支払いのドルを取りに部屋へ戻る(いやあ、現金そんなに持ち歩かないのでね)。姉と母は人質ということで岸に残る。甥と姪は早く涼しいところに行きたいらしく、部屋に駆け戻る。

ドルを持って浜に帰ると、母は客引きを質問攻めにしていた。日本語が使えれば無敵らしい。姉は「マニキュア!」というので、「そのへんにいるよ」と放置。私に値段交渉をしてほしかったらしいが、私はそのへんの相場を知らないし、だいたいサヌールあたりではファッショナブルとはいかないと思うのだ。

休憩でも気が抜けない。

昼食まで各自が勝手に過ごす。私は広いバスタブにつかってぼーっとする。甥も入りたい、というので「休戦協定」を結んで一緒に入る。姪がやって来て「お母さんは〜?」と聞くので「マニキュアしてる」と答えると、「ふう〜ん」と言って、何やら食べはじめている。

そう言えば、昨日分配されたフルーツのうちたった二つのマンゴスチンは甥と分け合ったものの、他はそのままテーブルの上に置いてある。イヤな予感がする。しかも、ときどき「あっ!」と短い叫びが聞こえる。

「キミ、パッションフルーツ食べてるだろう?」
「え〜、なんでわかるのう?」
「それも、ぽろぽろこぼしてるだろう?」
「あ〜、どうしてえ〜」
「さらに言えば、冷蔵庫から水を出して勝手に飲んでるだろう?」
「きゃ〜、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさあ〜い」

食い逃げ・飲み逃げ・汚し逃げをバスタブにつかったまま未然に防ぎ、ついでにミネラルウォーターをバスルームまで配達させて放免した。ちなみにこの姪は以前寝言で「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさあ〜い」と急に大声をあげ、姉を仰天させた前科がある。本人によれば「とりあえず先に謝る」のが当時の処世術だったらしい。不憫な娘だ。

マンゴスチンの秘密。

やっと姉が帰って来た。マニキュアに大枚はたいたらしい。甥がまたもプールをせがむので、姉が連れて行く。その間、昨日の車内でマンゴスチンを食い尽くしたのは誰かを極秘に調査するが、甥は「お母さん」と言い、姉は「こいつだよ、こいつ」と姪を指さし、姪は「え〜、おばあちゃんとお母さんだよう」と言う。なんと自分思いの家族だろう。

しかし、私は10歳の甥を密偵として姉たちのバンガローに派遣し「まだマンゴスチンあったよ」という重大情報を入手したのだ。マンゴスチンの恨みは深いのだ。

さて、実はシンガポール航空へのリコンファームは今日の5時25分までにしないといけない、とHISからのペーパーにあり、昨日から電話しているのだが、つながらないのであった。問題というか疑念は二つ、「シンガポール航空はリコンファーム不要のはずだ」「デンパサールのシンガポール航空支店は閉鎖したのではないか?」。石橋をたたいて渡るのならシンガポールまで電話して確認すべきなのだが、私はこういう間違いを書いて平気で客に渡す旅行代理店(この場合はHISだが、他も似たりよったり)にほとほとあきれ果てており、確認するまでもなくリコンファーム不要と判断してこの件は打ち切りにした。帰りのチェックインでトラブルが起きたら、そのときの話だ。

姪は昼寝、母は読書、私は仕事、姉と甥はプール。陽は燦々と照って静かな一日になりそうだ。

ランチと胃腸薬。

12時過ぎ、「ピザ食べたい!」「パスタ食べたい!」という要望にお応えしてイタリアン・レストランをめざす。<Mamma Lucia>にてめでたく自家製トッテリーニやパリパリのピザにありつく。

雨が降ってきた。甥が下痢らしいので私と一緒に帰ることになる。母、姉、姪は買い物しながら帰る、という。<タンジュン・サリ>に着き、「レモンの味がするから」と言って胃腸薬を一気に甥の口に入れて飲ませる。実はすっごく苦いのだが。

「っっげー!。おじちゃん、苦いよ!」
「おお、それは苦いレモンの味なんだよ」

と誤魔化して黙らせる。エアコンを切って甥の腹にサルンを巻いて冷えを防ぐ。たぶん、あたったというよりは、プールにつかり過ぎて腹を冷やしたのに違いない。こいつはひどい腹痛を我慢するような輩ではない。すごく痛かったらギャーギャーわめくはずだ。

姉がイカット生地の小さなリュックを買った。午後は雨が多い。バンガローのなかで怠惰に過ごす。

夜のビーチをバックにディナー。

夕食はすぐそばの<ガゼボ・コテージ>のレストランへ。ビーチ沿いに歩いて1分。ここは昨年夏に私が泊まったところで、やたら西洋人、それもファミリーが多い。奥まったテーブルに着いたため、風が来なくて蒸し暑い。それでも波音と遠い船の灯りをバックに食べるのはよいものだ。

<タンジュン・サリ>に戻ると、ティンクリックの音が聞こえた。ここのレストラン奥のステージで演奏しているようだ。フロントで聞くと、演奏してもいいという。今晩は汗をかいているので、明朝にでもやらせてもらおう。

バンガローに戻り、甥が寝静まった頃、姉が観念したらしく取り置いていたマンゴスチンを持って来た。ほうら、やっぱりあるではないか。

movie, photography and text by Takashi Kaneyama 2001


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