Bon Voyage!
ASIA AT RANDOM

WONDER ISLAND BALI with Family

2001年3月28日。今日はマデと最初のドライブ。

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3月28日(水)ないはずのドリアンを求めて。

わたし、嘘、つかない。

「6時にビーチへ行ったら朝日が見られる」と言っておいたので、信じた2名=母と姉がビーチにもう来ていた。甥と私も含めて4人で朝日を待つが、厚い雲にはばまれて空振り。それでも、早朝の人気のない浜辺で飽かず打ち寄せる波の音を聞いているのは心地よいものだ。少なくとも私は。

30分いてから引き上げ、シャワーを浴びてメール受信。しかし、またも送信をrejectされる。何が悪いんだろう?

7時半、朝食へ行くために集合。「朝日」が嘘ではないことを証明するために、PB2400で昨年夏に撮影した朝日を見せる。最近、私のことばを素直に信用する人が少ないことは非常に遺憾である。10歳の甥でさえ、「あ、イルカ!」と私が指さしても「はい、はい」と振り返りすらしない。まるでオオカミ中年のような気分だ。まあ、イルカは嘘なんだけど。

ビーチを見ながら朝食。強制的に全員がブブル・アヤム(鶏のおかゆ)。母は何を思うか「パンがいい」とのたまうのだが、トーストにベーコンエッグというアメリカンタイプが一番高価だったりするのだ。おかゆの方が3倍うまくて値段は3分の1。

ガキを黙らせる方法。

バンガローに戻る途中で図書室へ。銘々が本を借りていく。で、よく見たら甥が少年ジャンプ、姪が桜沢エリカ、姉が赤星たみこ・・・全員マンガじゃないか!

再度メール送信を試みるもまた失敗。しかも電話回線自体が不安定なので、断念。しかし、なぜかFTPはできたのだった。そういうわけで、小さなボケボケの写真で甥がインターネット・デビューを果たす。

その甥があまりにうるさく、昼寝する私にじゃれつくので、「10分黙っていたら100円やる。しゃべったら100円の罰金」というゲームを課す。テキメンで静かになった。これは使える。しかも9分過ぎについにしゃべってやんの。アホだ。

「ねえ、もう1回!」と再トライを申し出てきたので、20分に延長して許可。すると、敵もさるもの、マンガを読んで私たちの会話を聞かない作戦に出た。わっはっはっは。大変静かになった。こっちの思うツボである。20分どころか、そのままバンガローに置き去りにしてしまおうかと思ったぐらいだ。

マデと家族の初対面。

11時半、フロントから電話で「車が来ている」。マデだ! というわけで、久しぶりにマデと再会。例によって約束の2時間前、10時には来ていたのだそうだ。「2回も電話した」。いやあ、ごめん、もうひとつのバンガローで甥をからかっていたのだよ。

やがて姪がやって来た。珍しくすまなそうに「ごめん、鍵を部屋の中に入れたままドア閉めちゃった」。ケケケケ。ついに出たもうひとりのアホ。このネタであと1年くらいはイビレるってものだ。

フロントにお願いして開けてもらう手配。姉と甥はプールに行っていたのでシャワーを浴びてから仕度。なんやかんやでマデに私の家族を紹介して12時過ぎにマデの車で出発。母親思いのマデは、私の母親にも法外に親切なのだった。

「マデ、ドリアン食べたい」
「ドリアン? もう終わったよ。3月、いつもならある、でも今年早かった」
「ええ〜っ。もうないの? そうか、しょうがないなあ」

で、後部座席の面々に「もうドリアンないって」と報告すると母がポツンと「あ〜、ドリアン食べたかった」とつぶやいた。すると、

「ワタシ、ドリアンなんとか探してお母さんに食べさせてあげるよ」と、マデが態度を一変したのだ。ううむ。マデ、私には「もうない」と一蹴したくせに。さらに母がたんぼの風景に興味を示すと(単に日本に似ている、というだけだと思うが)、「じゃあ、今度はお母さんをライステラスに案内する」と約束している。私とは大違いだ。

たしかに「デパート」なのだ。

デンパサールのマタハリ・デパートの地下食堂街へ。屋台の集合街なのだが、姉が選んだのは菓子パン、甥と姪は「ケンタ!」である。インドネシアのケンタッキー・フライドチキンは味付けがスパイシーで、しかも付け合わせにライスがある。しかし、スプーンがどこにあるかわからず、私は手で食べ始めたものだから姪は「スプーン探して来る」と探索に行った。で、結局はストローを持って帰って来た。ストローでどうやって食うのだ?

相場感覚を養うべく店内を散歩。3階のCD・カセットテープ売り場で私はリンディック(スリン[竹笛]とティンクリック[竹のガムラン]の音楽)2本、姉はジャケットがきれいなガムラン音楽を2本購入。

ドリアン発見!

そして市場に行こうかと思ったが、マデが「ここ混むよ。ウブドの市場がいいね」というので、次はメングウィのタマン・アユン寺院へ。

ここはブサキについでバリで2番目に大きい寺院だが、内部には入れず外側を巡る回廊から拝観する。

そして、あったのだ、ドリアンが。駐車場に並んだ物売りのなかに果物屋があり、マデが交渉して試食開始。熟したドリアンを選んで手で割ってもらい、みんなでつまむ。


匂いもすごいが見かけと触感もちょっと気持ち悪い。

臭いけどおいしい。「臭くない」という嗅覚麻痺のヒト(とくに名は秘す)もいるが。さらにマンゴスチン、ランブータン、パッションンフルーツを5人全員が次々に試食。何を思ったか、おかわりを請求するヒトもいるが、おばさんはにこにこと皮を剥いてくれる。

そういうわけで、マンゴスチン1kgとランブータン1kgを合わせて4万ルピアで買う。おまけがたくさんついてきたところを見ると、ちょっと高めの相場なのかもしれないが、日本円で500円弱なら文句はなかろう。

笑うマデ。

次はタナ・ロット寺院へ。初めてなんだよ、とマデに言うとマデは大笑い。「バリに何回来てるの? まだタナ・ロットに行ったことないの? どうして? ガハハ」

まあ、バリに来たヒトの99%は行くという超有名スポットなのだが、私はまだだったのだ。そんなにうけるな、マデ。

定番ツアーだと夕暮れ時に行って夕日をバックにタナ・ロットの美しいシルエットを眺めるわけだが、その時分にはものすごいラッシュになるので、早めの時間帯に行くのである。マデは車の運転が好きな人の例にもれず、渋滞が大キライなのだ。

タナ・ロットは満潮時には陸と分離されて小島になる岩礁の上に立つ寺院で、干潮時のみ歩いて渡れる。寺院には観光客立ち入り禁止。このあたりの海辺も祭礼のときにお清めをする聖域なのだが悪名高いバリ州知事イダ・バグース・オカが観光開発(ホテルやらゴルフ場やら)を許可してしまったのであった。足場の悪い岩場を歩いて寺院やら砕ける波やら岩壁やらを眺める。


今回のオ−ルスター・キャスト。
(マデによる撮影)

甥は潮だまりを凝視して「カニが喧嘩してる!」と興奮していた。なぜかこいつは蛙や蟹を見つけるのは妙に得意だったりする。母は「夕日までここにいる」と言い出すが「夕日を見るなら、ちゃんと別ないいところがある」と説得して連れ出す。まだ4時前なんだぞ。

沈む夕日、巨大ロブスター。

私の立てた予定では、夕日を見ながら俗に言うジンバラン・カフェ、空港南側の西海岸でロブスターのバーベキューを食おうという魂胆なのであった。で、タナ・ロットからジンバランまではクロボカン/スミニャック/レギャン/クタとバリの「繁華街」を南下していく。次第に街並みは騒然として、車もオードバイも歩行者も路上駐車もめちゃくちゃな道を、マデはすり抜けていく。

そして5時半という絶好の時間帯に着いて、手頃な店で巨大な(2.9kg)ロブスターとホワイト・スナッパー(フエダイ)とムッセル(ハマグリ)をチョイスして焼いてもらう。


で、で、でかい。
(このお兄さんの顔も相当大きい)

目の前は海、水平線の向こうに太陽が沈んでいく。右手の空港には飛行機の離着陸風景が。近所の少年たちが浜辺でサッカーしていて、漁師なのか数人が釣り竿やら網やらで魚を漁っている。

冷たいビンタン・ビールをやっているうちに、ついに料理がやって来た。こんな大皿を前にしてこのメンバーがやっていたのはこういうことである。


一心不乱にジャガイモの皮を剥く。

夜も深まり、大型バスが大勢の団体観光客を満載して続々とやって来る。さあ、精算。どうもロブスターの単価を私はヒトケタ誤解していたようだ。5人分で約95万ルピア! しかもクレジットカード不可なのでルピア現金が足りない。仕方なく、やや低いレートだが日本円で支払う。1万と1千数百円。トホホ。それでも、円はインドネシアルピアに対しては依然強いので、昨年夏のレートよりも若干いいのだった。ややほっとする。

マンゴスチンの恨み。

夜道をサヌールまで疾駆。マデによれば、最近自家用車がものすごく増えたのだそうだ。たいていは銀行からのローンだそうだが、借金を組んでも土地や車を買うというのは、将来に希望を持っている証拠だ。インドネシアの国民が、自信を持って自分の人生・生活を設計するような社会環境が出来つつあるのかもしれない。でも、スマトラ、スラウェシ、ジャワなどの島は政治的に不安定なので、そこから静かなバリに移住する人が多いという一面もあるという。バリ人のマデに言わせると「だからいまのバリ、昔みたいに安全ではない。お金のために人殺す」ということになる。最近、バトゥブランで現地在住の日本人女性が強盗に殺害された事件があり、そんな凶悪事件など滅多にないバリ島を震撼させたばかりだ。

そういう話を私がマデとしているとき、後部座席では買ったばかりのマンゴスチンをムシャムシャと食っていたらしい。タンジュン・サリに帰ってから姉が「分配ねえ〜」と機嫌良く持ってきたマンゴスチンとランブータンの詰め合わせにはマンゴスチンが2個しかなかった。甥と分けると私には1個。なんで1kgを5人で分けてひとり1個なんじゃい!

photography and text by Takashi Kaneyama 2001


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