Bon Voyage!
ASIA AT RANDOM

WONDER ISLAND BALI with Family

2001年3月26日。何を思ったのかバリ島へと旅立つ3世代5人。

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3月26日(月)シンガポールは暑かった。

10歳から71歳まで。

・・というわけで、家族引き連れてバリ島に行くのである。

経緯はともあれ、メンバーは母71歳、姉42歳、姪16歳、甥10歳、それに私(年齢不詳)。ナイトフライトなので成田空港に午後5時集合。甥なんぞは「いつ飛行機に乗れるの?」「隣がガイジンだったらどうするの?」と興奮状態。デイパックが意外にかさばっているので、「何を入れてきたのだ?」と聞くと「ゲームボーイ全部」。どうやらすべてのソフトと予備の乾電池らしい。ああ、いったい何を考えているのやら。

なんとかチェックインを済ませて、出国手続きに向かう。X線検査で私だけひっかかり、姪と甥に笑われる。とにかく搭乗ラウンジに行き、みんなをトイレに急かし、飛行機に乗り込んでしまえばこっちの勝ちだ(←誰を相手に勝負しているのだ?)。センターだったので、窓側の席はない。母は外が見たかったらしいが、どっちにしろ夜だから離着陸のとき以外は何も見えないのだ。

そういうわけで無事にシンガポールに着いたが、途中時速200km以上の逆風のためにスピードが出ず、30分ほど遅れる。そのために、ターミナル2からターミナル1へと走るsky trainに乗りそびれてしまった。まあ、動く歩道があるのだが、深夜のためか「動いていない歩道」になっていて延々歩く。

なんでターミナル1へ移動しているかというと、トランジット・ホテルの予約がターミナル1になっちゃったからなのであった。ようやく着いてチェックインしてシャワーにありつく。シンガポールは夜でも17度、そして多湿。20分くらい歩いたくらいで、すでに大汗をかいている。

甥と同室。どうも眠れないらしく、しょうがないのでプロレス技をかけて運動させる。疲れさせるつもりだったが、はしゃいでさらに目が冴えたらしい。ううむ。どっちにしろ、5時間くらい寝たらチェックアウトしてデンパサール行きに乗り込むのだ。

3月27日(火)バリ島はもっと暑かった。

バリ島へ飛ぶ。

6時半には起きて、これからの予定を検討してメモ。引率は大変なのだ。7時半にモーニングコールがあって、45分には部屋を出る。となりの部屋に起こしに行ったら、紅茶を飲んでいた。で、なんとシャワーの出し方がわからなかったらしい。「いろいろ押したり引いたりしたんだけどさあ」って、わからなければ素直に聞きにくればいいではないのか。妙なところで負けず嫌いな姉なのであった。

因縁のsky trainに乗ってターミナル2へ。なんてことはない空中モノレールでわずか2分で到着。朝食は<FOOD BONANZA>におかゆがあったので大人はそれにして、姪はビーフン、甥は卵と何かを揚げたものをチョイス。これとフルーツジュース4種。おかゆはやっぱりうまい。甥の頼んだ「何か」は、どうもゼリー状の面妖なヤツ。揚げてあるので見た目は肉みたいなのだが、食べて見れば妙に腰のあるムースみたいな食感。なんだろう?(後日、姉によれば「飛行機のなかで出たradishcakeと同じ」だそうだ)。

搭乗待合室の一番搭乗口に近いところで待っていたら、係員が手招きして最初に乗せてくれた。子ども連れは優先してくれるらしい。こんなガキでも役に立つことはあるものだ。今度は横並び5席なので、母を窓側に座らせたら、最初から最後まで窓にかじりついていた。まあ、静かだったからよかったんだけど。

<タンジュン・サリ>へ。

そしてバリに着いた。湿った暑い風。イミグレの行列がなかなか進まない。また賄賂せびりかと思ったら、係官は黙ってひとりひとりのパスポートをスキャンし、メモし、スタンプしてサインしてと作業量が無茶苦茶多い入国手続きで、5人分で7分もかかった(手動計時)。結局質問はなんにもなし、リターンチケットも提示不要だった。チェックイン・ラゲージをピックアップし、カスタムの職員に申告書を渡して出口で出迎えを見つけてひと安心。

ウタマーという日本語を話すガイドの案内でサヌールにエアコン付きワゴン車で向かう。今回のホテル手配を依頼したTRILOKA CANDRAでVINCENSに再会。クレジットカードだと4%の手数料が発生するのだが、多額の現金を引き落とす術がないのでカードで支払う。員数分の帽子と扇子をひとつ「プレゼント」と言ってくれた。といってもBTC(BALI TRILOKA CANDRA」のロゴ入りだったが。

空が見える風呂。

そして<タンジュン・サリ>。ヴィレッジ・バンガロー2棟を5人で占有する。ここでは標準の部屋だが、3人は寝られそうなダブルベッドと寝ようと思えば2人は寝られる大きなコーナーソファ、テーブルに机にミニバーにクローゼットに・・・と設備はなかなか。出色は屋外に全面ガラスで面したバスタブで、寝そべると空が見える。

ソレとは別に屋外にシャワー、庭に昼寝用の東屋。

それぞれのバンガローはうまく仕切られているのでプライベートな感覚でくつろげる。

ウェルカム・フルーツとウェルカム・ドリンク。よく冷えたドリンクが嬉しい。メッセージカードに「Mr. and Mrs. KANEYAMA」とあるのが笑えたが。まあ、たしかに母はMrs. KANEYAMAなんだが。

姪の要望で某掲示板に接続、姉の要望でメール。しかしスピードが出ない。2回目はメールを送ることができずに切れてしまった。経験上、午後のビジネスアワーはバリの電話回線はつながりにくいので、翌日早朝に再トライすることにする。

周辺を探検。

で、3時からジャラン・ジャラン(散歩)。浜辺を北上し、メインロードに折れて南下、スーパーマーケットを偵察し、私はATMでルピアの現金を補給。姉に軍資金として30万ルピアを支給する。なんかスコールがきそうだったので、海辺への道を探して浜沿いに北上して帰還。私にとっては足慣らし程度だったのだが、他の4人は「疲れた」「早くホテルに帰りたい」「マッサージ!」「道に迷ったんじゃないのー」とだらしないことこの上ない。たった6km、1時間45分のウォーキングなのに。

まあ、たしかに1回は道を間違えたけどさ。極めつけはホテル内で道を間違えた。ううむ。言い訳にならん。甥は「プール。プール! プウー〜ルウー〜ッ〜」とわめくので、姉に連れていってもらう。私はバスタブにお湯を張りつつ、撮影した写真を取り込み、ファイルネームを書き換えていく。もういいだろうとお湯に足を突っ込んだら熱湯だった。ひいい。なんとか水で埋めて適温にしてからゆっくり横たわる。そんないい気持ちのところに甥が帰ってきた。「一緒に入るか?」と聞いたら「いい」とむげに断る。「可愛がってあげるぞ」と迫ったら「そういって、いつもいじめるじゃん」と可愛げのない答えをする。むむむむ。ようやく学習能力が身に付いたようだ。

ディナーは浜辺で。

6時過ぎに集合して「早くごはん食べたい!」という点で全員一致したので、ホテル内のレストランへ。ビーチから少し奥まったあたりに5人分のテーブルをしつらえてもらう。「こんばんは」「晩御飯のメニューです」と片言ながら日本語で話す、愛想のいいウェイターなのだが、そのメニューは全部英語で書かれているのであった。わはははは。そういうわけで、全権委任されて注文する。LARGE BINTANGは基本として、辛いモノを極力避けていろいろ頼む。「ありがとうは『テリマカシ』だよ」と、基本の挨拶を仕込もうとするが、全員やる気がない。困ったものだ。

絶品だったのはイカン・ペペス。魚のすり身を香辛料と混ぜてバナナの葉で包んで蒸し焼きにしたもので、通常は激辛なのだが、ここのものはピリ辛くらいで好評。ポーク・サテ(豚の串焼き)は炭火つきで供されて、これも美味。ナシ・ゴレンはスペシャルなことにチキンもも肉、海老、焼き鳥、揚げバナナ、サラダなどなどがついてくる。デザートにココナツパイ、コピ・バリでしめて満足して夜道を帰る。といってもホテルの敷地内だが。

まだ夜は8時前というのに、満ち足りた気持ちでベッドに入る。というか、みんなは歩いて疲れ果てたところに腹一杯食べて眠いらしい。静かな夜、波の寄せる音、小鳥たち、木々の葉のざわめき。しかし、雲が厚くて星が見えない。

photography and text by Takashi Kaneyama 2001


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