啓明情報(ホームページ)へバック
思索と創造(導入)へバック


もくじ第2部(7〜12)

〔第2部の内容〕7。相対性理論の時間観─アインシュタインの場合をめぐって 8.科学的な自然観への異議申し立て─ベルクソンの世界把握 9.混沌をめぐって(1)─荘子の「混沌」について 10混沌をめぐって─科学における混沌(カオス) 11.回帰する時間─ニーチェの「永劫回帰」 12.時すでにこれ有なり─道元の「時間」について 

第3部(13〜16) へ ジャンプ

〔第3部の内容〕13.飛ぶ矢は飛ばず─ゼノンのパラドックス 14.距離の無限分割は認められるか─実在のかくされた性質をめぐって 15.時間の無限分割は可能か─時間は空間の性質に依存する 16.[補足]新しい定量化の試みを─「変化」推移の定量化

第1部(1〜6) へ ジャンプ

〔第1部の内容〕1.「ゾウの時間 ネズミの時間」 2。空飛ぶ眠り姫の居城  3。計測される時間  4.先人たちの時間観(1)─アリストテレスの時間観  5.先人たちの時間観(2)─ニュートンとライプニッツ  6.先人たちの時間観(3)─カントのコペルニクス的転回

 

第2部

          時間論はまがりくねった迷路のようだ。
           ほんのちょっとばかりと“伸び縮み”する時間への小さな旅のつ
          もりが,いざ歩きはじめてみると,その道程のあまりに遠く果てし
          ないのにいまさらのように驚く。人の道行きに巨岳のように立ちは
          だかり,人を峻拒する“時間”。だからこそ,古来多くの先哲たち
          が知恵の斧を研ぎすませて,立ち向かって行ったのだろう。
           確かに時間への問いは,深くそして重い。しかし,謎解きのスリ
          ル感もある。そして難渋しながら屈折して進む道行きの,暗い森の
          外れに,開けゆく景色の明りがほの見えてきたようである。

※※

7.相対性理論の時間観

─アインシュタインの場合をめぐって─

 アリストテレス的自然観をのりこえた,自然についての近代的見方を打ち立てたのがニュートンであり,その不変・一様な空間・時間観を,もう一度逆転・変更させたのが,言わずもがな,相対性理論で名高い天才アルバート・アインシュタイン(ユダヤ系ドイツ人,ナチスに追われて渡米,のちアメリカ市民権;1879〜1955)その人である。

※ アインシュタインは,光量子説(これでノーベル賞を得た)の発表(1905年)まで,ほとんど無名であり,目立たない凡庸な人としてしか遇されていなかった。若いころの彼は,どちらかといえば“落ちこぼれ組”の一人と見なされる状況にあった。(天才が世に現れるのは,だいたいこうした不遇で目立たない経過をたどることが多いようだ。一般的に言って,人はしばしば同時代の人の業績を見誤るし,その傑出ぶりを認めたがらない傾向をもつ。)

 地面に立ってボールを投げる(そのときの速さv1)。次にその同じ人が,車や列車などの動いている運動体(速度v2)の上から,先と同じ強さでボールを投げると,手から離れた瞬間のボールの速さ(v)は,投げたボールの速さ(v1)に運動体のもつ速さ(v2)が加わった速さ(v1v2)となる。このことは,ごくありふれた事実である(ニュートン力学における事実)。
 同様に,動いているのが,飛行機であれロケットであれ,そこから撃ち出された弾丸の速さは,地面から発射されるときの弾丸の速度に,飛行機やロケットの速さが加わったものとなる。
 ところで,これらの例にあげたボールや弾丸の代わりに「光」を置き換えてみると,事情は一変する。地上で発せられた「光」の速さも,空飛ぶ飛行機やロケットから発せられた「光」の速さも(別々の座標系から発せられた光であるにもかかわらず,その速さは)光が発せられた方向のちがいとは無関係に,まったく同じ秒速30万キロ(299,792,458メートル)である。かりに光の速度に近い速度で走っている人が手にもつ光源から出た光であっても,それは地上に止まっている人がもつ光源から出される光とまったく同じ速度をもつ!
 実は,当時の科学者のだれもが,異なる座標系から発せられた光の速度は当然にちがうと信じていたのである。アインシュタインは「光の速さは,方向によらず,また異なった座標系の上においても,常に一定である」(すなわち,光速度一定の原理)と措定するところから,(特殊)相対性理論を構築したのであった。

※ ここで,比喩的に,救急車のサイレンの音を思い浮かべてみよう。救急車が近づいてくるときは,サイレンの音はかん高くなり,通りすぎた途端に低い音に変わる(これはドップラー効果による現象である)。しかし,救急車が通り過ぎる前後のサイレンの「音の速さ」には変化はない(変化があるのは波長あるいは振動数である)。その質量がゼロとされる光は「波」の性質をもつ。その反面で,光は「1個ずつの粒子の集まり」とも観測される。〔奇妙に思われることではあるが,光は波と粒子との相違反する両面の性質をもつ。〕
 光速度が不変ということに関して‥‥実は,相対性理論では,長さや時間は惰性系(座標系)ごとにきまった量であるので,動いている別の慣性系(座標系)では,長さや時間はちがう値をとる。座標系が異なる場合には,単位時間とその間に進む距離の双方の測り方に差がある‥‥という点に問題がひそんでいたのでる。
※ 運動する物体のもつエネルギーE と質量m,そして光速度c の関係は
                E = mccm×c の自乗〕 
で表わされる。このとき運動体の速度v が光速度にくらべてじゅうぶんに小さい(地上で観測されるほとんどの運動体の速度は,光速度にくらべて,けたちがいに小さい)場合には,速度v の運動体のエネルギーは,ニュートン力学における場合(の運動エネルギー)とほぼ等しい値をとる。〔運動体の速度が(光速度にくらべて)おそいときは,このように相対性理論とニュートン力学との差がほとんどなくなる。すなわち,ほとんどの場合に,ニュートン力学が通用が通用する!〕

                *
 相対性理論は空間(3次元)と時間(1次元)をまったく対等に扱って,空間と時間を一体の「時空」(4次元の時間空間)ととらえることで,物理学のブレークスルー(一大変革)を成し遂げたのであった。
 アインシュタインはさらに,この(特殊)相対性理論を「重力」の範囲にまで拡張して,「一般」相対性理論(1915年)を唱えた。
 次の状況を想像してみよう。
 綱がきれて落下するエレベーターの中にある現象と,重力の働かないところに置かれたエレベーターの中における現象とは,区別できない(綱がきれて落下するエレベーターの中では,ちょうど重力の影響が打ち消されている宇宙空間での人工衛星の中におけるのと同様である)。
 重力のある場(質量の大きな物体の近くの時空)には,歪みが生じていると考える。重力の強さは時空(4次元の時間空間)の歪みの度合だとする考えである。(この歪みが大きくなった極端な状態が,ブラックホールの近傍‥‥ということになる。)
 ボールを水平に投げると,ボールは地球の重力に引っぱられて,下方にカーブを描いて落ちる。これと同様に,水平に投ぜられた光は,重力によって(重力をもつ物体の周囲の時空の歪みに沿って)その道筋を曲げる。‥‥このようにアインシュタインが示した予言は,その予言の4年後(1919年)に「皆既日食のとき,太陽の近くを通る光線の進路が曲がっていることが確認されて」その説の正しさが証明された。〔ちなみに,いまや一般相対性理論は,宇宙の誕生・生成と成長・発展の姿を探るのに欠かせない理論となっている。なお,時空に歪みがないとき,言い換えれば,重力の影響を考えないでよい場合には,一般相対論は特殊相対論と一致する。〕
                *
 相対性理論における空間・時間(時空)は,ニュートン力学(物理学)における空間・時間の概念を大きく拡張(むしろ変質)させたのである。逆に言えば,相対性理論の特殊な場における理論がニュートン力学の世界である,とも言える。
 この際に言及しておきたいのは,相対性理論においてもニュートン力学においても,時間の方向(未来への正の方向と,過去への負の方向と)はまったく等価である,ということである。計算式の運用上は,時間の正負は,ちょうど鏡面にたいしてまったく対称な事象であるかのように扱われる(扱える)ということである。
 ここでは時間の(正負の)向きは,計算上の都合としてのみ扱われる(等価値である)。〔このような事情から,自然・現象の変化にともなう「時間の矢」の向きが問題となってくる。〕

8.科学的な自然観への異議申し立て

─ベルクソンの世界把握─

 数学的手法を基礎にすえた物理学的方法が,自然と世界に関する知見を急速に変革させつつある風潮に対し,「科学は自然を知るために“万能ではない”,科学の視点(方法)を通しての自然観は,あくまでも相対的なものにすぎない」―と,科学的自然観の“行き過ぎ”に対し,あえて異議申し立てをおこなったのが,ベルクソン(フランス,1859〜1941)である。
 科学の方法は「分析」を通して自然をとらえることにある。分析による方法は「生々として躍動してやまない自然」を静止の相(状態)においてとらえることである。分析は概念を操作する(用いる)ことによってのみ,働かせうる。概念とは事物・現象に命名する,その結果にほかならない。観測される(見えてくる)現象や事物に「ことば」を与えることによって,自然(現象・事物)を「その動きを止めた状態で」とらえるのが,自然科学の方法である。こうして「科学」は事物と事物の関係をとらえて,それを記号(概念)によって記述する。外からの自然の認識は,現象・事物に記号を与えて,記号の間の関係を明らかにするのみである。このような方法による認識は,いくら対象の真の姿をとらえたと称してはみても,いわば対象の「影」の形を見ているにすぎない。そのとき,哲学すなわちものの本質をとらえるための形而上学が,ものの真の姿,真の実在を知るための学問として登場する。
 では,そのとき哲学(形而上学)は,いかようにして真の実在をとらえようとするのか。それは分析を通してではない。ではどのように?
 ベルクソンは真の実在を知るのは「直観」によってのみだ,という。
 私が腕を上げる。私はそれを知っている。腕を上げたその動きを外から(自然科学の目で)見て,「腕が上がった」その事実を記述することはできる。しかしそれは,あくまで“動いている”相においてではなく,分析という(動きを静止の相においてしか記述しえない)方法によって,「概然的に」しか記述することができない。
 科学が自然をとらえる仕方は,このようにことば(および記号)によって,現象を分節的に区分けし命名することを通して,「概然的に」(およそ,そのようなこととして)知ることにすぎない,とベルクソンは言う。
 ベルクソンにおいて,直観こそが事実と合一する方法である。直観によってのみ事実の本質に触れることができる。存在の本質は,直観すなわち意識に直接に与えられる仕方によってのみとらえられる。
 では,直観がとらえる実在の真の姿とは何か。
 自然(現象・事物)を知るための科学的認識は,変化を,事物の広がりを量的に把握するのに対し,直接に内観される(意識に直接与えられる,直観される)当のものは量的なものではなく,質的なものである。
 ちなみに,科学的認識は「流れる時間」を「時計」によって量的に記述する。しかし,そこで計量される時間は,実は(人によって作られた構造物である)時計の針の指し示す「空間」の位置の差を量的に記述するにとどまる。したがって,時計の指し示すものは,直接に流れる時間ではない。これは「時計に時間はない」ということでもある。流れた時間の跡付けである「時計の時間」は,真の時間ではなく「空間」にすぎない。
 このように空間的なものとまったく区別されるものが「時間」であり,ベルクソンはそれを「純粋持続」と名づける(それは「意識(純粋意識)」でもある)。
 見える現象の内側にあって,いまも(明日へと)常に流動しつつある「持続(デュレ)」。分割しえない(一)持続は,人の目にさまざまな現象・事物(多)となって現出する。現実に生き,生活を営むわれわれ(人)にとって,意識は(ごく当然に)身体に結び付いており,そこで時間は空間と一つになっている(時間と空間はウラ・ハラの関係にある)。その意識が(直観を通して)真の実在である持続(流れる時間)と合一する(理解に達する)。われわれは直観によってのみ一つの連続した流動,「持続」すなわち流れる実在に触れることができる。
 実在として把握しうるのは,“時間のうちを流れる(身体をもつ)われわれ自身の人格であり,持続しているわれわれの自我である。”
                *
 「直観によって」「直観によってのみ」真の実在をとらえうるとする,この「反」科学的ともいうべき世界把握の仕方は,しかし,概念を用いることなしには,したがって「分析の言語」によってしか,他に伝達する手段をもたない,というジレンマをもつ。「直観によって」知られたことの他への伝達は,ことば(概念)を通してしか実現できない,という宿命を負っているからである。人はことばを用いて,すなわち「分析」によって事物・現象の細部を知り,総合することによって(分析を捨てて)その全体を把握する。それが認識というものだろう。
 なるほど「直観」によって事物に触れる。しかしそこには未だ「ことば」はなく,「感じられたまま」にすぎないのではないか。感じられたことに,ことばを与えることによって,いやむしろ,ことばを用いるその動きのなかにおいて(知覚を通すその瞬間に)考える・思考することが可能となる,といえる。そしてここにこそ,分析を手段とし,記号を用いることによって展開される(間接的に知覚する手段を提供する)科学的方法の存在理由が見いだされる。
 その科学的認識は(直観によって真の実在に触れる,といった)直接的知覚的な認識ではないにしても,さらに概然的知識にほかならないとしても,その認識を極限へと収斂させることによって,真実の影へ,その本質の外形へと迫ることができる。
 それこそ,自然科学的世界観が成立しうる条件であるし,自然科学的認知の助けをかりて,人が日常の生活をまっとうしうる,ということにほかならない。

9.混沌をめぐって(1)

─荘子の「混沌」について─

 いまをさかのぼる2千3〜5百年もの昔,「春秋」時代に続く「戦国」時代(紀元前480〜222年)の中国では諸子百家が栄え,いわゆる「哲学」の黄金時代であった。孔子(前551〜前479年)を始祖とし“思想界の保守本流”ともいうべき儒家の思想は,「焚書・坑儒」の秦の時代(BC221〜206年),それに続く漢(前漢BC202〜AD8;後漢25〜220)国家成立を迎えて大いに発展し,やがて他の諸流を圧倒して,為政者に尊ばれ,長らく堂々たる学問の王座を占めてきた。それに比して,老子・荘子を中核とする道家の学派は,いかにも日陰者のように,地味で目立たない中にあって,生活に疲れた庶民たちをひそやかに勇気づけながら,いつまでも途絶えることなく,脈々とその思想の水脈を保ってきたかに見える。
 その“無為にして自然”をよしとし,永遠に変わらず名付けえぬ「道」を唱えた,その道家の始祖とされる老子の生死は,しかし,一向に定かではなく,架空の人ともいい,あるいは3人の「老子」が実在したのだともいう。
 荘子(そうじ)も,生没年不明でありながら,(『史記』に見えるように)紀元前300年代の人であろうと思われる。“政治”といった血生臭さいことから遠くへ隔たったかに見えて,なお政治への関心がほの見える老子に比べ,荘子にはもはや政治的な関わりへの影すらも認めることができないように思われる。その思想は,苦難に満ちて作為の多い世俗から離れて,区々たる対立の渦巻く世相を超えた“無為自然”に生きる(遊ぶ)のを尊しとするもののようである。
 そして「すべて,物事のなりゆきのままに身をのせて,心を労することなく自由に遊ばせ,やむにやまれぬ必然の運命のままに身をゆだねて,自然のままの中正の道を養うようにすれば,それが最上の道である」(『荘子』内篇4「人間世篇」10;森三樹三郎訳)と,運命に身をまかせよと説く。
              *
 その『荘子』(内篇7「応帝王篇」)に,有名な“渾沌(混沌)”の説話がある。 
 「中央の帝(渾沌)にたいへんなもてなしをうけた南海の帝(しゅく)と北海の帝(忽;こつ)」とは,その好意に報いるべく,目・鼻・口がない渾沌の不便さを助けてやろうとして,その顔に毎日一つずつ穴を開けてあげた。ところが(なんと!!)7日めになって渾沌は死んでしまった。‥‥」(ちなみに,二人の帝の名の“しゅく・忽”とも,漢字で“すばやい・たちまち”の意という。)
 生きるのに便利な目鼻をつけてやって一安心と思ったその相手(渾沌)が死んでしまった。あらためて言うまでもなく,ここでの「渾沌(混沌)」は“自然の姿”であり,それに目鼻をつける(秩序づけをする)と自然本来の姿が失われる‥‥という寓意が込められている。倨傲にも“人間は自然と峻別されるべき存在,人間こそ自然を統御する存在(自然の支配者としての人間)”である‥‥などという現代での通念とは正反対に,荘子の世界には,「自然のささやかな一部にすぎない人間よ,おごるなかれ」の思想が貫かれていると言ってよい。
 人間の恣意(しい)にまかせて,自然を加工し続けるその果てに,人間を生み育ててきたはずの自然は,その生命を断ち切られていく。荘子の説話は,すでに2千数百年前に,公害列島日本の現実の姿を予告したかのような重い響きをもつ。
 ここで「時間」のことにひきつけて言えば,もはや「時間」への執着は失われている。日が西に沈めば,明日にはまた東から上って,新しい一日が確実にやって来る。このとき失われ行く時は,確実に再生されてくる「再帰する時」である。ここには,直線状に進んで再び帰らないという「時」へのこだわりは,さらさらないかのうようである。

※ 現在,みずからの手で自分が住む環境を“公害の濃縮地”となしつつある日本を含む先進諸国,そして,その先進諸国に富を収奪された上に,公害環境を強制輸入させられている低開発国の惨々たる姿がある。ここで「時間」は,地球上の,生命維持に不可欠な資源を「加速的に劣化させていく方向に」突進し続けている。

10.混沌をめぐって(2)

─科学における混沌(カオス)─

 「混沌」というのは,“はっきりしない,ぼんやりとぼやけて見える”事象のことである。あるいは“秩序をもたない”状態である。いろいろな事柄が,同時にまぜこぜに発生していて,その状態を一言で説明することが困難な事態である。要するに,ごちゃごちゃとしていて何がなんだかはっきりしない。科学のことばで記せば,定量的にきちんと数量化されえない状態(たとえば,時間t の経過後の状態を数値的に予測しえない,などのこと)を指す。
 天気予報ということがある。
 「明日の天気は,晴れまたは曇り,雨が降るかもしれません」では“起こりえるすべて”を言ったのと同じで,予報の体をなさない。近年では,気象観測衛星までが近宇宙空間に打ち上げられ,それこそ地上から‥‥海上から‥‥宇宙空間から‥‥と,アメダス(AMeDAS)などといって気象庁が日本全国に観測点を張り巡らせた地域気象観測網に加えて,世界的な気象ネットワークで気象関連情報網からの“精密で科学的な”データが毎日,休むことなく刻々と集められ,天気予報の精度は格段に上がってきたと言われてはきた。そしてその的中率は,終戦直後の7割前後から最近では8割前後にも達した,とも言われる。
 しかし,傘を持って出たのに予報どおりの雨は降らず,そのため傘を置き忘れてしまった‥‥,今日は晴れの予報なのに無残なドシャ降りだった‥‥などと,天気予報についての不満は後を絶たない。〔“アメダスだか雨ですだか”知らないが,こんなことなら機械に頼らぬ漁師の勘(理屈抜きの総合判断)の方がよっぽどすぐれている‥‥,「朝焼けならやがて雨が降る;夕焼けなら明日は晴れだ」くらいの方がよっぽどましだ‥‥などのボヤキが洩れて来ようというものだ。個人的な感想では,最近の天気予報はますます細分化・局地情報化されてきているのに反比例して,予報の的中率はむしろ下落しているのではないかという印象を強くもつが,どうだろうか。〕
 江戸時代でのこと‥‥,“本職のほかに”天気予報をやらされていた天文台の予報より,天文台の近くに住んでいた浪人の予報がよくあたる,というので評判だった。係官が不思議に思って調べると,「その浪人は汚い下着をいつも着たきり雀で,下着の湿り具合をもとに天気予報をおこなっていた」という(新田次郎『梅雨将軍信長』;木村龍治「天気はどこまで予測できるか」による)。
 近年,科学が進むにつれて“天気の変化を支配する法則”めいたものがかなりはっきりとつかまえられてきた。天気を左右する大気の構造や,地球と共に流動する大気の“流体としての変化”の状況が,かなりの確度をもって理解されるようになってきたのである。しかし,大局的大づかみな形で理解できても,ちょっとした何かのキッカケがもとで,数時間後には,当初に予測された空気の状態が,予測とはまったきかけ離れたものとなる‥‥というのは,しばしば起こることのようである。
 たとえば:―
 太陽のまわりを地球が回っている。その地球のまわりを月が回っている。何かの原因である時ふらふらと地球と月の間にただよってきた小さな石ころほどの小惑星が,地球と月と太陽との引力の複雑な作用を受けて,わが地球大気圏にはまりこんできた。それが,赤道付近の海中に激しく突進してきて,付近の空気をかき乱した。(そのことにはどの国の予報官も気が付いていなかった。)時ならずして起こった温度分布の変化,そして大気の惑乱は,つぎつぎに思いがけない変化を引き起こしていて,それらの変化が観測値として気象データに書き加えられるようになったときには,すでに大規模な気象変動にまで達しはじめており,通常の季節にしてはいささか早すぎる台風の発達をうながしていた。
 これは架空のモデルではなく,気象変化の予測というレベルでは,常にありえる事態だという。(だから,そんなに予報技術が発達しても,天気予報が100%あたるということは,はるか未来までありえない!?)
              *
 一つの方程式(微分方程式)がある。その方程式に条件を与えて,式が出す答え(解)を空間上の点として描いていくと,空間を一定の範囲でぐるぐると回り続ける曲線が現れてくる。それはたとえばチョウが飛びながら,左右の羽根を微妙にうち震わせているように見える。右回りし左回りして,もとの出発点の「近く」に帰って来ながら回転し続ける曲線(作図のもとである方程式の解としての点)の軌跡は,ランダム(不規則)でありながら,大枠としては,ある範囲内での「似た」軌跡を増幅させ続ける。

※〔この項は,ルエール『偶然とカオス』,大野乾『大いなる仮設』,高橋陽一郎「混沌の数理」などに負っている。〕
 もともとはローレンツという気象学者が,大気の循環モデルとして提唱した微分方程式で,「なぜ天気予報があたらないか」を説明しようとしたものだそうである。微分方程式に初期条件としてデータを全部与えてやると,その方程式が描く空間軌道は未来永劫に決まってしまう(決定論的)‥‥というのだが,実際にグラフを描いてみると,チョウが左右の羽根をバタバタと動かすような(周期的ではあるが)ランダムな(非決定論的)軌跡をとる。

 そして,ほんのわずかばかりの初期条件がかわったばかりに,その方程式の(解の)描く軌道は,大きくちがったものになってくる。そして,こうしたことは,たとえば大気への局部的な惑乱が,巨大な気象条件への差となって結果する,‥‥ということにも通じる。
 ここでいう性質(決定論的非決定性!)は,数学的・物理的カオス(混沌)と呼ばれているものであって,周期性(すなわち秩序)を示しながら,再帰するその軌跡を予測しえない(秩序の中の非決定性;混沌)という特徴をもつ。言ってみれば「混沌の中に秩序あり」(大野)であるが,同時に「秩序と見えるその実体は混沌である」ということにもなる。
※ ある時刻におけるある位置での(理論的に予測されうる)状態が,時間が経過していくにつれて,変化する位置の予測は,次第に,かつ急激に(指数関数的に)困難さを増し,そしてついに不可能となる。そういった場合,それはカオスと呼ばれる。

11.回帰する時間

─ニーチェの「永劫回帰」─

 ヨーロッパ世界を実に2000年近くも,その倫理的思想を核心において支えてきたキリスト教的(博愛を振りかざす)倫理観を否定し,強者の強い意思を中核として自立主義の思想を唱えたフリードリヒ・ニーチェ(ドイツ,1844〜1900)。その論理的というよりは,むしろ詩的・芸術的な思想ともいうべく,ダイナミック(躍動的)に情感あふれる「超人」とそれに連なる「権力への意志」の考えを宣揚したニーチェの思想に,戦前のファシズムが(そして,20世紀最大の思想家とも称される,ナチス党員であった思想家ハイデガーが)共感したのも,当然の成り行きであったろうか。
 はじめての道を歩く。生まれて始めての体験であるのは確実であるのに,“すでに自分は以前にこの道を歩き,この風景を見た”という思いにとらわれることがある。そのことをデジャビュ(既視感という。)
 ニーチェは,その主著ともいうべき『ツアラツトゥストラはこう語った』の中で,超人を志向するツアラトゥストラのことばとして「すべて歩むことができるものは,すでにこの道を歩んだことがあるのではないか。すべて起こりうることは,すでに一度起こったことがあるのではないか,この道を通りすぎたことがあるのではないか」と述べる(手塚富雄訳;引用は以下も同じ)。これは,おそらくニーチェのデジャビュ体験にもとづくものであろうし,彼のこのことばから,――過去の事象(ことに人の体験)は,永遠の彼方において回帰し再現される‥‥という「永劫回帰」の思念がつむぎだされていく。「われわれは永劫に再来する定めを負うているのではないか。」こう言いながら,ツアラトゥストラは言いようのない恐怖にとらわれる。
 「一切は行き,一切は帰る。存在の車輪は永遠にまわっている。一切は死んでゆく,一切はふたたび花咲く。存在の年は永遠にめぐっている。」「一瞬一瞬に存在は始まる。」そして「わたしは,永遠にくりかえして,同一のこの生に帰ってくるのだ。」そしてさらに「悦楽はあまりに富んでいるがゆえに,苦痛を渇望する。地獄を,憎悪を,屈辱を,不具を,一口にいえば世界を渇望する。」「悦楽はすべてのことが永遠ならんことを欲するのだ,深い深い永遠を欲するのだ。」
 このように語るツアラトゥストラの姿を思うとき,たとえばブッダの樹下の瞑想の姿勢に思い至るだろう。とはいえ,人生の諸相を深い静寂の中に諦観しようとする後者の姿に対して,“苦痛を永遠の悦楽に転換することを欲する”かにみえる前者の姿がある。そこには,りんりんと湧き出る力を自覚しつつ,「苦楽はまた一つの悦楽なのだ。呪はまた一つの祝福なのだ」と,真理の高みに達した者には,苦痛も悦楽も同じ境地にほかならぬと宣揚する響きがある。
              *
 宿業(しゅくごう)に閉ざされた凡愚の“生”は,過去から現在へ,そして未来へと輪廻転生(りんねてんせい)の永い道程を歩む,あるいは死に,かつ生まれ,生死の流転の中にあって止まることがない。この古代の(バラモン教・ヒンズー教に共通する)循環する思念を絶つその先に,永遠の悟りの状態である解脱の境地“涅槃(ねはん)”がおとずれるという〔それは,永遠の静寂,すなわち一切の“執着”の消え去った“死”の世界である〕。そして,そこには,世界の中に生起するもろもろの事物はそれ自体としては独立はせずに,すべての事象連鎖の中に仮の存在の姿を留めている――とする“縁起”の思念が見えかくれしている。
 ここで以上のようなインド的思念に触れたのは,ニーチェの思想との間に関連あるいは近親性がある,との思いがあるからである。
 ニーチェが永劫回帰の思想にたどりついたのは,まずデジャビュの体験があったからと想像される。そして,ギリシア的古典の英知をすでに自家薬籠中のものとしており,一方で,インド的な思惟に触れて自らは仏教学徒とも称していたというショペンハウアー(1788〜1860)に傾倒して触発されたであろうインド的思惟や仏教への関心‥‥といったことが背景にあったものと思われる。
              *
 それまでに自分自身が深く包み込まれていたキリスト教的倫理の思想を弱者の論理と退け,「神は死んだ」と叫んだニーチェ。
 ここで論点を「時間」の周辺にひきもどすと,ニーチェにとって‥‥天地創造の開闢以来,すなわち時間座標の原点(ゼロ点)から直線的に過去から未来へと流れて,終局あるいはカタストロフ(最後の審判)へと突き進んでいく「キリスト教的」時間とは絶縁して‥‥「永劫に回帰する」時間へと思念の歩みを移したことは,あまりにも自然の成り行きだといってよいだろう。
 いやむしろ,こう言うべきかもしれない――作為を捨て,自然に湧き出ずる情念に身をまかせられる人がたどりつく時間観は,まず「回帰する時間」にほかならない,と。そして,論理を武器として伝統的思惟を突き破り切り開いて,進んでいったかに見えるニーチェではあるが,しかし,その実,彼こそはあまりにも詩人の魂の持ち主であり,情感の人であった,と。

※ 世紀をはるかにさかのぼる古代,‥‥ギリシア(それに続くローマ),そしてオリエント,インド,中国において‥‥,人々が生活のリズムとし,よりどころとしたのは,1日を単位として巡り再帰する星座の動きであり,季節の歩みであったろう。〔どこの地域においても,回帰する太陽が,天空ををそして現世を支配する「神」たりえたのは,ごく自然の成り行きであった。〕
 単に「ヒト」の意識のレベルにとどまらず,自然界におけるほとんどすべての生物の体内に見い出される「日周リズム」あるいは「体内リズム」の存在‥‥といったことからも,「回帰する時間」は(当然に「ヒトの意識」といった狭い枠組みを超えて)議論の余地なく生命の現象と深く結び付いていると指摘される。
 人々のイメージとしては,まず「時間は再帰する」ことが初めにあって,人間の知恵による加工・変形の形が「時間は永遠に直進し続ける」との想念であるにちがいない。

12.時すでにこれ有なり

─道元の「時間」について─

 鎌倉時代の初期の人で,日本禅宗の一つである曹洞宗の開租である道元(どうげん,1200〜1253)が,“正しい教え”としての仏法を広めるために記した「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」は,日本での独自の思想の地平を切り開いた“独創的な思想”の書と評価される反面,その“難解さ”においてあまりに有名である。さらに,道元が少しずつ思想の布を織るように吐き出していくそのことが,只管打座(しかんたざ;ひたすらに座禅すること)の実践を通して,“心だけが思量するのではない”いわば“心身一体で思量する”結果の産物として,思想がつむぎだされていく‥‥という特異さが,なおさら彼の思惟に人を近づきがたくさせている趣きがある。〔しかし,そのような外貌は,思想の本質とはあまり関係はない。一つの思想を知るには,語られ記された文面とその行間を読み取る素直な心があれば足りる‥‥ということは,あらためて言うまでもないことだ。〕
 たとえば,語ることを止めたその先に真理がある,とある人は言うだろう。しかし,語ることの中にしか真理はない‥‥ということもまた事実なのだ。道元を語るとき,その真理はことば(文章)が含意しかつ“象徴する”全体の中からつかみ取っていく必要がある。ことばの平らな意味の観点から眺めるとき,そこにはトートロジー(A=A;同語反復の類)の連鎖があり,ときに矛盾・撞着があり,ときに過剰なシンボル化があり,おびただしい比喩があり,そして,逆説めいた言説がじょうじょうと続いていく。そこにはいかにも,語りえぬことを語り出そうとすることばのもだえ・からみがある。〔読み手の側はそんなことでたじろぐわけにはいかない。彼が詩人なら,こちらも詩人の魂を持とう。彼がけわしい論理の糸をつむぐなら,こちらは冷たい論理の糸を熱い心でつむいでいくばかりである。〕
 道元の時間の見方は「正法眼蔵」の「有時(ゆうじ)」の巻に集中的に述べられている。
 その冒頭部に有名な「いわゆる有時は,時すでにこれ有(ゆう)なり,有はみな時なり」がある。“時はそのまま存在であり,存在はすべて時である。”ここで時はすなわち時間と解してよい。(以下,岩波書店「日本思想体系・12〜13;道元:上・下」および中央公論社「日本の名著・7 ;道元」を参照。)
・「時間が過去から未来へ流れる」のは明白だと人は疑いはしないが,それを知っているわけではない。
・われ(自分)が山を上がり河を渡ったときに自分はあったし,その自分はその時のただ中にあったのだし,いまもここにいる。だから時は去るはずはない(すなわち,ずっと時間の中にいつづけている)。
・松も時であり,竹も時である。時(時間)は飛び去って行くだけだと理解してはいけない。時間が(過去へと)過ぎていくだけであったら,そこに時のないすき間ができてしまうだろう。
・要点を言えば,この世(世界)に存在するあらゆるものは,互いに一つながりの時間の中にあり,それは時間内存在の吾(認識者)が体験するのである。
・時は経巡っていく。今日から明日へ,昨日から今日へ,さらに今日から今日へ,明日から明日へと経巡る,それが時の働きである。
・尽時(じんじ;時の全体)が尽有(じんゆう;存在の全体)であって,その外に存在者というものはない。
・時は過ぎ行くものとばかり考えて,未到(未来)も時だと気がつかない。
・経歴(経巡る)ということは,風雨が東西へ移り行くといったものではない。存在界に,動き行かないものはなく,経巡って行く。この経歴は,たとえば春のようなもので,さまざまな光景がある。その春が,経歴そのものであるのだ。
              *
 原典からのことばを,翻案しつつこのように並べたててみると,‥‥道元の時(時間)への見方は,ほぼ明白となる。
 まず,時間は存在とは切り離しえない関係にある,ということだ。時は未来からやって来て,過去へと去って行くように見えるが,それは存在と一連なりのものである。不動の姿で横たわる山稜も,瞬時も休まず流れてやまぬ川の流れも,時(時間)が現前する姿にほかならない。そして,時は明日から今日へ,昨日へと経めぐっていく。
 なるほど,見事な対象把握である。だがしかし,と思う。道元の時についての見方は,なるほど存在(世界)と相互不離の関係にあるというが,時(時間)をそれだけで実在ととらえているのではないのか。時という現象(実在)が顯現するのが世界(存在;山や川)であるからこそ,時はその顯現としての世界存在と不離の関係にあらねばならぬ。時の中に,変化して止まぬ流転の相を見るかわりに,むしろ流転を超えた実在の影(というより実在そのものの姿)を観ている‥‥というのが,道元における時間観の真相というべきでないのか。だからこそ,道元は重ねて「山も時であり,海も時である。時であるからこそ,山や海があるのであって,山や海の至近(しきん;今)に時間がないと考えてはいけない。時が消えてなくなれば,山や海も存在せず,時が不滅であれば,山や海も不滅である。」と言わずにはおれないのであろう。
 平たく言えば,道元は‥‥,“時こそが存在を顯現させて,存在たらしめている”,そして自然・世界のその奥に,それらを現前させる“根本者としての時間”の姿を観たのだと思われる。

第1部(1〜6)ジャンプ
第3部
(13〜16) ジャンプ


思索と創造(導入)へバック
啓明情報(ホームページ)へバック