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老子の部屋】TaoWorld
 第4部 大いなる力の源泉(1)[26〜35章]

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                 ───── 第4部 大いなる力の源泉(1)

(26)重厚と軽薄さ

しっかりとした重厚さは,軽いものの根本であり,
静かなる落ち着きは,軽薄なるものを統(す)べる主人である。

それだから聖人は,終日旅を続けて,なお,
輜重(しちょう)の車(荷物車)を置き去りになどしない。
さらに,栄光(栄誉と賞賛)に包まれていても,
聖人は気をのびのびと安んじて,静けさの中にある。

大帝国の治者でありながら,身を軽くして,
大国のをせわしなく巡行するなどのことが,どうしてできようか。
軽々しくあれば,国の中心(重し)は失われ,
性急な動きの中では,(国の)統御の力は台無しとなる。

(27)明知のかすめ取り

よい走り手は,足跡を残さない。
よい話し方は,反論の隙(すき)を留めない。
計算の達人は,計算道具を用いない。
戸締まりのよい戸は,かんぬきなどしてなくても,
 外から開けることはできない。
よく結ばれた結び目は,縄も使っていないのに,
 ほどくことはできない。

そのように聖人は,人を助けるのがうまい,
 というのは,“全く無用な人間”といった者はいないからだ。
また聖人は,物を粗末にしない,
 というのは,“全く無用な物”といった物は,ないからだ。
 ─これは,“明(めい)(明知)のかすめ取り”といわれる。

こうして,善人は“悪人の師”であり,
悪人はまた,“善人の教材”でもある。

このような師を尊ばず,
このような教材を慈(いつく)しまない者は,
 学んだと称して,なお迷いからさめていない。
 ─そういうことこそが,極意(ごくい)(奥義)なのだ。

(28)雌性(しせい)を保つこと

雄性(ゆうせい)(男性的な本質)の強さに目覚めていて,
雌性(女性的本質)を保つ人は,天下の谷となる。
天下の谷であるならば,
 その人の身に,本性としての性格(徳)は保たれ,
 ふたたび赤子の無垢(むく)に,立ち返る。

(はく)(輝き)を意識し,
なお黒(こく)(暗さ)を保つその人は,
 天下の範(はん)(基準)となる。
天下の範(はん)であるそに人は,
 決して誤ることがない永遠の力をもち,
 ふたたび“原初からの無”に立ち返る。

親しく栄光(栄誉と賞賛)に包まれている身にして,
なお不分明の中に生きるその人は,
 天下の谷となる。
天下の谷であるその人は,
 常に満ち満ちてくる永遠なる力を備え,
 自然のままの木(加工されない荒木)の清廉さに立ち返る。

加工されないままの木は解体され,
 器に加工され,
聖人の手中にあって,
 それらは百官,あるいは官の長とされる。
 かくして,偉大なる治者は持続されるのだ。

(29)出しゃばり無用

天下を支配し,自分が望む領土としよう,
などと野望を抱く者がいるが,
 それらの者が成功するはずはない,と私は思う。
というのは,天下は“神の器”であって,
人間どもの出しゃばりくらいで,こしらえられるものではないからだ。
 それを為そうとする者は,結局駄目にしてしまう。
 また,それを維持しようとして,それを失う。
すなわち,あるものは前に進み,
 あるものは後に従う。
 あるものは炎を燃え上がらせ,
 あるものは炎を吹き消す。
 あるものは強大となり,
 あるものは弱者となる。
 あるものは突進し,
 あるものはへたばる。
そうだから,聖人は過剰を慎み,奢侈(しゃし)を遠ざけ,
 慢心を絶つのだ。

(30)武力行使への戒め

(タオ)によって王者を補佐しようとする人は,
武力によって征服することに反対する。
それは,そのようなやり方では,かならず揺れ戻しがあるからだ。
軍隊があるところには,とげや茨(いばら)の草木が生え茂る。*[訳注]農作物が実らないこと。
大軍が起こされた後には,
飢饉(ききん)の年が続く。

だからこそ,すぐれた将軍は目的を達すれば,兵を収め,
 あえて軍の強大さには依(よ)ろうとしない。
(いくさ)に勝って,あえてそれを栄誉とはせず,
戦に勝って,あえて驕(おご)ることもせず,
戦に勝って,自慢したりもしない。
 戦に勝ったのは,やむを得ずそうしたまでのことであって,
 戦に勝ったからといって,暴力を賛美するわけではないからだ。
なぜなら,頂点に達したものはかならず衰えるからだ。
暴力は道(タオ)とは相容れないものであり,
(タオ)にそむくものは,はやく老いる。

(31)兵は凶器

およそ物事の中で,邪悪な道具である兵(軍隊と武器)は,
 人から忌み嫌われる。
そこで,信仰心のある人,すなわち道(タオ)の体得者は,兵を避ける。
有徳の人は,社会生活の上では,左を尊ぶが,
いざ軍を起こす際には,右を立てる。

兵は凶器であって,
 君主が用いる手段ではない。
しかし,兵の手段が避けられない事態に際して, 
 最上のやり方は,冷静かつ控えめに事を収めることだ。

勝利したとしても,そこには自慢できるものはない。
そこで勝利に酔う人は,すなわち
 虐殺に歓声を挙げる者のことだ。
虐殺に歓喜する者,
 その世界制覇の野望は,遂に成就しえない。

〔一般に,よい兆しがある物事(吉事)では左が尊ばれ,
不吉な物事(凶事)では,右が尊ばれる。
副将軍は左方に立ち,
将軍は右側に立つ。
こうしたしきたりはすなわち,葬儀の執行の場合に同じだ。)

多数の者の虐殺は,悲しみの声で満たされよう。
勝ちどきの声は,確かに,葬列の声そのものである。

(32)道(タオ)は海に似ている

(タオ)は絶対的で,名前がない。
まだ加工されないままの小さな木(つまらない物)だといっても,
だれもそれを(器に加工するなどして)用立てることはなしえない。
もし王者や諸侯が,無垢なままに自然(の性質)を保たせておけるならば,
 全世界は彼らに,安心してその統治を任せておくことだろう。

天地(あめつち)は手を取り合い,
 甘露(かんろ)(恵みの雨)は満ちあふれ,
人為の及ばぬ先に
 すべてがやさしく広がる。

そこへ,人の知恵(文明)が起こり来て,物事を選別する(事物に名付ける)。
物事の区別が付けられて初めて,
 人は己の分をわきまえることを知る(という仕組みなのだ)。
己の分をわきまえることを知る者は,
 降りかかる難を避けられる(という定めだ)。
あまねくゆきわたる道(タオ),そのあり方は,
川という川が大海に注ぎ込んで安んじる,その様子にたとえることができるだろう。

(33)己自身を知ること

他人をよく理解できる人は,知恵の人である。

 己自身を知る人は,さらにすぐれた知恵者である。
他人をうち負かせる人は,もちろん腕っ節が強いからだが,
 己自身に打ち勝つ人こそ,強者と言える。
満足している人は,豊かな人だ。

 断固として決意を実行できる人は,意志堅固な人だ。
自分の位置を見失わない人は,長続きする。
 死んでなおその力を留めている(悟道の)人こそが,真の“長寿者”である。

(34)偉大な道(タオ)は偏在する

偉大な道(タオ)は,あらゆるところに行きわたる,
 それは大洪水が,右に行き左に溢れするかのようである。
万物はそこ(道(タオ))から生まれ出て, 
 しかし(道(タオ))黙したままである。
その業(わざ)が成就されても,
 (道(タオ)は生み出したものを)己の所有とはしない。
それ(道(タオ))は万物を装わせ育てることはしても,

 なお己の仕業だと言い出すことがない。
思いや激情を表に示すことがないので,
 (道は)ときに,卑小に思われたりするものだ。
(道が)すべてのものの出所(でどころ)であって,それを黙して語らないけれども,
 それは偉大なものなのだ。
結局,(道は)自らを偉大なりと宣揚しないからこそ,
 その偉大なる業は達成されるのである。 

(35)平穏なるかな─道(タオ)

大いなる徴(しるし)(道(タオ)のこころ)を保っていれば,
 ものみなすべては,つつがなく運行する。
 危害に遭うおそれはなく,
 健全そして平穏な生きものの世界が広がる。

ご馳走を差し出せば,
旅行く者は立ち止まるだろう。
 しかし道(タオ)の味わいはほのかである。
 見れども,見えない。
 聞けども,聞こえない。
 使えば,決して使い切ることはない。



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