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老子の部屋】TaoWorld
 第2部 「道(タオ)」の教え[7〜13章]

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                   ───── 第2部 「道(タオ)」の教え


(7)奉仕する生き方

天地(あめつち)は永遠である。
“天地が永遠”であるのは,
 まったくの“無私”だからである。
それこそが長い持続の理由なのだ。

そうだから,聖人は自分自身を最後尾に置き,
 そして最先端に己を見いだしている。
自分の身は顧慮しないでいて,
 しっかりとその身が安全に保たれる。
いったい,己自身のためにいきることをしない,
 そのことが,聖人自身をよく生かすす所以ではないだろうか。


(8)水

最善の人物は“水”のような人である。
 水は万物をうるおし, 
 しかも争わない。
人が見下ろす最も低いところにとどまる。
 そして,そこは「道(タオ)」にもっとも近い。
聖人は,住みかとして低い地を善いとし,
心に深い淵(ふち)を抱き,
他人には限りなくやさしく,
語る言葉は誠実さそのものだ。
仕事には能力あることを善しとし,
行動には最適の時を選ぶ。
 聖人は争うことがないので, 
 他から非難されることもないのだ。

(9)成功に浮かれる危うさ

いっぱいに引き絞った弓は,
 やがて緩めねばならない。
切れ味鋭く研(と)いだ刀身の切っ先,
 その鋭さも長くは保てない。
金銀財宝で蔵をいっぱいに満たしても,
 やがては四散するだろう。
富と栄誉に浮かれても,
 それは墓穴への道に通じている。
事が成就して退くのは, 
 天の道である。

(10)一(いち)((タオ)を抱く

心に一(いち)(道(タオ))をしっかりと抱いていて,
 人(聖人)は「道(タオ)」から離れないでいることができるだろうか。
精気(生きる力)を柔軟に保っていて,
 人は生まれたての赤ん坊のようにしていられるだろうか。
不思議な心の鏡を曇りなく磨いて,
 人は完璧さへと努めることができるだろうか。
民を愛し,王国を治めるのに,
 人は平穏に統治し続けられるだろうか。
天の門を開け閉めするときに,
 人は“女性的なるもの”のままにいられるだろうか。
あらゆる知識を身につけてなお,
 人は心を無に保つことができるだろうか。

(11)空(から)の効用

三十本の輻(や)が,車輪の中心のこしきに集まる。
 そこは空(から)で(個々の輻(や)がそこで途切れ),
 そこから車の効用が生まれ出る。
土をこねて器(うつわ)を作る。
 (器のくぼみが)空(から)であることから,
 器の効用が発生する。
家(の壁)に戸や窓をしつらえる。
 家の効用は,中が空(から)(空間)であることから生まれる。
このように(車,器,家などのように)物が有用なのは,
 空(から)ということであってのことである。

(12)感 覚

五色は人の目を盲(めしい)にする。
音楽の五音は人の耳を聾(ろう)にする。
五つの香味(手が込んだ料理)は人の味覚をそこなう。
競馬や狩と犬追いは,人の心を狂わせる。
得がたい財貨は,夜の安眠を妨げる(夜もおちおち眠れない)。

それだから聖人は,
 腹を満たさせ(天性の自己に目覚めさせ)て,目の毒を遠ざけさせる。
 そうしないと,(民が)道(タオ)から離れ,つまらぬことにうつつを抜かすことになるからだ。

(13)賞賛と非難(毀誉(きよ)褒貶(ほうへん)

「(世間から)歓迎されたり誹(そし)られたりして,その度にうろたえる。
価値ありとするのも危ぶむことも,身から出た錆(さび)だ。」

これが意味するところは,
「世間の賞賛や非難が人を混乱させる」ところにある。
上からの寵愛を受ければ,
 すでにそのとき幻滅はひそみ,
 やがて時過ぎて,幻滅は現実となる。

これが意味するところは,
「価値ありとなすことも危ぶむことも,己自身の内にある」。
“恐れ”があるのは生ける生身のゆえなのだ。
己自身にこだわることがなければ,
何を思いわずらうことがあろうか。

だから,わがことのように世を推し量る人にこそ,
 世の政治を委ねることができる。
為政者はわがことのように世の民を慈しみ,
 かくして民は,その配慮の中で安んじられるのだ。



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