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第9章】軍の進め方

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              【第9章】軍の進め方

【原注】この興味溢れる章の内容は,章表題ではなく,1節によく示される。


1.孫子は言う;われわれは今や軍の陣地を張り,敵の動静を観察する問題にさしかかってきた。山岳は素早く通過し,谷の近傍に宿営せよ。
【原注】考え方は,不毛な高地にぐずぐずしていないで,水や草(植物)がすぐに手に入る所に位置を占めよ,ということだ。(Wu Tzu,3章;たとえば谷の入口のように,天然の<RUBY CHAR="かまど","オーブン">ではないところに,留まれ。)Chang Yuは一つの逸話を語っている;──後漢の時代,Wu-tu Ch'iangは強盗の親分で,Ma Yuanはその一味を絶滅させるべく派遣された。Ch'iangはとある丘の隠れがに拠ったが,Ma Yuanはあえて戦いを挑もうとせずに,水やまぐさを手に入れるのに好適な場所をおさえた。Ch'iangはほどなく糧食の絶望的な窮乏をきたして,全面的な降伏を余儀なくさせられたのだった。彼は谷の近傍に位置を占める利点を知らなかったのである。

2.1)高所に陣を置け,2)太陽の方を向くようにして。
 3)戦うためには丘には登るな。山岳での戦いではなおさらである。
【原注】1)ここで“高所high places”とは,高い丘のことではなく,周りの土地より小高いところ(knoll or hillocks)。2)杜牧は“太陽の方〜facing the sun”は“南面するfacing south,”そしてCh'en Haoは“東を向くfacing east”;(後出,11, 13節)。

3.川を渡ったら,川から遠ざかるべきだ。
【原注】「自軍が渡った後で,敵軍が渡るようにしむけるために」と曹公は続け,Chang Yuもまた,「自軍の展開に妨げにならないように」と言う。

4.敵が進撃しようと川を横切ってきたら,川の中に入るな。敵軍の半数が川を渡った時が最もよい時機であって,その時に攻撃を開始せよ。
【原注】Li Ch'uanは,韓信による渭水(いすい)での大勝利に言及している。戦いの状況はこうだ──;両軍は川を挟んでにらみ合っていた。夜になって,韓信は部下に命じて数万個もの麻袋に砂を詰めさせ,それを高く積み上げて堰(ダム)を築き上げさせた。それから兵の半数と共に川を渡り,Lung Chuを攻撃した。しかし,しばらくして,攻撃に失敗したと見せかけて,大急ぎで一方の河岸に兵を引き上げた。Lung Chuは思いがけない成功に得意満面で「韓信の奴,腰抜けだとわかったぞ!」と叫びながら,韓信を追いかけて,河を渡り始めた。韓信は一部隊を差し向けて砂袋を切り開けさせると,大量の水が解き放たれ,河を渡りかけていたLung Chuの軍勢の大多数を押し流してその渡河を阻止したのだった。それから韓信は兵を差し向けて殲滅戦を展開し,Lung Chuは死者の中に見出された。河岸に残った残余の兵は四散し,逃亡した。

5.もし戦おうと思っても,敵が渡ってきた川の近くで迎え撃ってはならない。

6.1)あなたの仲間(軍勢)を敵方より高いところに位置させ,太陽を向いて陣を取る。
 2)敵と戦うために,上流に移動しはならない。
 3)以上が川での戦いについてである。
【原注】1)(前述2節を見よ。)水との関連で,これらの語の繰り返しはたいへんぎこちない。Chang Yuは,「川岸に整列した軍団についてか,河の流れの中に錨で繋ぎとめた船団についてか,述べている。いずれの場合も,敵方より上流にあって,太陽に向いていることが肝要なのである」と記す。他の注釈者たちは全く言及していない。
 
2)杜牧は言う,「水が下流に流れているとき,陣地を川の下流域に設けてはならない,それは敵が(上流の)水門を開き,下流のわれわれを洪水の中に押し流す恐れがあるからである。Chu-ko Wu-houは“川での戦争では,流れに逆らって前進してはならない”と言っている。これは,味方の艦隊は敵の艦隊より下流に投錨してはならない,と同じである。というのは,(上流の)敵方には流れの有利さがあり,(下流の)われわれを手早く片付けてしまうからである」と。他の注釈者が記していることだが,(上流の)敵方が水の流れに毒を流し込んで(下流の)われわれの方に運ばせる,といった危険もある。

7.塩湿地を横切るときは,あなたの最大の関心を,できるだけ素早くその地を通過することに集中させるべきである。
【原注】そこにはきれいな飲み水がなく,牧草は貧弱で,さらに大事なことは,そこは平坦な低地であり,攻撃に無防備の地であるからである。

8.1)塩湿地で戦うことを余儀なくされたら,近くに水と草地を確保し,背後に木立のある場所を確保せよ。
 2)塩湿地での作戦は,以上である。
【原注】1) Li Ch'uanは“木がある場所は多少は安んじていられる”とし,杜牧は“(背後に木があれば)背後を守るのに役立つ”と言う。

9.1)乾いて平坦な土地柄では,右手と後方のすぐ近くに高地がある所に場所をとれ。2)そうすれば,危険は前方にだけあって,後方は安全である。
 以上が,平坦な土地での宿営作戦である。
【原注】1)杜牧は曹公の言を引用する,「軍は左手に川か沼地が,右手に丘か小山があるところに位置するのがよい」と。

10.1)これらが軍事に関する四つの有益な事項であって,2)だから黄帝は四人の支配者(帝王)を征服することができたのである。
【原注】1)これらとは,すなわち(1)山岳,(2)河川,(3)沼沢地,そして(4)平地に関する技術である。
 
2)“黄帝”に関して,Mei Yao-ch'enは,多少もっともらしいのだが,黄帝は他の4人の帝王たちを征服したとは知られていないので,テキストは誤りではないか,と問う。『史記』(本紀の冒頭部)では,黄帝は炎帝と<RUBY CHAR="蚩","し"><RUBY CHAR="尤","ゆう">への勝利についてだけ述べている。曹公の説明では,(もともと皇帝を冠した人は4人を数えるのだが)黄帝は臣下の諸侯を配する封建制度を創設した最初の人であった,とする。(Li Ch'uanは,戦争の技術は黄帝をもって始めとし,それは武将風后から得たもの,としている。)

11.1)およそ軍隊は低地より高地を選ぶ。2)また日陰地より日当たりのよい地を選ぶ。
【原注】1) Mei Yao-ch'enは言う,「高地は,物事の調和がよく健康的であるだけではなく,軍事的観点からも便利である。低地はじめじめして不健康であるだけではなく,戦うのに不便である」と。

12.1)もしあなたが部下(の健康)に注意を払い,2) 固い(乾いた)土地に陣を設ければ,兵士はあらゆる病気から解放されて,3)やがて勝利がもたらされよう。
【原注】1)曹公は言う,「新鮮な水と牧草を確保すれば,家畜を放牧させておける」と。2) Chang Yuは言う,「気候が乾燥していれば病気の発生を防げる」と。

13.丘か堤防にやってきたら,右手の後ろに傾斜地がある日当たりのよい側を占めよ。そうすれば,兵士の利益になるし,土地の自然の利点を生かすことができるのだ。

14.浅瀬を渡りたいのに,奥地(川の上流)に激しい雨が降って,川が水で溢れ泡立っているときは,流れが静まるまで待て。

15.1)間を急流が流れる切り立った崖,2)深い天然のくぼんだ穴,3)一度入ったら出られない場 所,4)複雑にからみあった茂み,5)泥湿地,6)そしてクレヴァス(裂け地)──7)などの土地は,できるかぎりの速さで立ち去って,けっして近寄ってはならない。
【原注】2) deep natural hollowsとは,“周りが切り立つ土手で囲まれ,底に水をたたえた場所”のこと。3) confined placesとは,“天然の檻(おり)あるいは牢獄”または“三方を絶壁で囲まれた‥入りやすいが抜け出るのが困難な‥場所”のこと。4) tangled thicketsとは,“密に生え繁って使いものにならない下生えで覆われた場所”のこと。5) quagmiresとは,“二輪戦車や騎馬兵が通り抜けられない泥湿の低地”のこと。
6) Mei Yao-ch'enは,crevasses(裂け地)とは“突き出た崖の間の狭くけわしい路”だとする。杜牧の注記は“木や岩で覆われて,おびただしい数の小さな谷や落とし穴で刻まれた土地”である。この説明は漠然としているが,Chia Linは一列でしか通れない狭い通路と明快に説明する。Chang Yuも同じ考えだ。総じて注釈者たちの考えは,たしかに“defile一列縦隊の”とする傾向にある。しかしその箇所で,中国語の本来の意味は“crack or fissure割れ目,亀裂”であり,文のどこか全体で中国語文の意味が defile(一列ぎりぎりの)の性質を示しているという事実は,私に,孫子がここでcrevassesについて 語っているのだなと,考えさせるのだ。

16.わが軍の方はこのような場所から遠ざかるようにして,敵方にはそこの近づくようにさせ るべきだ。わが軍はそのような場所に面を向けて[敵をそこに追い込めるように]位置する一方で 敵はそこを背面にするように[逃げ込むとしたらそこしかないように]し向けるべきである。

17.近傍に,ごつごつした山地,水草で囲まれた池,葦でいっぱいの窪地,下草が生え繁った森 があるとしたら,そこをよく調べ上げなけれなならない,というのは,そういった場所には待ち伏せの兵や油断ならないスパイが潜んでいることが多いからである。
【原注】Chang Yuの注記:「われわれは,人目に付かないところにいて,われわれの弱点を密かに調べ上げ,通達事項を盗み聞きする裏切り者から,われら自身を守らねばならない。」

18.敵がすぐ近くにいて,静まりかえっているのは,自分たちのいる場所の天然の有利さを頼みとしているからである。
【原注】ここで孫子は,“徴候の読み方”について言及を始める。その多くがすばらしいので,バーデン-ポーエル将軍の『斥候入門』のような現代の教則本に収載されている。

19.敵が遠くに離れていながら,戦いを仕掛けてくるのは,こちら側が進撃するのを待ち望んでいるのである。
【原注】それはおそらく,こちらが強力な位置にあるので,敵はこちらを無理にでも別の場所に移動させたいからである。杜牧は言う,「もし敵が味方に接近してきて,戦いを無理強いしてきたら,敵はわが方を見下しているかに見え,わが方がその挑発に乗る可能性はほとんどないだろう。」

20.敵の陣地の場所にらくに接近できるなら,敵は(らくに接近できるという)餌(えさ)でおびき寄せようとしているのである。

21.1)森の木々の中が揺れ動いているのは,敵が攻め来るのを示している。  
 2)厚く生い茂った草の中に(これ見よがしに)多数の目隠しを置いてあるのは,わが軍が伏兵かと疑うように,敵がし向けているのである。
【原注】1)曹公は「通路を整備するために木を伐っている」と説明し,Chang Yuは「誰でも斥候を送り出して,高いところに上らせ,敵を観察させている。斥候は,もし森の木が動きゆさぶられているのを見れば,敵が進撃してくる路を整備するために木々が切り倒されている,と知るのだ,」と言う。
 
2)曹公から借用した杜牧の説明は,以下の通り:「厚い草木の中に多くの枝(小屋状のもの)や草での目隠し(screens)があるのは,敵が逃げて,追撃を恐れている確かな徴(しるし)であって,こちらに伏兵があるかのように見せかけるために,このような隠れ場を造ったのだ。」screensといっても,それらはたまたまやって来た敵が目にした長い草丈のものを,大急ぎで結び合わせた程度のものである。

22.1)鳥がいっせいに飛び立つのは,待ち伏せ攻撃の徴(しるし)である。
 2)(けもの)が驚いて走りだすのは,奇襲攻撃があることをを示している。
【原注】1) Chang Yuの説明は全く正しい:「真っ直ぐに飛んでいる鳥がいきなり急上昇するとき,そのすぐ下に伏兵がいることを示している」と。

23.1) ほこりが高く柱状に立ち上って[dust rising in a high column]いるときは,戦車[馬が引く二輪戦車]が攻めてくる徴である。ほこりが低く広がっているのは,歩兵の来襲の知らせである。
 2)いろんな所でほこりが上がっているいるのは,兵士たちが薪を集めに差し向けられてい るのである。ほこりが二三,雲状にあちこちと動いているのは,敵軍が陣地を設営している のを示している。
【原注】1) “高くとがった形にhigh and sharp”あるいは“とがった峰の形に上がるrising to a peak”‥はもちろん“ほこりが上がる”の誇張した言い方である。注釈者たちは,──兵士より重い騎馬や戦車がほこりをもうもうと巻き上げ,それが同じわだちの上を次から次にやってくる,その一方で,歩兵たちはいっぱいに広がって進軍する‥‥というように,その(ほこりが立つ)現象を説明する。Chang Yuによれば,「どんな軍隊も,進軍中に前方に何らかの斥候を出さねばならない。その斥候が敵方によって上がったほこりを見つけたら,大急ぎで引き返して,司令官に報告する」と。(前述のバーデン-ポーエル将軍の『斥候入門』に「敵地で移動しているときは,視線は敵影やそのいかなる徴候にも気を付けなくてはならない──ものの形,立つほこり,飛び立つ鳥,武器への光の反射,などなど。」)
 
2) Cyang Yuは言う,「防衛を考慮に入れて宿営地を配置するために,軽装の騎馬兵が適地を調べ,彼我の勢力の境界線に沿って万遍なく,弱い箇所と安全な箇所とを確認するために,送り出される。ここではそれ(調査の対象となるもの)は,少量のほこりとその動きである。」と。

24.1)へりくだった物言いで準備を着々と進めているのは,敵が進撃しようとしている徴(しるし)である。2) 強い表現でいかにも攻撃への前進を云々するのは,退却の徴である。
【原注】1)杜牧は言う,「先方はわれわれに恐怖を抱いているのだが,その狙いは(こちらが)自分たちを馬鹿にして油断するようにし向けて,後で(油断した)こちらを攻撃する,ということにある」と。Chang Yuは,騎劫(ききょう)に率いられた燕(えん)軍に抵抗した田単(でんたん)の物語にそれとなく言及する。そこで,以下に『史記』の当該箇所(82章[田単列伝第二十二])を読んでみよう:──
 田単は(守備している即墨(そくぼく)の城市[斉の中で燕軍に攻略されないでわずかに残っている二城市の一つ]を攻囲している燕軍に筒抜けになるように)開けっぴろげに言った,「わたしがただ一つ恐れているのは,燕軍が捕虜となったわが斉兵の鼻を切り落とし,彼らをわれわれに対する戦いの前線に押し立てて来はせぬかと言うことだ。そんなことをされたら,わが城市には為す術(すべ)はないぞ」と。燕軍にこの談話が伝わると,燕軍では直ちにそのことが実行に移された。一方,城市内の人々は,同郷の仲間が不具にされたのを見て大いに怒り,自分たちが敵の手に落ちでもしたら(同じ運命だ)と恐れて,以前にも増して我とわが身を守らねばと,自らを励ますのだった。田単は再度,寝返ったスパイを送り返して,燕軍に(田単のことばとして)報告させた,「わたしが最も恐れていることは,燕の人たちが城外にあるわれらが御先祖様の墓を掘り返して,御先祖を辱め,われわれの気持ちをなえさせてしまはないか,ということだ」と。
 時を移さず,攻囲の兵たちは墓という墓を掘り返し,葬られていた遺体を焼いた。即墨の住民は城壁からその非道な仕打ちを望見して,激しく泣き,今にも飛び出して戦おうとするほどにまで,怒りの激しさは十倍にもつのるのだった。田単はそのときになってようやく,彼が率いる将兵がどんな冒険にも覚悟ができていると悟ったのだ。しかし,剣の代わりに,(他の兵と同様に)彼もまたつるはしを手にし(仕事を分担し),周りのものにも命じて,士卒の仕事の加勢をさせた。それから兵の妻や女どもを動員して隊伍に組み入れ,残っていた糧食はすべて拠出させて,兵士たちが腹一杯になるまで食べさせた。戦闘要員は人目に付かないところに隠れるように命じられ,城壁の上には老人や病人,婦女子を配置した。このことが完了すると,使者が降伏の口上を述べるために,敵の陣営に差し向けられた。そこで,燕軍はいっせいに万歳を叫んだ。
 それから田単は皆の者から二万オンスの銀[金千鎰
(いつ)]を集め,これを即墨の富豪の手を経て,“町が開城されたときは,彼らの家族が略奪されることがなく,また女たちが犯されることがないように”との願い事を付けて,燕の将軍"騎劫(ききょう)に届けさせた。騎劫は上機嫌でその願い事を聞き入れたのだった。いまや,燕の兵たちはますます気を緩めてだらしなくなる一方だった。
 田単は雄牛千匹を集めさせ,それぞれを赤い絹の布で装わせ,布に竜の姿に似せた赤い縞模様を描かせ,頭の角には鋭い刃を縛り付け,尻尾には油をよく染みこませたイグサ(灯心草)を結わえ付けさせた。夜になると,田単は命じて,イグサの先に火を放たせ,城壁にうがった多くの穴から雄牛を追い出し,その後に精選された兵五千の軍勢が続いた。牛たちは火に焼かれた痛みに耐えかねて激しく跳び上がり,狂おしく敵陣の中に突っ込んでいくと,すでに敵陣では上へ下へと極度の混乱が始まっていた。燃える尻尾は松明のようにあかあかと,からだの竜の赤い紋様を浮かび上がらせ,振り回される角の刃は触れる敵兵を片っ端から切り刻んでいた。
 その間に,五千の部隊は口々に枚
(まい)(木片)をくわえて,無言のままに敵軍の中になだれ込んだ。同時に,城市の中からはすさまじい轟きの声がわき上がり,城市に残る人という人が太鼓や青銅の器を打ち鳴らし,天地鳴動して果てしない有様であった。恐怖に打ちひしがれた燕の軍勢は,混乱の中に斉の人々に追われて逃げまどい,燕将騎劫は惨殺された‥‥。
 戦いの結果,七十有余の市
(まち)は,またみな斉の国に帰した。

25.最初に軽戦車が出てきて,両翼に位置をとるのは,戦争開始の陣形の徴である。

26.何も誓約しないで講和を提案してくるのは,企みがあるのである。 
【原注】ここの読みは不確かである。Li Ch'uanは「誓いや人質で裏付けされた取り決め」とし,これに対してWang HsiとChang Yuは単に「理由なく」とか「つまらない口実で」とする。

27.大勢の兵士たちが走って列に加わっているのは[すなわち,自分の所属隊の旗の下のきまった部署に急ぐのは],決定的瞬間(決戦の時)が来たことを示している。

28.進む部隊がある一方で退く部隊があるというのは,こちらへの“おとり(さそい)”の動きである。

29.兵士らが槍の柄に寄りかかっているのは,食べ物が欠乏していて,ふらついているのだ。

30.水を汲みにやられた者がまず自分で水を飲むのは,軍全体が渇きに悩んでいるのである。
【原注】杜牧は言う,「兵士一人の行動から,全軍の状況を知ることができる」と。

31.進めば利益があるとわかっていながら敢えてそうしないのは,兵士らの精魂尽き果てているからである。

32.1)鳥が集まっている場所には敵兵はいない。
【原注】1) Ch'en Haoが言うように,例えば“敵がこっそり陣地を放棄した”場合など,起こりうることだと心に留めておいてもよい。

 2)夜中に叫ぶのは,(その軍が)神経質にびくびくしているからである。
 3)陣中に騒ぎが起こるのは,将軍の権威が弱いためである。幟や旗が落ち着かなく動いているのは,暴動が起こっているのである。将校が怒っているのは,軍が弱体化している徴である。
【原注】杜牧は末尾の文をちがったように理解する,「軍の将校という将校がが将軍に怒っているのなら,それは(将軍が将校たちに命じた努力行為のために)すっかり疲れ果てているからだ,」と。  

33.軍が,馬の飼料に(兵士用の)穀物を与え,畜牛を殺して兵士の食用にし,陣営の火に料理の鍋を吊り下げてなく,兵士らが自分たち幕舎(テント)に戻ろうとしないのは,彼らが死ぬまで戦おうと決意している証(あかし)である。
【原注】通常の場合には,兵士が穀物を食用とし,馬は主に草を食べるものだ。

34.三々五々集まってささやきあっていたり,低い声で喋りあったりしているのは,一般の兵士らの間に不満が広がっている徴(しるし)である。

35.1)あまりに頻繁に賞を与えているのは,その軍が万策尽きていることを示している。
 2)また頻繁に罰しているのは,極度の疲労にあることをさらけ出してしているのである。
【原注】1)というのは,杜牧が言うように,軍が極度の緊張にさらされていると,常に反乱の恐れがあるので,兵の気分をよくしておくために,気前のよい報償が与えられる。
 
2)このような場合には,軍紀がゆるんでいるので,兵士らが義務を果たすように,異例の厳格さが必要とされるのだ。

36.はじめはどなりちらして(手荒く扱って)おきながら,後では敵軍の数におびえるというのは,最高指揮官の知性の欠如を示している。
【原注】私は曹公の,そしてLi Ch'uan,杜牧,Chang Yuも採用している解釈に従った。Tu Yu, Chia Lin, Mei Tao-ch'en, Wang Hsiらが唱えている別の解釈は,「将軍は兵士らに暴君のように振るまい,後では兵士らが反乱を起こしはせぬかと恐れて,‥‥」である。

37.もし外交使節がお世辞たっぷりであるとき,それは休戦を望んでいる徴(しるし)である。

【原注】杜牧は言う,「もし敵方が人質を差し出すような開けっぴろげの友好関係を保つのなら,それは休戦を渇望している徴である。というのは,戦力を消耗しきっているか何か他の理由によるかである」と。しかし孫子ほどの人がこんな分かりきった断定を下す必要があっただろうか。

38.もし敵がいきりたって押し寄せてきていながら,長い間わが軍に対峙していて,戦いを仕掛けるでもなし引き返そうとするわけでもない場合には,非常な警戒と用心深さが必要な状況にある,ということだ。
【原注】曹公は言う,この種の作戦行動は,予期しない側面攻撃か伏兵を置くための時を稼ぐ計略であろう,と。

39.1)もし味方の軍が人数で敵軍と同程度であるなら,それでもう十分だ。それは直接の攻撃がなされないことを意味しているからだ。
 2)われわれがなすべきことは,動員できるすべての力を集中させて,敵情をよく調べ上げ,戦力増強を図ることだ。
【原注】1)字義通りには“軍事的前進がない。”すなわち,正面攻撃は避けられるにちがいないし,それに代わる戦術が用いられよう。
 
2)これは,はっきりしない文章だ。しかも,注釈者の誰もがこれから適切な意味を取り出すことに成功していない。私は,もっとも簡明なLi Ch'uanの説明──「多くの人を集めた側だけが勝つ」にしたがっておく。幸いにChang Yuが,意味が明白なことばでの説明を与えてくれている,すなわち「両者が数において等しく,そして望ましい(戦闘の)開始の知らせがないときに,わが方は持続した攻撃を遂行するのに十分な力がないけれども,従軍商人や非戦闘従軍者の間から追加の補充兵を見出すことができ,そしてそれから,わが軍は力を集中させて,敵の動静を細かく観察し,うまく勝利を掴み取るのだ。しかし,わが軍を助けるための外国兵の借用は避けねばならない」と。それから彼は『尉繚子(うつりょうし)』(3章)[武経七書の一;作者不詳,戦国時代にすでに登場,秦の始皇帝の愛読書との伝あり。]から引用する,「金で雇われた軍団(傭兵部隊)の名目上の兵力は10万であっても,本当の力はその半分にも満たない」と。

40.遠いおもんぱかりなく,敵を侮って事を運ぶ者は,きっと敵の捕虜にされることだろう。
【原注】Ch'en Haoは『左伝』から引用して言う,「ハチやサソリ(ほどの小さな虫けら)が毒を運んだからといって,敵国に何ほどのことができるというのか!(いえいえ,そんな)小さな敵といえども,侮って扱ってはいけないのだ 」と。

41.兵士たちがまだあなた(将軍)によくなついていないのに罰されると,かれらは従順にならないだろう。そして上官に従順でない兵は実際にはものの用には立たない。兵士らがよくあなたになついてくるようになれば,罰を与えることはないし,すでにその必要もなくなっているのだ。

42.1)だから,兵士には第一に慈愛をもって,ただし鐵の規律で統制された上で,接しなければならない。
 2)これが勝利への確かな道である。
【原注】1)「彼の人徳は庶民に慕われ,彼の武勇ぶりは敵方に恐れられ続けた」(Yen Tzu[BC493]がSsu-ma Jang-chuについて言ったことば);理想的な指揮官は文化と戦争気質とを結びつける[“文武両道”こそ指揮官の理想]。戦(いくさ)の職業は強さと柔軟さの結びつきを要求する(武は硬軟共に求める)(Wu Tzu,4章)。

43.日頃から,兵士がよく命令を遵守するように訓練されているのなら,軍の規律はよく保たれる。もしそうでないなら,規律は守られまい。

44.1)もし将軍が部下に信頼を示しつつ,命令はきちんと守るようにさせておくなら,2)両者にとって(将軍にも部下にも)好都合である。
【原注】1)杜牧は言う,「将軍は平和時においては,部下に慈愛ある親愛の情を示し,また尊敬されるべき尊厳を保つべきである。そうすることで,部下全員が将軍を信頼して見上げることになるので,敵と相対したときに彼の命令は遂行され,軍の規律は保たれるのだ。しかしながら,孫子がここで言ったことを,人は,むしろ“将軍はいつも,自分の命令が実行されることに自信満々である,云々”と受け取ることだろう」と。
 
2) Chang Yuは言う,「将軍は指揮下の兵に信頼を寄せ,兵は将軍を頼りにして,従順である。こうして上下はうまくいく。」彼は『尉繚子(うつりょうし)』(4章)から含蓄のある文を引用する,「命令を与える技術は,些末な失敗を矯正させることにはないし,また小さな疑問によって揺さぶられるべきでもない」と。ぐらついたり騒ぎ立てたりすることは,軍の信頼を蝕ませていく最も確実なやり方なのだ。



第10章】地 形 へ