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孫子の部屋】SuntzuWorld
第8章】戦術の応用動作

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              【第8章】戦術の応用動作

【原注】表題は,字義通りには“九つの変化形”であるが,孫子は,彼がすでに説明したように(5章6-11節)実際の現場での偏りはそれこそ無数であって,Wang Hsiが“九”はそれこそ“大きな数”を表すのだと言うように,“九”と限定したのではないと考えるほかはない。「大事なことは,戦争においては,戦術を最高度に変化適用させなければならない,ということだ‥‥私は,曹公が何をもって九変化と結びつけたのか,わからない‥‥それらは11章の九つの状況との関連が示唆されているのだが」と。これはChang Yuの見解である。もう一つの選択肢としては,何か章の中の短い章句が失われてしまっている,との仮定である。[原文で,to veryはto vary,out to beはought to be.]

1.孫子は言う;将軍は主君から命令を受け取り,軍を統合し,兵力を集結させる。
【原注】7章1節の繰り返し。章を始めるにあたって,“冒頭”ということを示すに過ぎないものか。

2.1)難しい国では陣地を張るな。高い道路が横切っている国では,同盟国と手を結んで行え。危険で孤立した場所には長居は無用である。
 2)敵軍に取り巻かれている状況では,計略が必要だ。絶望的な状況下で戦わねばならない。
【原注】1)の末尾の文の状況は9つの状況の一つではない(後述,11章の冒頭;同43節,参照。)Chang Yuは国境を横切って敵国の領土を行く場合と想定している。Li Ch'uanは,それは「水の湧く泉も水辺も,羊や牛の群も,青い植物も薪にする木も一切ない土地柄」のことだとし,Chia Linは「そこからはい上がる路がない峡谷,地溝や絶壁」のことだという。

3.1)通ってはいけない路がある。
 2)攻撃してはいけない敵軍がある。
 3)包囲してはいけない城塞都市がある。
 4)争ってはいけない場所がある。
 5)従ってはいけない君命がある。
【原注】1)「ことに山間の隘路に通じる路がそうで,待ち伏せにあう危険がある」と,Li Ch'uanがいう。
 
2)もっと正確には,たぶん「攻撃してはいけない“時”というものがある」だろう。Ch'en Haoは言う,「相手と競争上に利点を得る方法を探るとき,相手をうち負かすには力不足で,戦うと味方の兵士に無理強いさせる恐れがあるところから,攻撃するのを控える」そんな場合だ,と。
 
3)3章4節参照。曹公は自分の経験に基づく興味ある例を持ち出している。Hsu-chouの領土に進攻したとき,彼は進攻の途中にあるHua-piの城市を無視して,国の中心部に圧力を加えた。この優れた戦術の結果,14以上もの重要な地方都市を手中に収めたのであった。Chang Yuは言う,「手中にしたどの市(まち)も攻め取りしたのではない。攻撃すれば手中にできなかっただろうし,ほって置かれたからこそ何のトラブルも起きなかったのだ」と。Pi-yangの攻撃をせかされたHsun Yingは,答えて「その市(まち)は小さくて防備が堅固だ。もし私がその市(まち)攻めに成功したところで大した手柄にはならないし,仮に市(まち)攻めに失敗でもすれば,物笑いの種になることだろうよ」と言った。
 17世紀には,城攻めはなお戦争の大きな比率を占めていた。テュレンヌ(30年戦争で活躍したフランスの元帥・戦略家;1611-75)は,前進行動と背進(回れ右前進),作戦的行動の重要性への注意を喚起して言う,「町を奪うために多くの人を消耗するのは大きな過ちだ,同じような数の兵士の消耗で一つの州(省・地方)が手にはいるというのに」と。
 
5)これは権威を尊ぶ中国人には厳しいことばである。杜牧の引用によると,Wei Liao Tzuは感情あらわに声を張り上げる,「武器は有害な道具であり,争いは徳に敵対するものであり,軍の司令官は市民秩序への否定である!」しかしながらなお,帝国が必要とすることを軍事上の力に頼っている,という不愉快な事実は残っている。

4.戦術に伴うさまざまな応用動作を徹底的に理解している将軍は,軍隊の取扱方をよく心得 ている。

5.戦術の応用動作を理解していない将軍は,土地の地形のことはよくわかっているかもしれ ないが,なおその知識を実戦に振り向けることはできまい。
【原注】文字通り(直訳)の“土地の利点を手に入れる”は,よい位置を確保するだけではなく,あらゆる可能な方法で自然の利点を利用する,ということ。Chang Yuは言う,「どんな土地も,それぞれの自然の地形によって特徴があるので,それに応じた計画の変更の余地を提供する」と。土地ごとにあまりにも様相が異なるので,いかに,対応する地形学的な知識を心の柔軟性で補う必要があることだろうか[大いに柔軟に対応する必要がある!]。

6.状況に応じて,戦い方の計画を変化させる術を心得ていない戦争の学徒[生半可な指導者のこと]は,たとえ“五つの利点”をよく知っていたとしても,兵士をうまく動かすことに失敗するだろう。
【原注】Chia Linは,これら五つの利点とは,行為についての明白で一般的な利点を意味すると説明する。すなわち,その利点とは「@路が短距離なら,進め;A敵軍が孤立しているなら,攻撃せよ;B町が危険な状況下にあったら(堅固に守られていない町なら)攻囲せよ;Cその場所が踏み込んでいけるところなら,侵入せよ;D軍事的作戦と一致しているならば,主君の命令には従え」である。
 しかしながら,しばしば将軍にこれらの利点の実行が禁じられている状況がある。例えば,「ある路は短かすぎるかもしれないが,その路には自然の障害がいっぱいあるとか,敵が伏兵をおいているなどで,その路を進めないことがわかっている。敵軍は攻撃を始めるかもしれないが,敵は死に物狂いで不退転で戦おうとしているのがわかって,攻撃を中止する」など,など。

7.ここにおいて,賢明な指導者の計画では,有利な点と不利な点がよく比較して考慮されるで あろう。
【原注】曹公は言う,「有利な立場にあるか不利な立場にあるかについて,常に敵対する国のことを心の中に思い浮かべておくべきなのだ」と。

8.もし有利な点への期待がこのようにほどよく勘案されるなら,計画の重要な部分の達成に成功するだろう。
【原注】杜牧は言う,「敵から有利さをもぎ取りたいと望むなら,関心をただ一つに固定させてはいけない,むしろ敵がわれわれに損害を与える可能性も考えて,それも作戦の要素の一つに取り入れなくてはならない」と。

9.もし一方で,困難に直面していてもなんとか有利さを勝ち取れるように,常に準備しているならば,不運に陥ることから救い出せるだろう。
【原注】杜牧は言う,「もし危険な状況から自分を解き放とうと望むならば,敵のこちらへの殺傷力だけではなく,こちら側の敵方への優位を勝ち取る力もまたあわせ考慮しなければならない。この両者を比較しての考慮がほどよくおこなわれるなら,自分の解放に成功するだろう‥‥。たとえば,私のやり方がまずくて,敵方は私を追い込んでやっつけようとしていて,敵に囲まれている私はといえば,うまく逃げおおすことのみを考えているとしよう。そんな状況下では,勇敢な反撃を加えるように味方の兵を鼓舞することがはるかに望ましいし,そうすることで敵が骨折って仕掛けてくる攻撃から味方を解き放つ利点が得られるのだ。」

10.1)こちらに敵意を持つ諸侯には,痛手を与えてやって,その数を少なくする。
 2)そして,もめごとを起こし,3)たえずもめごとの沈静化に手をかけさせる。
 4)魅力たっぷりな話題を提供し,相手がそれに夢中になるように仕組んでいく。

【原注】1) Chia Linはこの痛手を与える仕方を数通り数え上げているが,そのいくつかは,東洋人の心性に特有のものだという;すなわち──「敵方の最上の最も賢明な人を誘いだして,その結果(諸侯は)相談相手なしにおかれる。裏切り者をその国に紹介して,国の政策をすっかりだめにしてしまう。陰謀や詐欺を助長させ,その結果,首長と大臣の間の不和の種を播くのだ。あらゆる技巧的な工夫を凝らして,幕僚の間の堕落を引き起こし,その財宝を消尽させる。狡猾な贈り物で彼が極端に走るようにしむけて,道義心を腐敗させる。彼に魅力的な女性を差し向けてその心をかき混ぜ不安定にさせる。」
 Chang Yuは(後にWang Hsiも),孫子についての異なった解釈を唱える,このように「敵を痛手を受けるにちがいないところに導け,そうすればひとりでに降伏してくるだろう」と。
 
2)杜牧は,この句が,敵に対してもめごとが彼らの“財産possessions”(われわれのことばで“資産  assets”)──“大きな軍隊,豊かな国庫金,兵士間の調和,命令の正確な遂行”などが考えられる[これらは,敵への支配力を左右する諸要素]──に大いに影響を与えるのを助長すべきだと,自分の解釈の中で示している。
 
3)文字通りには“それらの従僕(しもべ)とならしめる。”杜牧は言う,「彼らを寸時も休ませるな」と。

11.戦争の技法は,敵がやって来ないことをあてにする(可能性に頼る)のではなく,敵がいつ来てもよい準備をすべきことを,そして,敵が攻撃してこない機会(こと)をあてにしないで,むしろ味方に攻められない備えがいつでもある,ということに頼るべきことを,教えている。

12.将軍を襲う五つの危険な落としわながある。
 (1) むこうみず;それは破滅への道だ。
【原注】曹公が後先(あとさき)考えぬ勇敢さ”と言うように,人を,狂った雄牛みたいに,めくら滅法の戦闘に駆り立てる。Chang Yuは言う,このような敵に対しては,「暴力をぶっつけるのではなく,待ち伏せ場所におびき入れて,殺害する」やり方がよい,と。Wu Tzu(4章の冒頭参照),「将軍の性格を評価するに際して,人はもっぱらその勇気に気をとられがちであって,勇気というものは将軍に備わるべき多くの特質の一つに過ぎないということを忘れている。単に勇敢な人というのは,むこうみずに戦う傾向があるものだ。むこうみずに戦う者は戦略的な良し悪しを考えないので,非難されるべきなのだ。」Ssu-ma Faもまた,鋭利な発言をしている,「単に死に赴くからといって,勝利をもたらすわけではない」と。

 (2) 臆病さ;それは捕虜への道だ。
【原注】曹公は,ここに“臆病さCowardice”と訳した中国語を定義して,「小心なために,有利さを掴もうと前進することを止めてしまう」人の性質としている。Wang Hsiはそれに加えて,「危険だと見るとすぐに逃げる人(逃げ足速い人)」とする。Men Shihはよりぴったりくる言い換え「生き残ることに熱心な人」としている。これは,けっして危険を冒さない人のことだ。しかし孫子が知っていたように,進んで危険を冒さない限り,戦争では何事も達成されないのだ。T'ai Kungが言う,「利点を取り逃がす人は,引き続いて本当の災害に巻き込まれるだろう」と。(以下,404AD.,劉裕がわずかな手兵で,海戦で圧倒的な大群を擁する反乱軍の将廬循──いつも母船の脇に逃げるための小舟を用意していた──を打ち破った故事などが,実例として例示される。)

 (3) 気短な気質;侮辱ですぐに挑発に乗る。
【原注】杜牧によれば(357AD.);Yao Hsiangは戦うことを頑固に拒否して,城壁の内側に閉じこもった。Teng Ch'iangは言った,「彼はすぐにかっとなる<RUBY CHAR="質","たち">だから,すぐに挑発に乗ります。ちょこちょこと出撃して壁を破れば,怒って出てきますよ。一度彼の軍が戦いに出てきたとなれば,それはわれわれの餌食になること請け合いです。」計画は実施されて,Yao Hsiangは戦いに出て来て,敵方のおとりの逃走を追いかけ,San-yuanまでおびきだされ,結局は襲われて殺された。

 (4) 体面への敏感さ;羞恥心ですぐに反応する。
【原注】これは,“名誉を気にかけることは将軍としての真の欠点である”と意味している,ととることはない。孫子が非難することはむしろ中傷の言説に過度に敏感であることであって,口汚く非難されて実際にはとるに足らない批評に耐えられない,そうした敏感さについて言っているのである。Mei Yao-ch'enは逆説的ながら,的を射た発言をしている,「栄光を求める者は,世論に関わっているべきではない」と。

 (5) 部下への過度の配慮;心配事やもめ事に巻き込まれる。
【原注】再言するが,孫子は将軍は指揮下の軍の福利に無関心であれ,と言うのではない。彼が強調するのを望んだことは,部下たちを直接に慰安するための配慮で,いかなる重要な軍事的利点をも犠牲にする危険性はないか,ということであった。
 これは短く期間を限った場合での政策である,と言うのは,長い期間の内には,軍隊は敗北し,あるいはよくいっても(結果としてのことだが),戦争の長期化による打撃を受けるだろう。憐憫の誤った感情は,将軍が自分の軍事的勘に反して,しばしば攻囲した城市への圧力を緩めるとか,逆に軍事的圧力を強めるとか,しかねないのだ。

13.これらは将軍が陥りやすい,戦争を指揮するのに破滅的な,五つの罪である。

14.軍がうち負かされその指導者が殺されるとき,原因は確かにこれら五つの危険な欠陥から見出されるだろう。熟慮の主題としよう。



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