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孫子の部屋】SuntzuWorld
第7章】機動作戦

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              【第7章】機動作戦

1.孫子は言う;将軍は主君から命令を受け取る。

2.軍を統合し,兵力を集結させつつ,軍の駐留地を整える前に,種々雑多な要素を混ぜ合わせて調和がとれたものとしなくてはならない。
【原注】Chang Yuは言う;「軍を戦場での危険にさらす前に,兵の上級の者と下級の者との間の調和と信頼とを確立すること,」そしてWu Tuの言を引用する,「国内に調和なければどんな軍事的遠征にも着手はできない。軍隊内に調和なければどんな戦闘配置をも形成させられない」と。

3.1)その後が機動作戦であり,それより難しい事柄というものはない(最も難しい)。
 2)機動作戦のむずかしさは,遠回りを真っ直ぐに変え不利を有利に変えるところにある。
【原注】1)曹公による伝統的な解釈「主君の命を受けた時から敵に対して陣地を設けるまでが,もっとも困難である」とは,私は少し意見を異にする。私には,作戦や戦略は軍が進軍して陣営を構築するまでは,それが始まるとは言わないように思われる。そこでCh'ien Hao の注記は,この考えに生彩を加えてくれる,すなわち「兵を徴募し,集結させ,軍を団結させ,塹壕を掘るまでの間に,実施すべきおびただしい従来からのルールの数々がある。真の困難は,作戦行動に従事する際にやってくる」と。杜牧もまた「大きな困難は,有利な位置の確保で敵の機先を制するところにある」と述べている。
 
2)この文は,孫子がよく好んだ極度に圧縮して何かしら謎めいた表現を含んでいる。曹公の説明は,「(危機は)遠くに離れているときにやってくる,その際,早急に距離を克服して,敵方が現れる前にその場に急行せよ」である。杜牧は言う,「敵の目くらましをせよ,そうすれば,君が最高の速度で突き進んでいるその時,敵はだらけてのんびりとしているだろう」と。Ho Shihはわずかにちがったひねりを加えている,「君は横切っていくのに難しい地形や自然の障害物に出会うかもしれないが,それは動きを敏速にすることによって現実の有利さに変換できる障害というものなのだ」と。この言説の目立った例として,二つの有名なアルプス越えの史実が提供される,──すなわち思うままにイタリアを打ち破ったハンニバルの場合と,その二千年後にマレンゴの大勝利を博したナポレオンの場合とである。   

4.こうして,長い遠回りの路をとり,後で敵を本来の居場所の外に誘い出す。そうして敵方より遅れて出発したのに,うまうまと敵方より先に目的地に到着する。こうしたことは,“進路変更”についての手練手管の知識のあることを見せつける。

5.兵を用いての機動作戦は有利である。烏合の衆による機動作戦は最も危険である。

6.もし有利さをもぎとろうとして,十分に装備を整えて軍を進軍させようとするなら,おそらくあまりに遅すぎる,ということになるだろう。その一方で,利を考えて別働隊を先に派遣するならば,移動用の荷物や貯蔵庫を犠牲に巻き込むことになってしまう。
【原注】中国の原典のいくつかは,文を解説する中国人の注釈者にとっては,ひどくわかりにくい。少し冷静になって自分の翻訳ぶりについて言えば,原典にはいくつかの根深い改ざんがなされていると確信している。総じて,孫子は補給なしの長期の進軍を承認しなかったことは明白である。[後述11節参照]

7.こうして麾下の兵に,皮服を(動きやすいように)巻き上げての,日も夜も休むことのない強行軍を命じ,有利な地点に先着しようと一気に通常進む距離の倍を稼いで,百里もの前進を無理強いさせるなら,麾下の三軍団の指揮官の三将軍とも敵の手中に落ちてしまうだろう。
【原注】杜牧によれば,通常の一日の進軍は30里であった。しかし曹操の敵追跡の例では,24時間内に300里という信じられない距離を走ったという。

8.強健な兵は先頭を進み,へたばった兵は遅れる。そして,こんなやり方では,軍の十分の一だけが目的地に到達するだけだろう。
【原注】曹公や他の人が指摘するように,教訓は“輜重のあるなしにかかわらず,戦術的利点を得ようと(一日に)百里の進軍をするな”である。この叙述の作戦行動は,短距離の場合に限定されるべきものだ。ストンウォール・ジャックソンは言う,「強行軍の難儀さは,戦闘の危険よりもさらに痛みを伴うものだ」と。彼はしばしば,彼の兵団を(たとえ必要だと思われる場合でも)異常な骨折り作業に追い込むことは避けたものだ。しかし,それが意表を突くことを意図した場合や,あるいは迅速な後退が至上命題である場合にのみ,スピードのためにすべてを犠牲にしたのだった。

9.相手の裏をかくために,五十里進軍するならば,第一師団の指揮官を失い,軍の半分が目的地に到達するだけだろう。
【原注】字義通りには,「第一師団の指揮官は“引きはがされる。”」

10.同じ目的で三十里進軍するならば,軍の三分の二だけが目的地に到達するだろう。

11.ここでわれわれは以下の見解を得る,すなわち──軍に輜重がなければ(軍は)滅び,軍に糧食がなければ滅び,供給の基地がなければ滅ぶ,と。
【原注】私は孫子は「補給所に集積された貯蔵物」を考えていたと思う。しかし杜牧は「家畜の飼料やその類」と言い,Chang Yuは「物資一般」とし,Wang Hsi は「燃料,塩,食料,等々」とする。

12.われわれは,隣国の企み(本音)をよく知ることなくして,同盟関係にはいることはできない。

13.われわれはその国の地勢──山,森,陥没した所,断崖,沼地や湿原──をよく知らない限り,軍を進めることは適当ではない。

14.われわれは,その土地の道案内を利用しないと,地の利を有利さに転化することはできない。
【原注】ここの12〜14節は,11章52節で繰り返される。

15.戦争では,擬態を貫け,そうすればうまくいく。

16.軍団を統合して集結させるか分割するかは,状況によって決定されるべきである。

17.1)迅速なること風のようであれ。
 2)緊密にまとまっていること林のようであれ。
【原注】1)この直喩表現は,二重に適切である。というのは,風は速く(Mei Yao-ch'enが指摘するように),“見えないし足跡も残さない。”
 
2) Meng Shihの注記は真実に近いところか,すなわち,「ゆっくり行進しているとき,隊形や隊列は保持されねばならない」──突然の襲撃に対応できるように,と。しかし,天然の森は,整然と列をなしては成長しないで,通常は,びっしりと密度濃く生えるものだ。

18.急に襲い略奪すること,火のようであれ。
 2)動かないこと,山のようであれ。
【原注】2)君が占める場所を敵が追い出そうとしている,その場所,あるいは多分杜牧が言うように,敵が君を罠に陥れようとしているときのことを指していよう。

19.計画を,夜のように暗く測りがたいものとせよ。
 そして,移動のときは,雷電のように激しく動け。
【原注】杜牧が引用する諺に,「雷鳴よりさきに耳をふさぎ,雷光よりさきに目を閉じることはできない──それほどに速く」と。同様に,攻撃は相手が回避できないほどに,素早くおこなわなければならない。

20.1)村里を収奪するときは,収奪で得た品は兵と分け合え。
 2)新しい土地を獲得したときは,軍人たちの利益になるように分けて,分配をせよ。
【原注】1)孫子はすべての収奪品を(後に備蓄品が全員の間で公平に分配されるように),通常の備蓄の中に投入されるべきだと主張することで,見境のない収奪行為の乱発を少なくすることを望んでいた。
 
2) Ch'en Hao は言う,「兵を獲得した土地に宿営させて,植物の種をまき育てさせる」と。このやり方を実行して,侵入した土地で農業を営むこと,そのように,中国人は多くの記念すべき勝利の大遠征のいくつかで成功裏に実行してみせた(蒙古族の西進,ほか)。       

21.動く前に熟慮に熟慮を重ねよ。
【原注】敵の抵抗の力とその将の力量を手に入れるまでは,野営を撤収してはならない,とされる。[第1章13節“比較要件7か条”を参照]

22.1)進路の取り方など,常識ではない術策を習得した者が勝つ。
 2)これが機動作戦の要諦である。
【原注】1)前述3-4節を参照。
 
2)こうした表現で,章は(通常は)自然に終結となる。しかしここでは,戦争についての古書からの引用の形で,長い補遺が続く。それが現在,孫子が明らかに書いた当時のままのものと言えるものは,失われている。この断片のスタイルは,孫子自身のものとは顕著に異なっている。それなのに,どの注釈者もそれが本物かどうかに疑義を挟む者はいない。

23.1)軍法書に言う;2)戦場においては,3)話しことばは遠くまではよく届かない。そこで,(慣行として)銅鑼や太鼓が用いられるようになった。通常の物で示しても見えない。そこで,(慣行として)幟や旗指物が用いられるようになった。
【原注】
1)初期の注釈者の誰もこの軍法書についての情報を遺していないのは,多分意味あるところだ。Mei Yao-Ch'en は“昔の軍事古典”と呼び,Wang Hsiは“戦争についての古書”と称している。孫子の生きた時代の前何百年間にもわたって,中国内のさまざまな王国や侯国の間で起こった数え切れないほどの戦いについて思いを巡らすと,そのような早い時期に,軍事に関する格言集が集められ書き下ろされたかどうか,ありえないとも言い切れない。
 
2)中国語で直接の言及はないが,含意で。

24.銅鑼や太鼓,幟や旗指物は,大勢の者の耳目を一点に集中させる手段である。
【原注】Chang Yuは言う,「視力と聴覚とが同じものに同時に収れんされるなら,百万の兵の展開も一人の兵を動かすのと同じようなものとなる!」と。

25.単一の統一体となった多数者は,独りだけ離れて勇敢に進もうにも独りだけ離れておびえ て退こうにも,できなくなる。
 これが大部隊を動かす術(方法)である。
【原注】Chang Yuは,ことわざ「命令に逆らって進むも退くも,同じ罪」を引用する。杜牧は関連してWu Ch'iがCh'in国と戦った時の話題を取り上げる;──戦いが始まる前,剛胆無双の一人の兵がいきなり走り出て,敵の二人の頭(かしら)を捕らえて,陣地に引き返した。Wu Ch'iは直ちにその男を処刑した。そうすると,一人の将官があえて進み出て諫言して言う,「この者はすぐれた兵です。打ち首にすべきではありませんでした。」Wu Ch'iは答えた,「私は彼がすぐれた兵だと信じている。だが,命令なしに実施したことで打ち首にしたのだ」と。

26.そして,夜間の戦闘では信号の火や太鼓が,昼間の戦闘では旗や幟の類が,軍勢の部隊の人たちの耳や目を拘束する手段として,頻繁に用いられる。
【原注】Ch'en Hao はこんな例もあると,持ち出している──Li Kuang-piは Ho-yangへの夜の移動で,500の騎馬兵の頭にこれ見よがしにたいまつをつけて通っていったが,反乱軍のボスのShih Ssumingは大部隊を率いていたのに,あえてその通過を妨げることをしなかった。

27.1)敵の全軍の,その気力を奪うことができる。
 2)敵の総司令官の,その沈着冷静さを奪うことができる。
【原注】1) Chang Yuは言う,「戦争では,怒りの気分(a spirit of anger)が全軍の全階級に同時に一つになるように行き渡ったなら,その攻撃は抵抗できないほどに強力である。敵兵の鋭気(spirit)は戦場に初めて到着したときに最も鋭いので,われわれの合図は“すぐには戦うな”であり,その熱気と意気込みとが徐々に消えるまで待ってから“撃て”である。このやり方で,敵の鋭気を挫くことができるのだ。」
 
2) Chang Yuは言う,「沈着冷静さ(presence of mind)こそが将軍の最も重要な条件である。それは雑然としたものをまとめあげ,恐慌状態の集団に勇気を吹き込む資質である。偉大な将軍李靖(571-649)の語録に“攻撃は単に城塞都市への襲撃や隊形を組んだ軍隊への攻撃にとどまらず,敵の心理的安定をも打ちのめす技術をも含まなくてはならぬ,”とある。」

28.1)今,朝方,兵の士気はいやが上にも勝っている。
 2)正午にはその士気は衰えはじめ,そして暮れ方には宿営地への帰心でいっぱいだ。
【原注】1)私は思うのだが,(“朝方”というとき)朝食はすでにすんでいた,ということだろう。トレビア川の戦闘(218BC)で,ローマ人は愚かにも空腹のまま戦うことをさせたのだったが,一方ハンニバルの軍は都合のよい時間をたっぷり使って,朝食をとっていたのだった。

29.そうだから,賢い将軍は,敵が士気盛んなときは避けて,その気力がしぼみ,里心がついてきたころに,攻撃をしかけるのだ。

30.統制がとれて沈着な態度で,敵の部隊の中に秩序の乱れやざわめきが出現するのを待つ──これが,冷静さを保つ技術である。

31.敵がまだ遠くにいるうちに(こちらは)目的地の近くにいて,敵が汗水流して苦労して(前進して)いるときに(こちらは)その敵を安楽な状態で待ち,敵が空腹に苦しんでいる間に(こちらは十分に食べて)栄養タップリでいること──これが味方の力を温存しておく技術である。

32.敵軍の旗指物が整然と見事に配置されている場合には邀撃(ようげき)をひかえること,一糸乱れず堂々とした陣立ての敵軍には攻撃を仕掛けないこと──これが状況の変化を読みとって対応する技術である。

33.丘の上の敵に向かって攻め上ってはならず,丘を攻め降りてくる敵を襲ってはいけないというのは,軍事の鉄則である。

34.見せかけで敗走する敵を追撃するな。意気盛んな敵兵を攻撃するな。

35.1)敵が仕掛けた餌に食らいつくな。
 2)(母国に)引き上げる敵の軍勢は深追いするな。
【原注】1) Li Ch'uanも杜牧も,隠喩を理解する能力がとんとないようで,これらの語をまるで字義通りに“敵が毒を盛った食べ物・飲み物”と解している。Ch'en HaoとChang Yuは,慎重に,適用範囲を広くするように指摘している。
 
2)注釈者たちはこれについて,帰心矢のごとき人の心はそれを止めさせようとする者には死に物狂いで戦うものだから,それを阻止しようとするのは危険すぎることだ,という忠告のことばと説明する。Chang Yu はHan Hsinの語録を引用する──「無敵なり,望み持ちて家路を目指す兵士(もののふ)よ。」

36.1) 敵を包囲したときは,逃げ口は開けておけ。
 2)捨て鉢になった敵を,あまりに厳しく追いつめるな。
【原注】1) これは,敵が逃げるのを許すことを意味しない。杜牧が示すように,目的は「(その敵に)まだ安全な道があると信じさせて,死に物狂いの勇気で戦うのを阻止すること」にある。杜牧は愉快そうにつけ加える,「その後で,敵を壊滅するのだ」と。
 
2) Ch'en Hao はつぎの諺を引用する,「鳥や<RUBY CHAR="獣","けだもの">は,追いつめられると爪や牙を剥(む)く」と。Chang Yuは「敵方が乗ってきた舟を燃やし,調理用具を壊したのなら,それは戦いの結果にすべてを賭けている証拠だから,ぎりぎりにまで追いつめてはいけない」と言う。
 Ho ShihはYen-ch'ing 将軍の生涯からの物語で例証する,──A.D.945年,将軍は同僚の牧重威と共に,契丹の巨大な軍勢に包囲されていた。その国土は地面が露出した砂漠状で,少数の中国人部隊は人々は泥を搾り取り水気を吸い取った固まりに化そうとしていた。その人数も急速に激減して,ついにFu Yen-ch'ingが叫んだ,「このままでは,絶望だ。鎖でつながれて捕虜の身となるよりは,お国のために死んだがましだぞ!」にわかに北西からの強風が巻き起こり,あたりは砂嵐の厚い雲に閉ざされた。重威にとっては,このことは,最終攻撃を決定する前までに和らいで欲しい事態だったのだ。しかし幸運にも別の士官 Li Shou-chengは素早く機会と捉えて,言った,「敵は多勢,味方は寡勢。しかしこの砂嵐の中では,わが軍勢が少ないことは敵には知られません。勝利は勇猛なる戦士の上にやって来ます。」しかも風もまたわが軍の最高の味方です。その結果,Fu Yen-ch'ingは騎兵部隊で突然の全面的な予期されない猛攻撃を仕掛けて,蛮族の路を,安全に突破することに成功したのだった。」

37.こうしたやり方が戦争の技法である。



第8章】戦術の応用動作 へ