J.Sibeliusに関する36のTips
♪20世紀激動の時代を、さむ〜い北の国フィンランドで生きたシベリウスのTips集です。
シベリウスって一体どんな人だったのでしょうか?断片的な情報を並べることで、その人物像を浮かびあがらせてみたいと思います。
- ヤン=ユーリウス=クリスチャン=シベリウスはフィンランドの作曲家。
- 1865年12月8日生まれの射手座。
- フィンランドの内部地方のタワステフスという小さな町で生まれた。
- お父さんの職業は連隊医。
- ヤンネと呼ばれてました。(ヨハンの愛称、ジャンはヨハンのフランス語読み)
- 夢想癖があって自然になじむのが好きで、森や湖に 出て、色々な鳥の声や木々の音や香りから何かを感じ取っていたようだった。
- 学校の授業中も、上の空で、よく先生に怒られたらしい。
- ヤンネは小学校で劇をやると必ず王様の役をやった。(おおっ(^^;)
- 音楽会(学芸会のようなもの?)の器楽合奏(ハーモニカ、 笛、小太鼓、トライアングルとかの)では、指揮者をやった。
- 9歳の頃にピアノを教えられる。
- この頃に作曲も始めたらしい。「水滴」というヴァイオリンとチェロのピッチカートの曲が残っている。
- ヴァイオリンは15歳のときから習い始めた。先生は町の軍楽隊長。
- 森の中や湖のほとりで、その自然の美しさを音楽で表そうとして、一日中バイオリンを弾いてたこともしばしば。
- ほとんど独学で作曲理論の知識を得る。
- ヤンネは、音楽を持って身をたてようと思ってなかったし、親は元よりそんなつもりはなかったみたい。
- ヘルシンキ大学の法科に入学。
- 同時に音楽学院の選科生としてバイオリンと作曲法を学び始める。
- 結局、音楽のみに熱を入れるようになり、翌年には法科を退学。音楽家シベリウスの誕生。
- ヤンネは神経が細く、あがり症だった。音楽院で1番をとるほどバイオリンの腕が優秀だったにもかかわらずバイオリニストの道を諦めたのは、このためとも言われている。
- 音楽院卒業後、ベルリンへ留学、翌年ウィーンへ留学。
- 留学中に社交好きがエスカレートして、酒、葉巻にはまっちゃって、経済的破綻を招いたり健康を害したり・・・(^^;
- ヤンネは父親から自分の財力をかえりみず贅を尽くすという 性格を受け継いだ。自分は飲み屋にツケで払っているのに、友人の借金の保証人になるなどという、おめでたい人だったらしい。^^;
- 1890年(25才)ウィーン留学前(?)に、アイノ・ヤノフェルト(19才。かなり可愛い)と婚約。
- アイノの母親(ヤノフェルト夫人)は、女性の独立運動に興味ももっていたらしい。アイノもややその影響を受けている。
例えば、シベリウスに馬車で家まで送ってもらった際に、こっそり 彼にわからないようにポケットにお金を入れている。これは、当時では
男性の名誉を傷つけ兼ねないような行為であったが、女性の独立、という意味だったらしい。(結婚前の話かな)
- アイノのヤノフェルト家は、ロシアとフィンランドの名門。兄弟は皆、有名な詩人や芸術家だったりする。
- アイノは、ともすると考え込むタイプで、直感人間のシベリウスとは違い、熟考型人間だったもよう。
- ウィーン留学から帰ってきて、アイノと結婚。音楽院で教授職に就く。
- ウィーン留学中に着手された、フィンランド国民的叙事詩「カレワラ」に基づく大作「クッレルヴォ交響曲」が留学帰りの自作コンサートで大成功!シベリウスの知名度がぐっと上がります。
- 交響曲第1番は1899年に完成。翌年パリの万国博覧会で演奏され、北欧最大のシンフォニストとしてヨーロッパ音楽界に広く知られていくようになります。
- 1908年、喉に悪性腫瘍(要するにガン)ができていることが判明。何とか金をかき集めて、当時名を良く知られた外科医に手術を受け、腫瘍は除去されます。
- 大好きな酒、タバコを禁じられ、シベリウス暗黒時代へ。(酒タバコはともかく、再発の恐れにさいなまされることに)
- ・シベリウスは高級品志向が強く、背広や靴、帽子などは パリから取り寄せたり、それが不可能な時にはヘルシンキの
最高級品店から買ったりしていた。彼の家にはいつもその請求書が やってきて、その支払いに追われるのだった。そしてまた借金が・・・
- 交響曲第4番は、死のイメージと戦いながら作曲されました。
「酒もなにもなくとも仕事ができなければ。絶対にできなければ!死と隣り合わせなのだから!それが、事実なら・・・」(シベリウスの日記)
- 死と向かい合うことにより、新たな境地を切り開いたシベリウス。1914年に新しい交響曲に着手します、これが【交響曲第五番】。
- 1924年に最後の交響曲、第7番が完成。1929年に作曲がとぎれ、以後長い沈黙。
- 1957年9月20日、脳出血のため永遠の眠りに、享年91才。葬儀は国葬として、国を挙げて行われました。
- 奥さんのアイノさんは、1969年にお亡くなりになりました。享年98才!フィンランドって長寿国なの???
- 参考文献
- 作曲家別名曲解説ライブラリー「北欧の巨匠」 音楽之友社(1994)
- Finlandia 19 , AINOLA 17 日本シベリウス協会(1996)
- カレワラ(上・下) 講談社学術文庫(1983)
- ポスト・マーラーのシンフォニストたち 音楽之友社(1996)
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