◆ ウイルスなんて怖くない? ◆
(エボラウィルス電顕写真 / AP)
「アウトブレイク」という映画を観ましたか?
現実に流行っている「エボラ出血熱」のニュースを聞きましたか?
こういうのを知ると、この世の中には恐ろしい病気が満ち溢れていて、
人間は無力で、いつ死ぬかわからないのだなぁ、という不安な気持ちに
なります。
でも僕はあまり恐ろしいとは感じていません。たぶん一般の人が感じる
よりは気楽にしていると思います。その理由は幾つか思い当たります。
- 進化のことを考えていると、死ぬとか絶滅するということが、
自然界では当り前で、必要なことだとさえ思えてくる。
- エボラウイルスのような強力な病が流行っても、
全人類が滅亡することはないと予測する。
1は、この言葉通りですが、詳しくはまたの機会に。
2について、もうすこし掘り下げてみましょう。
■ ウイルスがいるべき場所
ウイルスにとって、「感染した宿主をすぐに死に至らせる」というのは、
不自然な振る舞いです。
なぜなら、すぐに宿主がいなくなる、ということは、自分が存続する
環境がなくなる(=死)、ということだからです。
宿主が死ぬ前に、自分を別の宿主にコピー(感染)する「潜伏期間」がなければ、
致死率の高いウイルスが大流行することはできないでしょう。
エイズが広まったのも、長い潜伏期間を持つことが1つの理由です。
生物が種として存続するためには、自分が安定して存在できる環境が
維持されていなければなりません。
逆に考えると、いま広がりつつあるウイルスも、これまでは安定した
環境のなかで生き続けてきたはずであり、それは別の動物(たとえばある種の
サル)にとりついていて、その宿主にとってはウイルスは弱い作用しか
持たなかったはずです。
そこが、そのウイルスの「本来いるべき場所」だったのですが、なんらかの
作用(人間の自然破壊?)によって、いるべきではない場所、つまり人間の
体内に入り込んだために、凶暴な振る舞いを示すようになったのです。
そう考えると、ウイルスがもとから凶暴な存在だった、とは思えなくなるし、
責任の一端が自分たちにあるという気もしてきます。
本来いるべき所ではないところに迷いこんだために、害を及ぼして
いるのだ、という考えは
「寄生虫館物語/亀谷了」
の中にも見られます。
■ 感染症では滅亡しない
それから、潜在的多様性のことがあります。
エボラ出血熱の致死率は50〜80%と言われています。でもこれが広く流行ったら、
人類が滅亡するか? というと、それはないでしょう。
新しいウイルスに対して、人間の免疫システムは個人毎に違い、多様性が
あるので、割合は少なくとも、ウイルスに平気な人がそのうち必ず現れます。
その人が見つかったら、その免疫系を調べればワクチンを作ることが
できます。そこまでくればあとは科学の力で何とかなるでしょう。
感染症によって種が絶滅しない、という例は、「オーストラリアで
過剰発生したヨーロッパウサギを人為的にウイルス散布によって
一掃しようとしたがそれは失敗し、結局ウイルスに耐性をもつウサギと、
弱毒化したウイルスが安定して残ることになった」というものがあります。
(「科学」1994 Vol.64 No.10 p625 野性動物の感染症流行/甲斐)
もちろん自分から積極的に死にたいとは思いませんが、視野を広く持って、
ウイルスくらいで人類は滅亡しないぜ、後は頼む、と考えれば、
ちょっとは気が楽です。
1995/05/31 T.Minewaki
2001/06/04 last modified T.Minewaki
→ ホット・ゾーン(書物)
→ アウトブレイク(映画)
→ 寄生虫館物語(書物)
→ エイズ耐性遺伝子 人口の過半数に
100年後のアフリカ(新聞記事)
↓ 進化の方向、発想の転換
→ 生命のよもやま話
→ MINEW のホームページ
T.Minewaki / minew@post.email.ne.jp