◆ 僕に ピカッ が来た日 ◆


進化の方向、発想の転換 :
> 今、僕達が見ているのは、生き残ったものだけです。
> 消えてしまったもの達の声を聞くことはできません。
> 発想の転換が必要です。
ああでもない、こうでもない、ううむ…
あっそうか!(ピカッ)
という瞬間は、なにものにも代えがたく楽しいものです。


僕自身が、「いったい自分は何のために生きているのかなぁ?」と 考え始めたのは、小学5年くらいの時だったと記憶しています。
学校からの帰り道、川沿いの土手の砂利道を歩きながら、流れる雲を眺めて、

大人になったら何をするべきなんだろう? 何のために僕は生きて成長して、 子供産んで、それが育って、子供産んで、育って、… その先には、 神様が用意した、なにか人類としてなすべき大仕事が用意されているのかなぁ。 それはなんだろう、う〜んう〜ん…
わかんないや。世界はまだその大仕事の時期が来ていないってことなのかも。 とりあえず自分は、次の世代の子供を残しとけば、あとは彼らがその時に 考えてくれるから大丈夫だろう。
などと考えていました。(ませたガキ)

それから、約16年たったある日、
1990/10/29 TV朝日「アフターマン」という番組 (それは、人類が滅亡した後に、どんな生物が知的生命体として 進化してくるかを想像した番組)を観ていた時でした。

ピカッ はきました。

そうか、目的なんて、ないんだ。
みんな、結果の側から過去を見ているから、
あると思っちゃうんだ。
その日の日記は、興奮に満ちてびっしり書き込みがされています。
それから2〜3日、興奮は続き、長年の謎の多くがぱらぱらと 解けていきました。
世界観がひっくり返った瞬間でした。この時の考えが、いまでも 進化についての発想のもととなっています。

人間の思考は、効率を優先するために、まず目的があるのだ、 という考え方に慣れていますが、自然現象である進化を考える時には、 その思考回路を切って、ただ現象を眺めてみる方がとらえやすい のではないかと思います。


* 「アフターマン」で覚えている一場面。
暗い空から恐竜が降ってくるアニメーション。 恐竜の尻尾は傘のように、皮膜がパラシュートのように広がっていて、 それを空気抵抗としてゆっくり降りてくる。
尻尾が傘だって? そんなのあるわけないじゃん。聞いたこともない、はっはっは …んーでも待てよ。待て待て。 ほんとうにいなかったと言い切れるか? 進化はどんな変異でも作り出してしまうんだから、何億年も試行錯誤を 繰り返してるんだから、いつかの時代にはいた、と考えた方がいいんじゃないか? ただ、今はいないから昔もいなかったような気がするだけだし、化石が見つかって ないからいなかったような気がするだけじゃないのか?
そして、ひょっとしたら、そういう、いたなんて想像もできない生物のほうが はるかにはるかに多いんじゃないのか。それらはある時期にいたけれども、 生存競争に負けて、絶滅して痕跡もなくなった。今この世界にいるものは、 たまたま勝ち残って続いている少数のものにすぎない。
あ、そうか! それが進化か。 (2000/02/27)


* 「生きる目的は、ない」というのは、目的を持ってはいけない、 という意味ではありません。
生物として、人間として、共通に設定された目的が、あらかじめ あるのではない、ということです。 個人個人がそれぞれに、自分で目標を定めてそれに向かって努力するのは 自由です。なにを目標としても良いのです。


1995/04/09 T.Minewaki
1995/09/28 modified for HTML T.Minewaki
2000/02/29 last modified T.Minewaki

空は飛びたし羽根は生えず
生命のよもやま話
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