◆ 死ぬようにできている ◆


生物は、死ぬようにできています。
それは、逃れられない、自然なことです。

遺伝的な病気、というものがいろいろありますが、 進化的に、遺伝病は排除することができません。蓄積する一方です。

例えば、ある種のガンは遺伝的な病気で、その人の子供が ひとり立ちする程度に成長した頃、50歳くらいで発病する、とします。
その人が発病した時、すでにその遺伝子は子にコピーされています。

Diagram1
その子は、次の世代の子供を残し育てた後、親と同じように、50歳で また発症するでしょう。 これはどこまでも続きます。その家系が全滅しない限りは。

もうすこし正確に言うと、
「繁殖年齢を過ぎた後で発症する遺伝病は、進化的に排除されない。」
逆に言うと、
「繁殖年齢前の若いうちに発症する遺伝病は、進化的に排除される。」

これの怖い所は、排除できないだけでなく、どんどん蓄積する一方だと いうことです。
上記の例では50歳で発症するとしましたが、もし、51歳で発症する 遺伝病も同時に持っているとしたら、それも子にコピーされます。 それは、発症する51歳より前に死んでしまうので、持っていることさえ 気づきません。

さらに、もし新たに49歳で発症する遺伝病をなにかの偶然で(例えば そういう配偶者と交配してしまって)取り込んでしまうと、今までの 50,51歳で発症する遺伝病を保持したまま、さらに49歳発症の遺伝病を 追加してしまいます。

Diagram2
それが幸なのか不幸なのか、とにかくそういうしくみが何億年か ぐるぐる回って、現在に至っています。そのしくみは うまく回っていたのだし、すでに回ってしまっています。
(ここで、賢明な読者なら寒気を感じると思う。)

現在の、私達の遺伝子に含まれている、潜在的な遺伝病はいったい 幾つあるでしょうか? おそろしく沢山あるはずです。 繁殖年齢を過ぎると、次から次へと発症するように遺伝病はプログラム されていて、そしてそれらのうち、最初に発症する幾つかが原因で、 人は死んでいました。
…というよりは、健康で生きていられる状態が、いかに稀で 短い期間でしかないのか、という見方をした方が良いかもしれません。

現代は、医療技術によって、早いうちに発症する病気が見つかると それを治療する方法を開発して来ました。次から次へと治療法は開発され、 そして寿命は伸びました。
しかし、上記の理由により、目の前の一つを解決すれば、また次の未知の 遺伝病が現れるというその繰り返しは、この先もどこまでも果てしなく 続くことでしょう。

(例えば、アルツハイマー病、パーキンソン病、老人性痴呆、などは まさに寿命が伸びたことによって顕在化した病気です。 そしてこれらの確実な治療法は、今のところありません。)



おそらく、死は必要なものなのです。

現在は、勝ち残った生物たちで満たされた世界 ですから、そのほとんどの生物が寿命を持っている (死なない生物ってのを僕は知らないが、ひょっとしたらいるかもしれない)、 ということは、そういうやり方でないと生物として勝ち続けていけない、 ということの歴史的証明なのでしょう。
だから、人間が不老不死を望んでも、それは実現できないし、 実現したとしても、その時にはそれはもう「生物といえない何か」 になってしまっているような気がします。

生き残るのに有利だからその遺伝子が固定する、という考え方が よく言われますが、同じような仕組みで、繁殖後に死ぬようにする ことが子供の生存に有利だから「死ぬ遺伝子」が固定する、 ということもあるのです。

繁殖年令に達しないうちは「なにがなんでも生きる」という強い欲望が あるのは進化的に当然のことです。
しかし人間の場合、子を残し、子が独立し、自分の生殖能力がなくなってからも 「いつまでも生き続けたい」という意志・欲望があるというのは、 「若い頃の名残り」に過ぎないと思います。 それは進化的に安定ではないので、歴史が進めば、生殖後の死を肯定するような、 別の思想・宗教・社会ルールがとって替わるのかもしれません。


1997/06/22 T.Minewaki
2001/08/08 last modified T.Minewaki

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