◆ オカザキズム 岡崎京子研究読本 ◆

Okazaki-ism
作品名:オカザキズム 岡崎京子研究読本
著 者:OKAZAKI Principle Alliance(10人、MINEW含む)
発行所:21 世紀 BOX
発売元:太陽出版
発行日:2002年8月25日 初版第1刷発行
サイズ:A5 版 327 ページ
定 価:1500 円
ISBN4-88469-269-1 C0076 \1500E
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(目次)

MINEW のホームページを見た編集者の方からコンタクトがあり、 この本の一部を執筆させていただきました。 以下に MINEW の執筆した部分(046〜057 page)を転載します。

■「ポンプ」と岡崎京子

 1980年代前半、僕がはまっていた投稿雑誌、それが『ポンプ』。 それは読者投稿のみで構成されるという、今思えば奇跡的な成立のしかたを していた、他に類のない雑誌だった。そこに、デビュー前の岡崎京子も 常連投稿者として登場していた。

◆ ポンプのこと

 まずは『ポンプ』について説明しておく。『ポンプ』は現代新社発行、月刊の、 全国からの読者投稿のみで紙面すべてが構成された雑誌である。 創刊は1978年にさかのぼるらしい。
 僕がそれを発見し読むようになったのは1980年頃と思うが、 そこに載せられている、短くたわいのない話の中に「親密なひそひそ話」的な リアルさを感じた。嘘がない、本音が集まっている感じがした。 それは他のどんな出版物からも得られない、新しい気分をもたらしてくれる ものだった。
 例えば、授業中にクラスの友人から回ってくる、小さな紙切れに書かれた 短い内緒話、それが何百切れも集まっていると想像すると近いと思う。 高校生という多感な時期を東北の小さな街で過ごしていた僕は、 あっという間にその魅力にはまり込んでいった。

 約70ページ、二つ折りで綴じられた冊子の真ん中の見開きページは、 罫線が印刷された組み立て式の便せん兼封筒(「ポンプ・レター」と呼ぶ) になっていて、それに文章を書いて送ればすぐに投稿できるようになっていた。 その他にイラストや漫画や写真を投稿しても良い。毎月400件ほどの投稿が 掲載され、その内容は、たわいないの・深刻なの・勉強・恋愛・セックス・ 生きること死ぬこと・噂話…なんでもありだった。だって「なんでもあり」が 編集方針なのだ。時には編集部から提案されたテーマについて集中議論したり、 自然発生的にある話題が盛り上がったりもした。

■ポンプ取扱い説明書■(『ポンプ』3ページより)

●ポンプは特別な人たちのメディアではありません。特別に頭の良い人や、 特別に才能を持っている人、特別に有名な人たちだけのメディアでは ありません。
●ポンプでは、今を生きている人が生きている中で発見したことを、 みんなに伝えていこうとするメディアです。ポンプは、みんなから送られてきた、 生きた情報で作られます。
●(途中略)
●原稿は、あなたのオリジナルなものであれば形態を問いません。 文章、写真、イラスト、マンガ…その他、なんでも構いません。 じゃんじゃん送ってください。(以下略)

 毎月10日発売、定価230円。発売日に買って色ペンでコメントを 書き込みながら読んだものだ。ハズレ投稿も多いが、ツボにはまった時には すごい! あまりの印象の強さに、頭に刻み込まれてしまったフレーズも数多い。
 例えば「キャンディの包みを開ける音は私には『ぎにゅるんぎにゅるん』 と聞こえる」とか「ボクサーが打たれた時に口から出てくる白いものは 『胃袋』だと思っていた」とか、あははのは。またある時は「拒食症」 進行中の女の子からの投稿があり、別の体験者から「そのままじゃ 死んでしまうからやめなさい」と説得の投稿が載ったりした。 そこには想像もつかないことを思い、体験し、悩んでいる人々がリアルに ひしめいていた。

 投稿し掲載されるという興奮もたまらないものだった。 『ポンプ』を読み始めて間もなく、僕は文章やイラストや写真を投稿するように なり、幾つかは掲載された。 そしてそれが次号への意欲となり、はまり込んで行った。 報酬も反応もなかったが、曲がりなりにも全国誌、自分の言葉が採用され 編集され活字になり日本全国の書店に並び読まれるという事実には、 少なからず感動を覚えた。病みつきになる。みんなそうだったのだろう。 10代後半からの、自己顕示欲の高まりと現実の閉塞感のはざまでもんもんとする 若人の格好の「声溜め/ボイス・プール」として、『ポンプ』は機能していた。 しかし逆にいえば、非投稿者にとっては魅力の薄い、投稿者のみが固まった 小コミュニティだった可能性もある。

 今でいうインターネット上の「チャットルーム」や「掲示板」を 紙と郵便を媒体にしてやっていたことになる。不特定多数同士の会話の広場。 「ポンプと文通している」ような印象があった。投稿に返答がつくのに1ヶ月、 2ヶ月がかかる気の長いやりとりになってしまうが、反響コーナー 「ボイス・スクランブル」では確かにコミュニケーションが成立していた。 インターネット環境が一般人に普及するのが1995年としても、 『ポンプ』はそれを15年も前にやっていたのだ。その点では『ポンプ』の 狙いは時代を越えて核心を突いていたのだと改めて感心する。

◆ 岡崎京子とイラスト投稿者たちのこと

 紙面のほとんどは活字文章だったが、個性的なイラストも多数投稿されていた。 そのなかに岡崎京子がいた。彼女も表現欲にあふれ行き場を求める女の子 だったのだ。ノートの隅にさらっと書きつけたような軽いものではあるが、 伸びやかな「岡京」のタッチがこの頃から形作られつつある。
調べてみると掲載数は思ったほど多くはない。1983年頃が多いが、 各号に1、2カットが載っている程度。印象の強いところでは1982年7月号の 表紙に大きなイラスト、1983年3月号のまんなかへんに顔写真入り年賀状、 1983年8月号の表紙に岡崎京子とその妹の笑顔写真(!)が大きく 掲載されている。
 イラストも気に入っていたが、顔写真が載るに至って僕は、まだ見ぬ大都会 「東京都世田谷区」に住むイラスト好きの明るくイカシタ女の子に一方的に 親近感を抱き(だって同じ雑誌に載ってる投稿仲間だから!) いつの日かの出合いを夢見たりしていたのだった。もちろん実現はしていない。

 岡崎京子と同時期のイラスト常連投稿者に、 神戸ゆいち(※1)、 岡林みかん※2)、 箕輪絵衣子(※3)、 まつもとまさゆき、石井裕子、… などなどがいた。それぞれ独特の味があるイラストを描く人々だった。 神戸ゆいちは岡崎京子のお気に入りのようで、神戸氏のイラストをプリントした 「ネコ目Tシャツ」を自主制作し誌上で販売までしていた(1983年3月号 438番投稿)。もちろん注文しましたよ。なかなか届かずに催促の手紙まで 書いたのも懐かしい思い出。

 『ポンプ』の後期、1984年3月号を最後に岡崎京子のイラストは 掲載がなくなっている。岡崎京子の初単行本 『バージン』が出版されたのが 1985年8月(偶然にもポンプが終刊した月でもある)だから、 もうそれ以前から投稿雑誌は卒業してプロの漫画家として作品を 描いていたのだろう。デビュー前、なにかの偶然で「漫画ブリッコ」誌に 作品が掲載されているのを見つけ、へぇー漫画家になったかぁと 妙に嬉しく驚いたのを覚えている。その後の大活躍はみなさんご存知の通り。

 さらに後になって、1993年に岡林みかんのデビュー作 「無果汁100%」※4)が出版された。 これはすばらしいコミック作品である。また箕輪絵衣子は某漫画週刊誌の イラストコラムを担当しているのを見かけた。『ポンプ』で 好きだった常連投稿者がその後プロとして活躍しているのを知ると、 古い友人にばったり再会したような感慨が湧きあがる。

◆ ポンプの終り

 残念ながら『ポンプ』は今はもうない。終刊は1985年8月号。 突然、末尾のページに「編集部より●ポンプは今月号(通算七十八号)で終刊、 おしまいです。」と告知があり、あっさりと消えていった。 「終刊理由は、要するに売れないからです。 (たいていの休廃刊誌の理由がこれだ! あたりまえか)」とある。 その後しばらくは、毎月の生活から何かが欠けたような気がした。

 現在、僕の手元には1982年5月号から終刊号まで39冊が残っている。 処分する気にはなれない。小さいながらもその時の生きた声が詰まっている という気がする。その中に自分の声もある。読み返すと面白くて 止まらなくなるが、それは懐かしいからだけではない。不思議と古くならない。

 もう二度とこのスタイルの雑誌が発刊されることはないだろうと思う。 今はインターネットがある。地球の裏側と数秒でチャットができる時代に、 紙媒体でやりとりに1ヶ月なんてやり方はもう支持されない。 失われ忘れられてゆくもののことを思うと、なんとなく寂しいがそれも 時代の流れ。しかし、媒体が変わろうともコミュニケーションの核心は 変わらない、ということを僕は『ポンプ』から知った。

◆ 岡崎京子作品とポンプ

 岡崎京子のデビュー作『バージン』は前記のとおり1985年8月に 発売された。いやうれしかったですねぇ、これを本屋で見つけた時は。 岡崎京子が漫画家になったらしいことはうすうす知っていたが、 こんなに立派な本を出すまでになっていたとは。すでに『ポンプ』は終刊し 彼女のイラストを見ることも無くなっていたので、行方しれずの憧れの人に 突然出くわしたような感じ。『ポンプ』投稿時と変わらない、(漫画家としては) 素人っぽい絵のタッチもそのままだった。

 単品イラストは知っていたが、彼女の語るストーリーを初めて読んだ ことになる。なんというか、あっけらかんと赤裸々な口調で、女子高校生や 女子大学生くらいの日常感覚がつづられている。女の子同士の気のおけない会話に 混ぜてもらっているような感じ。「タンポンの正しい使い方」とか、女の子の 処女喪失感「CURRY RICE」なんて、普通の男の子にはとても 伺い知ることができないような話題、勉強になりました。

 どの作品も背景には明るい開き直り楽観が漂っている。
 「何でもアリ、感じてるとおり描いちゃっていいじゃん、過剰にドラマチック じゃなくていいじゃん」。
 思えば、それは『ポンプ』の持ち味でもあったのだ。岡崎京子が 『ポンプ』の影響を強く受けていただろうことは想像に難くない。 目に見えるところでは、

●「バージン」のあとがきより:
「『TVより君が好きさ』のタイトルは友人の松本政之君から 勝手に借りました。」
●「ボーイフレンドISベター」収録「恋はエスプリ」の末尾欄外より:
THANKS TO MIKAN OKABAYASHI, YUKO ISHII, ...

 とある。松本政之も岡林みかんも石井裕子も『ポンプ』のイラスト常連投稿者 であった。不意に現れた懐かしい名前にニヤリとさせられる。どういう関係 だったのか定かではないが、『ポンプ』を通しての友人関係が広がっていたことが 伺われる。

 目に見えない部分でも、もともと岡崎京子が持っていた志向に、『ポンプ』が 心地よい居場所を与え、彼女の『ポンプ』的成分はそこで育てられたのでは ないだろうか。「あぁ、こういう語り口でいいんだ、これが面白いんだ」と。 『ポンプ』を通してそういう確信を得たということはあったかもしれない。

 『ポンプ』が終刊した欠落を埋めるように、ポンプ的語り口を持った 漫画家として登場した岡崎京子に、僕はさらに惹かれていった。
 それは自然ななりゆきだった。次々とリリースされる作品群を 僕は繰り返し読み、それが彼女から僕に届けられる内緒話の小さな紙切れで あるかのように、描かれたキャラクターに岡崎京子を重ねていた。
 いつの日かの出合いを夢見て、ブリーフ派から彼女好みのトランクス派 (※5) へと変身を試みたりもした。

 彼女と会えるのはいつの日になるのだろう?
 岡崎京子の幸せを心から祈る。

2002年3月31日 嶺脇 隆邦



※1 神戸ゆいち または 神戸U一 ※2 岡林みかん ※3 箕輪絵衣子 ※4  「無果汁100%」岡林みかん(1993年、角川書店) ※5 もてる男はトランクス

2002/08/03 T.Minewaki
2002/08/05 last modified T.Minewaki

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