◆ ポンプ ◆

Pump 1982/11
雑誌名:ポンプ
著 者:投稿雑誌、いろんな人
発行所:現代新社
    毎月10日発売
    (1978年創刊、1985年8月号で終刊)
定 価:230 yen

(写真は 1982年11月号)


高校から大学までの時期(ということは 1980〜1985 くらいか?)に けっこうはまっていた投稿雑誌。 残念ながら、かなり前(1985 頃?)に廃刊となってしまった。 今じゃすっかり昔話、知ってる人も少ないと思うが、僕にとっては 思い出深いので書きとめておくことにする。

当時はまだ地方都市のいち高校生だった僕は、たまたま本屋で 「ポンプ」を見つけて、へー日本中にはいろんなことを考えてる人が いるんだなぁって驚いた。一般人の投稿で成り立つという雑誌も 珍しかった。
そこには、全国各地の若者の、とめどのないおしゃべりが集積されていた。 毎月 400 くらいの投稿。たわいなさの中に深刻なもの、下品なもの、 エッチなものもあり、ひそひそ話のような本音が見えかくれするところが 面白い。「拒食症」の女の子のリアルタイム投稿があって議論が 盛り上がったりもした。
今でいう「チャット」「掲示板」を紙雑誌でやっていたと思えば近いかな。 ほとんどが文字。あと少しのイラストと写真。 毎月発売されるとすぐに買って、色ペンでチェックしながら読んだものだ。 そのバックナンバーは捨てられずに実家にある。今読んでも面白いよ。

あまりの印象の強さに、頭に刻み込まれてしまったフレーズもある。例えば、
 ・キャンディの包みを開ける音は「ぎにゅるんぎにゅるん」と聞こえる。
 ・ボクサーが打たれた時に口から出てくる白いものは、「胃袋」だと 思っていた。
だって、あはは。

この誌上で紹介される漫画本はかなり参考になった。 森雅之、大友克洋はここがきっかけで 読むようになったし。
でもそれどころじゃなく、ポンプ誌上で個性的なイラストを投稿していた 岡崎京子岡林みかん や 箕輪絵衣子 は、 その後プロの漫画家、イラストレータとしてメジャーになり仕事を するようにまでなったのだった。
神戸ゆいち氏のTシャツを岡崎京子に注文し、催促してまで手に入れたのも 懐かしい思い出。確か 1500yen だった。

さて、流れとして当然のことながら、僕もよく投稿するようになりました。 もともとが目立ちたがり屋なのかもしれない。(今だってこうして ホームページ書いているくらいだし。) 短文やイラスト、写真をよく送って、時には掲載もされた。 その中でも、最も大きな掲載のされ方をしたのが、下の「いまここ」です。

◆ 「いまここ」 1982年8月21日 16:00 の記録 ◆

「いまここ」っていうのは1年に1回くらいだったかの企画で、 ある日ある時の日時を決めて、その瞬間に何をしていたかを レポートして送る、というもの。 この時は 1982年 8月 21日 16:00 が指定日時。 写真を撮って原稿を書いて、それは 11 月号の裏表紙に大きく載りました。 全国誌に載るなんて、なんかすごいことになってしまったなー、って 驚き嬉しかった。
以下は掲載された原稿そのまま。イメージをクリックすると 原稿部が拡大されます。


Pump 1982/11 Ura
●ちょーどバイトの終わる時間。 プールはもう終わりなのだが人なつこい小学生は 「おじちゃーんっおじちゃーん、だっこしてっ」 と俺の後をまだ追い駆けてくる。 (しょーこ、ゆーこ、みどり、ゆーこの3年生4人組 可愛いいのでついついおんぶ、だっこ、ついには肩車して プールの中を走り巡って女の子をキャーキャー 喜ばせてしまう。 両腕、腰、首を押さえられているので動けない。
「もー終わりだんてあがれでゃー」
「だめーもっと泳ごー」
「だめだでば。疲れだんて」
「ヤダッもっとおんぶして」
小学2、3年は本当にダダコネがうまい。 一緒に写真まで撮ってしまった。でもこのバイト (小学校のプール監視)も明日でおしまい。 一月近くもガキの相手よくしたもんだ。 ホースから出た水がプールに入って水しぶきをあげている。 プール日誌をつけて、水道の元栓を閉めて、 旗を白から赤へ。出入口の鍵をカチャンと閉めれば 今日もバイトごくろーさん。もう4時53分。はえーもんだ。
[嶺脇隆邦 18 学生 〒065札幌市(今帰省して秋田県)]

1999/05/30 T.Minewaki
2002/05/27 last modified T.Minewaki

好きなものMINEW home

T.Minewaki / minew@post.email.ne.jp