神を愛し、人を愛し、土を愛す 3
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Kristen Kold(1816-1870)
さて、この久連国民高等学校には、多くの著名人が講師として招かれました。その一人であった松前重義−彼は内村の弟子でした−は、やがて理事として学園の運営にも関わるようになり、自分でも昭和12年、東京に「望星学塾」というデンマーク流の学校を設け、戦後にはその経験を生かして東海大学を設立します。東海大学がデンマークのフォルケホイスコーレをモデルとしていることは、それほど知られておりません。また、講師として招かれた賀川豊彦は、学園を訪れた時に書を残してくれました。賀川が残してくれた書には「神を愛し、隣人を愛し、国土を愛す」と記されており、これが学校の玄関に掲げられていたそうです。この書に、三愛精神に謳われている言葉が姿を現わしますが、それついて大谷英一は次のように述べています。
デンマーク教育の本領は、グルントウィの理念を実現したクリステン・コルに聞くのが一番の近道であろう。それは「神を愛し、隣人を愛し、国土を愛する人を作ること」である。この三つの愛のうちで最も大切なことは「神を愛する」といふことである。古い帝国主義的な日本人の頭では「神を愛する」といふことが理解できない。言葉に聞いても心にうなづけないのである。
(中 略)
愛といふ言葉が、翻訳の語彙でなしに本当に国民の心に生きてこないかぎり、日本の教育は民主主義であらうが、国家主義であらうが、いつまでも血の通わないカサカサしたものにとどまるのではないであろうか。「生きた言葉」が語られないのではなからうかといふことを私は恐れる。
デンマークの教育は愛の教育である。コルは斯く三愛主義をもってデンマーク教育の本領を規定した。然し彼は決して学校において信仰の強制をすることはしなかったといふことも重要であらう。国民高等学校は神学校ではない。あくまでもデンマークの「青年の人生観や世界観を確立せしめるための教育」なのであって、信仰を強要したり、画一的知識の注入を目的としたのではない。ただグルントウィやコルの生涯が実証しているやうに、教師自身が信仰に燃えているなら正しい教育ができる。
(「平和の国デンマーク」大谷英一著 弘文堂 昭和23年 P56〜7)
三愛主義の源流は、グルントヴィであると言われることが多いのですが、大谷英一は、あえてグルントヴィではなく、グルントヴィの良き理解者・後継者としてフォルケホイスコーレの建設を進めたクリステン・コル(1816〜1870)の名前を挙げております。これは、グルントヴィ自身は三愛精神を直接には主張していなかったためだと思われます。確かに、コルは、グルントヴィの影響下にありましたから、コルをして「三愛精神」を唱えさせたのはグルントヴィであると言えなくもありませんが、「三愛精神」を世に知らしめた功績は、クリステン・コルに帰せられるべきでしょう。
このクリステン・コルの「三愛精神」が最初に日本に紹介されたのは、ドイツ人ホルマンの著わした「国民高等学校と農民文明」の翻訳を通してではないかと、私は推察しています。この本は、大正2年1月に那須皓によって翻訳・発行され、藤井武の山形県立自治講習所もこの本を参考に設立されたほか、デンマークに関心を寄せる人々の間で広く読まれたものです。
この本の中に、次のような一節があります。これは、コルがグルントヴィから100クローネの資金援助を受けて、リュスリンゲに最初のフォルケホイスコーレを開校した時の様子を描いた箇所です。
一八五一年十一月初旬コールドは十五名の生徒をもって開校した。彼れ自身は歴史科、神話、丁抹史、世界史、国語及び国文学を担任し一人の助手は自然科学及び実用学課、数学、習字を教授した。生徒の年齢には十八歳との制限を置かぬ。彼はグルントウィッヒと反対に確信式年齢を以って尤も適当なりとした。(注 確信式Konfirmation は稍々物心つきたる頃即ち小学校卒業位の年輩に達せし時に行うキリスト教の儀式なり)。然し第一冬期の経験に由って彼はグルントウィッヒの意見が正しく国民高等学校は真に成人者の学校でなければならぬを覚った。又他面に於て彼れはその学校計画を変更した、或ひは寧ろ一定の学課課程表に由て遂行する事を廃棄したとも言へる。モンラット僧正が彼に向て学課課程表無くして学校を何の役に立てるつもりかと問うた時彼は簡単に「本校は国民に神、隣人、祖国を愛することを教へんと欲する」と答えた。モンラットは頭をふりながら曰はく「ハハ成程々々それは如何様御立派な目的で御座る。」
(「国民高等学校と農民文明」ホルマン著 東京堂 大正2年 P124)
ここで、コルはフォルケホイスコーレの意図を尋ねるモンラットに対して、「本校は国民に神、隣人、祖国を愛することを教へんと欲する」と三愛精神をもって答えています。コルにとっては、フォルケホイスコーレの根底にあり、それを支える理念は、この三愛精神であったのです。
ホルマンの「国民高等学校と農民文明」で述べられている三愛精神の言葉が、久連国民高等学校の玄関に掲げてあった三愛精神の言葉、更に現在の三愛精神の言葉と微妙に異なることに注意して下さい。
神 隣人 祖国(ホルマン・那須によるクリステン・コルの三愛)
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神 隣人 国土(久連国民高等学校に掲げられた三愛)
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神 人 土 (現在の三愛)
こうして3つの三愛を比べてみると、最も姿が変わったのは3番目の「祖国」であることが分かります。祖国が国土となり、土になっていったことには、この言葉に関わった人々の思いが込められているような気がしてなりません。
先ほど、久連国民高等学校を建設するに際して、内村が友部にあった日本高等国民学校(加藤完治校長)のもとを訪れたことを紹介しましたが、同じデンマークのフォルケホイスコーレをモデルとしながらも、加藤完治ら当時の農本主義者たちの方向は、キリスト教に立脚した久連国民高等学校とは大きく変わっていきます。
加藤らは、キリスト教の神を日本古来の神道の神とし、隣人とは日本人、そして、祖国とは、天皇を中心とした皇国日本であると三愛精神の中味を変えていきます。山形の自治講習所十周年記念講話の中で語られた加藤の言葉から引用します。
大和民族の理想信仰−キリスト教や仏教ではや々もすると、個人から直ちに神に帰一し、安心立命を得るということが起こり易いが、大和民族の本来の理想信仰に照らせば、各個人は常に、家、村、国家、全世界を通じて神に帰一せんと努力する。しかもその中心点を国家におく。
(加藤完治全集第四巻「加藤先生 人・思想・信仰(上巻)」P112)
そこでまず、天照皇太神の御延長におわします天皇を中心として国民全体が、各自の分担せる業務を完全に果たしながら本来の一心同体を発揚し、かくして世界文明の建設に努力せんとする真剣な人々の一団を作り、これを核心として日本農民の一大革新運動をやりたい気がする。これに対しては私も冬の一ヵ月間位学校を飛び出して同士の糾合につとめる考えである。
(加藤完治全集第四巻「加藤先生 人・思想・信仰(上巻)」P120)
こうして次第に国家主義的な色彩を帯び、日本の農民に土地を得させるためには、朝鮮・中国の土地を植民地化するべきだと主張する加藤らに対し、久連国民高等学校はキリスト教に立脚する立場から、「祖国」の中心は天皇を中心とした「皇国日本」ではなく、我々が生活の場とする「国土」であると考えて否を唱えたのではないかと思います。やがて、「国土」の本質は、我々の命の糧を育む「土」であるという観点から、現在の三愛精神の形に落ち着いたのではないかと、私は推察しています。三愛精神を理念とする教育機関の多くが、農業を学ぶ学校であることも「国土」を「土」に変えさせた理由の一つになるでしょう。