AWE唐津セミナー、唐津ホイスコーレ報告(2000年8月18-20日)その2
李さんのコンサート
李さんのコンサート
福田さんの原稿が以上で終っているので、続きは清水がお届けします。

 李さんのコンサートは協会員との再会を喜ぶ言葉から始まり、再びあの叙情的な歌を聴かせてくれました。春のセミナー以来、八代でのコンサート、Jubilee福岡2000の福岡蔵相会議での集会でのコンサートと協会の縁での出会いが続いています。宮田ファミリーのお子さんも李さんの歌をその場で憶えて口ずさんだりするなど、わきあいあいの雰囲気。

 在日としてのメッセージはウガンダのダニ、デンマークのオヴェにとっても印象的だったらしく、コンサート終了後は3人でいろいろと話しあっていました。通訳を菅原牧師がして、彼も意見を交えていましたので、ウガンダ、デンマーク、韓国、日本の四者会談の様子を呈していました。

 その後は部屋に戻っていつものように酒盛り。場所が狭いのが残念でしたが、夜の2時過ぎまで談笑は続くのでした。50名近い前夜祭の参加者の大半が協会会員でしたので、雰囲気はすっかり協会の定例セミナーみたいになってました。 

 翌朝は、まず名護屋城跡の博物館の見学。秀吉の朝鮮征伐の基地となり、日本と朝鮮半島の歴史に汚点を残すこととなった事件ですが、博物館は日本語、英語のほかにハングルでの説明もありました。人もあまり来ないようなこういう片田舎にしてはとても立派な設備で、これも原発の交付金だろうかという話も会員の中にはちらほら。個人的には、当時の名護屋城の規模の大きさ(大阪城に次ぐ日本第二の城下町だったそうです)に驚きました。漠然と歴史で習ったものの、これほどの大規模な事業とは知りませんでした。

 その後は唐津市内でおくんちの展示場を見学。和紙とうるしでつくった山車は壮麗で、私の好きな祭の一つです。

基調講演
AWEセミナー基調講演
AWE唐津セミナー始まる

 昼食を会場でとり、いよいよAWE唐津セミナーの本番です。参加者は100名ほどになりました。最初はオヴェの基調講演です。これについては、藤森修一さん訳の講演記録があります。以下をごらん下さい。

 オヴェの講演のあと、私(清水)がAWEのような市民主体の社会教育運動のもつ意味について20分ほど解説をしました。自然発生的な地域ではなく、それが壊れた現在、人為的な公共性形成としての市民運動型社会教育こそが地域に代わるコミュニケーション領域になりうる、という趣旨でした。

なお地元の唐津新聞8月21日号のトップ記事によれば、

     オヴェ・コースゴールAWE会長が基調講演で日本とデンマークの教育に対する国家の関わり方の違いや現代での社会教育・生涯教育の必要性を説明。「学校・社会で科学知識・技術知識が重要視される中、三番目の知識の良識・智慧が消えることを危倶してホイスコーレは設立された。生のための学校といわれる民衆大学は将来にとってこそ必要な存在で、第三の知識を学ぶには民主的・庶民的な教育環境を整えないといけない」と話した。
     清水満AWE日本代表理事は「かつて教育の場として機能していた地域が壊れ、これに代わるものとして社会教育・生涯教育の充実が急がれるべき。技術と知識しか教えない学校はスピリッツとアイデアの教育に欠け、現状では日本も子どもにも未来はない。しかし血のつながらない他者との絆、生きることの喜びを分かち合う社会をつくる可能性がホイスコーレにはある」と教育の新しい形を示唆した。
     このあと参加者たちは教育論や国際協力・環境・福祉・地方分権のテーマ別グループ対話に臨み、ホイスコーレの教育法を実践。討論の中で持論や経験談を披露しあい考えを深めた。

 と書いています。

盛り上った環境分科会

 その後は5つの分科会に分かれて、討議します。第一分科会は「教育」をテーマに、オヴェがデンマークのフリースクール運動、藤森さんが日本の教育の問題点を報告したあと、議論に移りました。

 第二分科会の「国際交流」では、ダニ・ナブデラがウガンダを例に市民主体の国際的な協力関係について述べ、ウィンドファームの中村隆市さんがフェアトレードの実践例について報告をしました。

 第三分科会の「環境」は今回の目玉で、反原発の代表的なリーダーの一人鹿児島大の橋爪健郎さんと玄海原子力所長の樋口さんが対面するということが起きました。これまで九州電力は反対派の混じる討論会には出たことはなく、ましてや橋爪さんなどとの対話を拒否してきましたが、どういう風の吹き回しかこのような公開の討論会に出てきたのです。東京では東京電力と反対派の公開討論会はすでに実施されていますが、九州では初めてのことでマスコミ関係者も「よく来たな〜」と驚いていました。本人はあくまでも個人の資格でといってましたが、しかし原発所長は取締役の一つ下の役職ですから、会社に承諾は得ているはずです。

 福岡市の市民グループ「たんぽぽとりで」のみなさんなども参加されていたので、のっけから激しい批判が樋口所長に浴びせられましたが、のらりくらりと「安全です」「わが国のエネルギー事情を考えると原発は必要です」という建前論をくりかえすだけで実のある議論にはならなかったようですが、しかし九州最初の会合として意義は大いにありました。

 第四分科会の「福祉」では、人数こそ少なかったものの、参加者は看護婦さんや介護体験者、あるいは福祉へ進もうと希望する者、アメリカの大学でソーシャルワーカーを学んだ障害者の方など専門性が高い人がそろったので、内容の濃い議論となりました。介護保険の問題点、デンマークの福祉とて万全ではなく、各人の生きるリアリティーをいかに得るかが問題といった話がなされました。

 第五分科会の「地域自立」では、久留米大の駄田井さんが水色の自転車などのご自分の実践の報告をし、県会議員の坂井さんがかつての出雲市の岩国市政の実例を話したあと、議論に移りました。地域貨幣の話なども出たようです。

分科会の様子
分科会の様子
「赤とんぼ」を歌ってお別れ 

 最後に全体会場に戻って、分科会の報告と会場との質疑応答をしました。質疑応答ではくだけた雰囲気で意見交換がなされ、このあたりは本当にホイスコーレやAWEセミナーの雰囲気で、わが国では珍しい堅苦しさのない大きな会合となりました。

 最後に実行委員会の挨拶ののち、ダニの提案で日本の代表的な歌を歌って終ることになり、「赤とんぼ」をみなで手をつないで輪になって歌って終りました。これも参加した日本の人たちには新鮮で、協会のセミナーあるいはデンマークのホイスコーレのあのわきあいあいとした雰囲気をわかってもらえたと思います。とくに実行委員会の方々自身ホイスコーレの体験のない人が多く、肩書きのついた人も多いので、これまでの堅苦しい日本式の会合の発想から抜け出せなかったのでしたが、自然にそういうなごやかな雰囲気となり、彼らにとっても大きな体験であったようでした。

質疑応答の様子
会場の参加者と議論するダニ
文字通り「生きた言葉」での対話。
フィナーレ
みなで手をつなぎ輪になって「赤とんぼ」を歌う。とてもいい雰囲気で終えた。
地域の特性を生かしたワークショップ 

 その後は翌日のワークショップごとに宿泊など散らばります。私は七山村に泊まることになり、そして次の日は「唐津焼体験と海岸でのオブジェつくり」にオヴェ、ダニたちと参加しました。

 七山ヒュッテではまずAWEの会議を韓国から参加の周さんを交えてしました。
韓国でもAWEの支部をつくる方向で動いており、もしできれば日本が貢献したことにもなります。将来的には日韓の人々のAWEを通しての交流をしようという方向でまとまりました。ウガンダでは来年に民族紛争などをテーマに国際会議を予定しており、それにも参加して欲しいという依頼もありました。また来年4月にはAWEセミナーがコペンハーゲンで行われます。これは公開セミナーなので関心のある人なら誰でも参加できます。

 その後は福田さんたちがいるヒュッテに移り、いつものように宴会?。彼が来る途中のフリーマーケットで買った仮面をかぶり、さながら仮面舞踏会(?)の雰囲気。おかしな宴会でした。

 藤森さんや宮田、福田ファミリーは七山での渓流上りに参加しましたが、私たちは鏡山での唐津焼体験と虹ノ松原でのオブジェつくりに出ました。陶芸は学校教育で習って以来の挑戦です。みなさん意匠がすごくユニークでダイナミックにつくるのにはびっくり。素人なのでろくろは使わずに手でこね上げてつくりますが、こういう素朴な方法だとそちらの方法がいいようです。

 昼食を挟んで、虹ノ松原へ移動。乗田さんという画家の方を中心としたメンバーが海岸で漂着物を使ってオブジェをつくり、それらを芸術的に並べるインスタレーションを行っています。それを子どもたちが色を塗ったり、また加工したりして、不思議な空間を楽しむのです。子どもたちの描く色や模様に、「あれはいいよ〜、彼らは天才的だね〜、こんな発想はわれわれには思いつかないよ〜」などと声をあげていた乗田さんでした。ときどきはにわか雨や雷が鳴り、その度にみなでパラソルに逃げ込んで身体を寄せて話すのですが、これもわきあいあいとしていい感じでした。

 その後は実行委員長の馬渡さんの見送りを受けて、オヴェ、ダニそれに私は福岡市へ。夜にはダニがジュビリー2000の国際本部の共同代表ということもあって、ジュビリー2000福岡の人たちと会合をもちました。これについては後日改めてジュビリー2000福岡の報告をいただくことにしましょう。

 ともあれ盛りだくさんの内容で、大きな国際会議であったにもかかわらず暖かい雰囲気で堅苦しさのあまりないわが国では珍しい会議になったことは特筆すべきことではないでしょうか。実行委員会のみなさん、とくに事務局をになった協会会員でもある坂本元嗣さん、桂子さんには心から感謝いたします。

参考:
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