矢切の渡しと柴又帝釈天

友人が伊東左千夫の小説「野菊の墓」 の舞台となった松戸市の矢切村経由、矢切の渡しを手漕ぎの渡し船で葛飾は柴又の帝釈天まで渡ったと聞き、2005年10月19日一人で出かけた。江戸時代 からの櫨こぎの渡し舟はここだけとか。事前に運行スケジュールなど調べたが3月中旬から11月下旬までは毎日客さえあれば随時運行しているらしい。都営浅 草線新橋駅から北総開発線乗り入れの電車で乗り換えなしで矢切駅につく。

左千夫の小説の冒頭に「矢切の渡を東へ渡り、小高い岡の上でやはり矢切村と云ってる所。矢切の斎藤と云えば、この界隈での旧家で、里見の崩れが二三人ここ へ落ちて百姓になった内の一人が斎藤と云ったのだと祖父から聞いて居る」とあるが、江戸川を渡ると北総開発線は小高い丘の下にもぐりこむ。この丘は下総台地で、矢切村はこの丘の上にあるのだ。里見の崩れが・・・の意味も矢切という地名の由来も庚申塚説明板をみてわかった。

下総台上に1,300年前、下総の国府が置かれて以来、国府台は武士達の政争の場となり、北条と武田が関東で覇権争いを していた400年前の1538年と1564年に北条氏と里見氏がここで国府台合戦をし、後の国府台合戦では矢切が主戦場となった。戦没者は数千から1万余 を数えたという。この苦しみから「矢切り」、「矢切れ」、「矢喰い」の地名が生まれ、国府台を矢切台とも呼ぶ。小説の斉藤という旧家は負けた里見氏の家来 だったという設定のようだ。

グリーンウッド氏が高校生時代の1955年に観た木下恵介監督の”野菊の如き君なりき”は原作の舞台である矢切の地を捨てて 千曲川に置き換えたため、矢切台の西蓮寺境内にある野菊の墓文学碑を訪れても郷愁はわかない。ただ矢切の渡し場にゆく小道は今でも風情があり、木下作品の千曲川の渡しまで民子が政夫を見送ったシーンとダブってよかった。

西蓮寺境内にある野菊の墓文学碑

野菊の墓文学碑のある矢切台の坂道

激戦のあった矢切台の坂路を下ると一面の野菜畑でその中を矢切の渡しにゆく散策路が整備されている。 1621-1654年に家康は猿島台地に赤堀川を開削して利根川と渡良瀬川の水を鬼怒川の支流である常陸川に流し込む工事をさせている。 矢切台の高低差が30m以上はあるだろうから、下総台地の上流の猿島台地では仮にこの高低差が少なくなったとしても、パナマ運河工事級の超ど級工事であったことが実感できる。 下総台地や猿島台地はフォッサマグナの東端とされている柏崎ー千葉構造線と一致している。家康はこの中世代から残る自然の土手を開削したということになる。

矢切の渡し場は1616年に江戸幕府が定めた利根川水系の15ヶ所の定船場の枠外の渡しで農作業専門の渡しとして黙認されたという説明があった。

矢切の渡し場にゆく小道

矢切駅構内に最後の渡し船として使われた木造平底の和船が展示されていたが、現在使われている渡し船はFRP製だ。ただ船型は伝統の平底でデッキは木で 覆って昔の雰囲気を維持している。なにより櫨を漕いでわたるので気持ちがいい。ただ少し風が強くなり、水流が早いと川下に流されてしまい。エンジンで遡る はめになる。民営だそうだ。 乗り込む時に船頭さんに100円硬貨を1枚手渡すだけの簡便さである。切符などくれないし、観光説明も一切ない。ましてやライフジャケットなど用意してあ るようにもみえない。江戸時代そのままで素朴でいい。

矢切の渡し

葛飾側は打って変わって東京の町並みである。裏手口から柴又帝釈天題経寺の境内に入り込む。日蓮宗の寺だということは初めて知った。寅さんの映画で知っている寺より大きく、本堂と帝釈堂が並んでいて高床式の廊下で連結されている。

二 天門から境内を望み左側に水場がある。 江戸時代の寛永年間(1624〜1643)に、開山の日栄上人が「瑞龍の松」と呼ばれる松の根元から湧き出してい る水を発見したといわれ、その水がきっかけとなり日栄上人はその地に後の題経寺のもとを開くことになったいわれている。 江戸時代から人々はこの水を御神 水と呼び、この水を飲んで病気平癒を祈っていたという。

裏 手の庭園と大客殿、帝釈堂の木彫を参観する。大客殿の樹齢1,500年という南天の床柱は見落とした。帝釈堂の木彫は昭和4年の完成ということだが、西洋 の寺院の彫刻のようにケヤキの素材をシツコク彫ってあって堪能させられた。ガラスの鞘堂で保護してあるので、火災にあわず永らえてほしいものだ。

柴又の帝釈天

帝釈堂木彫

門前町の柴又屋、別名とらやで蕎麦を食し、名物の草だんごを土産に買って帰途につく。

渥美清の「寅さんシリーズ」は殆ど観ているが、寅さんの威勢のいい口上は正確には覚えていない。友人の飯田氏に教わった。

京成柴又駅から帰ったが、昔は常磐線金町駅から柴又までは観光客相手の人力トロッコ鉄道だったという。

October 21, 2005

Rev. February 20, 2017


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