尾瀬

至仏山*

wakwak山歩会は 梅雨明けの2010年7月20-21日、至仏山(2,228m)に登った。百名山の一つである。メンバーのコンちゃんは奥様の塩見登山の案内人として、マーさんは義母危篤で不参加であった。

至仏山は故まえじま氏が愛した山で5月の残雪期に3度も登っている。グリーンウッド氏は尾瀬周辺は踏査しているが、いまだ尾瀬に足を踏み入れたことはない。若い頃登ったメンバーの二人が不参加のため、未経験者2名がアタックすることになったのである。

幹事のクリさんが立てた計画では山ノ鼻前泊で登り、鳩待峠に下るルートである。この山は谷川岳や早池峰山、アポイ岳と同じく、上部マントル と同じマグネシウムの多いはんれい岩が変性した蛇紋岩のため、滑りやすい。そのためか尾瀬ヶ原の山ノ鼻への下りは禁止されている。山ノ鼻の標高は鳩待峠より200m程低いのだが、鳩待峠から同じルートを往復したくないため、尾瀬ヶ原の山ノ鼻から登るルートを選んだという。


第一日

10:00上野発の特急水上3号に間に合うべく家を出る。15番ホームで合流。特急水上3号はガラガラであった。採算がとれるのか心配になる。沼田で路線 バスに乗り換え、戸倉バス停までゆく。この路線バスも料金が2,100円もするためか、乗客は少ない。殆どの地域住民は自家用車なのだろう。戸倉バス停で 鳩待峠行きの専用バスに乗り換える。900円だ。尾瀬に向かう大部分の人は自家用車か、団体バスで戸倉に集合するようだ。鳩待峠は大勢の客でごった返して いた。

鳩待峠から山ノ鼻まで林の中の木道を下る。尾瀬から登って来る人が殆どで、驚くほど大勢の人間とすれ違う。殆どは大清水から入り、鳩待峠から帰るようだ。しかしまえじま氏は逆が登りが少なくて楽だと教えてくれた。

木道脇に見えた花はモミジカラマツ、アキノタムラソウなどである。ミズバショウは花は終り巨大な葉が茂っている。

モミジカラマツ

アキノタムラソウ

標高1,450mの山ノ鼻の国民宿舎尾瀬ロッジにチェックイン。(Hotel Serial No.483)ここのトイレはウォッシュレット付である。風呂もある。水はふんだんにあり、巨大な浄化槽を持っているためらしい。ただ布団はシーツ無しである。

午後5:00の夕食までの時間、尾瀬湿原を散策する。ワタスゲ、ニッコウキスゲ、ギンラン、クガイソウが盛りであった。

ギンラン

山ノ鼻から至仏山を見上げると、登山道は高天原までは真っ直ぐ伸びている。そこで少し右に折れてまっすぐ山頂に向かっている。

尾瀬湿原から至仏山を望む

尾瀬ヶ原では山ノ鼻が一番標高が高く、東に向かって下がっている。この湿原は昔は燧ヶ岳の噴火でせき止められて出来た湖だっというが、次第に埋まって湿原となったようだ。山ノ鼻の湿原には親からはぐれた月の輪クマの小熊がいるそうだが近づかないようにと注意される。

缶ビールで乾杯。夕食時は会津から来た一団と話す。至仏山のあと御池に置いてきた自家用車まで戻るのだという。

夕食後、風呂の上がり湯で汗を洗い流す。石鹸は置いてない。携帯の電波はない。

 

第二日

朝4:15に明るくなり、目が覚める。昨夜のうちに用意してもらったおにぎりの朝食を食べて5:30出発。用意した飲料水はペットボトル4本のポカリスエット。

尾瀬ロッジを出発 くりさん撮影

朝霧の尾瀬ヶ原は風情がある。

霧の尾瀬ヶ原

股引をはかない足は少し肌寒い。森林に入る。身体が温まり汗が噴出す前に長袖シャツを脱いで、アンダーウエア1枚になる。腕に日焼け止めクリームを塗り増しする。斜面は急で一本調子に高度を上げる。森林限界を超えると日差しが強くなる。

路傍にはイワシモツケ、ハナニガナ、コメツツジ、シロバナミヤマリンドウ、カトウハコベ、ダイモンジソウ、ミヤマシオガマ、ホソバヒナウスユキソウ、ミヤマキンバイ、 イワイチョウ、オンタデ、ミヤマアズマギク、クロマメノキ、タカネイバラ、ムシトリスミレなどが咲いていた。このなかでもカトウハコベ、ホソバヒナウスユキソウ 、ムシトリスミレなどいくつかの種は蛇紋岩のマグネシウムが多いアルカリ土壌に適応した種とされる。蛇紋岩はクロム・ニッケルを多く含み、ニッケルは時として植物に障害を与えることになるため、樹木は生えず日当たりがよいので高山植物が多くなる。

イワシモツケ

 

ハナニガナ

 

コメツツジ

 

シロバナミヤマリンドウ

 

カトウハコベ

 

ダイモンジソウ

 

ホソバヒナウスユキソウ

 

イワイチョウ

 

オンタデ(雄花)

 

ミヤマアズマギク

 

クロマメノキ

 

タカネイバラ

 

 

ムシトリスミレ

 

7:00に300m程登った1750m地点でクリさんが疲労困憊でうごけなくなる。これは下山もやむなしかと思ったが、まだ時間はある。30分休むと登るという。汗をかかない体質とかんかん照りのため、体温上昇が問題だろうと判断し、長袖シャツを脱ぐことを薦め。それから タイツをはいているというので脱ぐことを薦める。これで何とか登山を継続できるようになった。

恐れていた蛇紋岩は風化して表面に粉を吹いたような感じの褐色の石である。人が手を掛けたり、靴底が触れるところは磨かれてテカテカと光っている。幸いな 事に晴天のため、滑るようなことはなかった。折角持ってきたアイゼンの出番は無かった。それにはたしてアイゼンが有効かも分からない。

振り返ると尾瀬ヶ原と燧ヶ岳がすばらしい。燧ヶ岳の左手には会津駒ヶ岳が雄大に横たわる。右手には田代山・帝釈山が並んで見える。 眼下の林間には山ノ鼻の山小屋群が見える。尾瀬ヶ原には池塘が見える。

尾瀬ヶ原と燧ヶ岳

クリさんから褐色の蛇紋岩に寄り添うように咲く、葉が極端に狭く小さな白い花をつけものはミヤマウイキョウだと教わる。たしかにフェンネルの香りがする。ここで小笠原氏がシルクロード取材で訪問したシリアのウガリト遺跡、チュニジアのカルタゴ遺跡など中東、地中海沿岸の遺跡でしばしばウイキョウの群生に出会ったというメールを思い出した。いずれも砂礫地だ。

ミヤマウイキョウ

タカネシュロソウ

斜度が少し減じた高天原では高山植物は咲き乱れている。特に至仏山が基準標本となるタカネシュロソウが沢山あった。南方に目を転ずると目前に小至仏山、そしてその向こうに武尊山(ほたかやま)が見えた。

小至仏山と武尊山

そのまま真っ直ぐ登ると山頂だ。 山頂に至ってはじめて西側の方が急斜面で岩が露出していることに気がつく。積雪期は小至仏山を巻くため東斜面をトラバースしてのぼるということも理解できる。

山頂にて くりさん撮影

北の方角にはまだ雪渓が残った平ヶ岳*(2,139m)が見える。その左手には越後三山の越後駒ヶ岳(2,003m)、中ノ岳(2,085m)、八海山(1,778m)が並んでいる。更に左手にはゆったりとした巻機山(1,967m)、再左端に谷川岳(1,586m)が見える。谷川岳の手前には人工の「ならまた湖」が見える。

右から平ヶ岳、越後駒ヶ岳、中ノ岳、八海山、巻機山、柄沢山、朝日岳、白毛門、谷川岳

そよ風の吹く 心地よい山頂で乾パン、酢漬のアーティチョーク、スパム・ミートの昼食を摂る。酢漬のアーティチョークは至福をもたらしてくれた。乾パンとスパム・ミート は半分残ったが、帰りのバスで肉は全て平らげる。食後、クリさんは風の良く渡る西側のがけっぷちに腰掛けて景色を堪能している。ようやくかなりの時間をか けて昼食を終え、出発しようと声を返事が返るのに時間がかかった。腰掛けたまま居眠りをしていたのだという。

ランチ

11:00出発。小至仏山の山頂は狭い。

小至仏山で くりさん撮影

オヤマ沢田代経由で鳩待峠に下る。小至仏山を過ぎた地点で顔から30cm離れた杭の上に止まっていても目を合わせないと逃げないホシガラスを見る。ハエマツの上でちょんちょんと歩く。

ホシガラス

バスに遅れそうになってオヤマ沢田代は駆け足で過ぎる。クリさんはその少し下の湧き水で顔を洗い、旨そうに飲む。

10分の待ち時間で 14:30発のバスに乗り、16:59発特急水上6号に間に合った。缶ビールで乾杯。しかし猛烈に暑い。38度を越えているのではなかろうか。帰りは半ズボンにした。

バスは新幹線の上毛高原駅までゆくようだから、最終便の特急水上6号に乗り遅れたら、新幹線で帰るという方法もあると気が付いた。

後で知ったが、戸隠ではこの日、高校の同期生のWが炎天下の作業中、心筋梗塞で斃れたことを翌日知った。

さすが至仏山、今回15種を山ノ花リストに加えることができた。

アタック・ルート

至仏山へのアタックルート (褐色)

July 29, 2010

Rev. July 10, 2016


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