北海道

羅臼岳・斜里岳・雌阿寒岳*

wakwak山歩会は2009年8月2-7日、梅雨 明けの羅臼岳(標高1,661m、標高差1,400m)・斜里岳(標高1,547m、標高差867m)・雌阿寒岳(標高1,499m、標高差779m)に登らんと出かけた。

三年前、クラブツーリズムに申し込んだのだが、標高差1,000mの山を3日連続往復するのはきつく、同行者に迷惑をかけると判断してやめた。しかしマーさんの夢断ちがたく、その情熱に乗る形で実現した。

歳を考え、なか一日の休養日を設けて観光に充てるという贅沢な計画である。 年内に計画している阿蘇・久住を含めれば100名山のうち49座のピークに立ったか、チャレンジを試みたことになる。また撮り溜めた花の写真は156種になった。

茶色ルート

第一日

6:29発に鎌倉高校前駅を出発。米国製のクマ除けスプレーはフロン・ガスでカプサイシンを噴霧するものだ。航空機には持ち込めないと判断、家に置いてき たが、ザックにナイフが入っているのに気がつく。駅構造物に隠して、帰宅後回収。羽田発8:05のJALで女満別空港に飛ぶ。高度を下げた機内から屈斜路 湖、摩周湖、羅臼岳から硫黄山に至る山並みが見えた。

移動用にトヨタ・レンタカーを借りる。網走市内のラーメン屋でマグロのタタキの昼食後、小清水原生花園に立ち寄る。隣はラムサール条約登録湿地の涛沸湖(とうふつこ)である。 イランのカスピ海湖畔の町ラムサールで締結された条約のためこの名がある。涛沸湖はオホーツク海に伸びた砂州が作った内海である。2001年9月のバイクツーリング時、嵐の涛沸湖脇で小休止したことを思い出す。今回も小雨である。幅700mの砂州の上に敷設されたJR釧網(せんもう)本線の線路を越えて海岸砂丘上を散策する。丘の上からは涛沸湖の先に斜里岳が見えるはずであるが雨のためなにも見えない。

ハマエンドウ

エゾフウロ

カワラナデシコ

丘の上にはハマナス、クサフジ、ハマエンドウ、エゾフウロ(ハマフウロ)、カワラナデシコ(エゾカワラナデシコ)、マルバトウキなどが咲いていた。もとも と放牧という人為的な効果によって花咲き乱れる草原となっていたのに、放牧をやめてから花は少なくなってきているという。花の維持のために火入れや馬の放 牧をして風景の回復を図っているという。浜砂は今でも鳴き砂だという。石英の透明な粗い粒子が半分混ざっている。

涛沸湖、国道244号線、JR釧網本線、小清水原生花園

次の宿となる斜里駅前のホテルグランティア知床を確認してから知床半島に向かう。 斜里の町は広い敷地のなかに家がボツボツと点在していて米国の中西部の田舎町のようだ。2001年9月のバイクツーリング時に昼食をとった路傍の食堂は気がつかずに通過。

明日の天気が気になるので携帯で天気予報を聞くと朝のうち雨が残るという。そこで明日は観光日ということに決めた。ところがそのうちに雨も上がり、右手に斜里岳が姿を現す。以久科(いくしな)原生花園に立ち寄る。ここからオホーツクの海越しに知床方面を望むと雲が晴れて羅臼岳が姿を現していた。

以久科原生花園から知床半島を望む

園内を散策していると巨大なオオワシが羽を休めているのを目撃、カメラに収める。

以久科原生花園のオオワシ

知床半島の海岸通りには伊豆半島ように山が海にせまって、小さな川が滝となって海にそそいでいる。その一つがオシンコシンの滝である。尾根の上を流れてきた川が海に落ちる直前に横に落ちてしまったという感じである。

オシンコシンの滝  クリさん撮影

ウトロを過ぎ、本日の宿、岩尾別温泉の「ホテル地の涯(はて)(Hotel Serial No.461)に向かう前に知床峠に登ってみる。霧でなにも見えず。引き返してホテルに向かう。 野生の鹿がホテル前の道路脇の法面の草を食んでいる。ホテルに入るまえにすぐ奥の木下小屋を覗く。クマスプレーを1日1,000円で貸すという。岩尾別とは「イオウの川」というアイヌ語だという。 露天風呂は混浴である。ホテル周辺ではmova携帯は使えない。


第二日

再度知床峠(720m)に登る。今度は雲から姿を現した羅臼岳の姿を真近に見る。こちら側からは登れない。登山ルートは反対側からである。

知床峠から羅臼岳を望む

ウトロに下り、3,100円支払って知床観光船に乗る。知床半島を海側から楽しむ趣向だ。岬の先端までは遠いので硫黄山 の真下にあるカムイワッカの滝往復航路を選んだ。砕氷船サロマ号である。夏のオホーツクの海はまるで湖のように静かであるが、冬になれば厳しい北風に吹き 寄せられた波は水深20mの海底から高さ100mまで垂直に立ち上がる断崖に洞窟を穿つ。岸辺には定置網が多いため、観光船は大きく迂回する。

硫黄山とカムイワッカの滝

観光船はカムイワッカの滝でUターンした。この地点からは知床岳(1,254m)とその先にある知床岬が見える。ウトロで味噌ラーメンの昼食をとって後、明日の昼食用のパンとミルクを購入。

知床岳と知床岬

岩尾別川を渡り、知床五湖にゆく。知床五湖は海抜150mの溶岩台地の上にある。一湖からは海別岳(うなべつだけ)こそ見えないが、遠音別岳(おんねべつ だけ1,330m)から知西別岳(ちにしべつだけ1317m)硫黄山までの知床の山は全て見える。5つの湖は台地上に湧き出る水で構成されている。ちなみに昨日見たオシンコシンの滝は遠音別岳から流れでている。

知床五湖より望む知床連山

ホテルに帰ると従業員が今朝、岩尾別川の河原でヒグマが鹿を仕留めているのを目撃したという。今日もすぐそばを車で通過した。

ホテル地の涯2泊目。このホテルは無論空調設備はない。にもかかわらず羽毛の掛け布団のため、気がつくと布団を蹴飛ばして寝ている。そこで窓を開け放して寝ることにしてようやく熟睡できた。

2022/4/24に26人の観光船が沈没。遭難の原因は観光船が荒波に壊れて沈んだと想定できるが、沈船はいまだに発見されていない。


第三日

朝3:30起床。腰痛体操後、パンとミルクの朝食をとって4:24に出発。 ここは日本の再東端にあるため、すでに明るい。かといって早く日没になるかというとそうでもない。緯度が高いためである。コンチャンは体調不良とかで不参加。

5:36には475m地点で小休止。700m地点まで登った時、ホテルの金庫に財布を置き忘れたことに気がつく。やむを得ず下山。8:10にはホテルに帰着した。金庫の扉は開け放しであったが、無事回収。コンチャンがチェックアウトしてなかった おかげだ。カード類、免許証、保険証が全て入っているのだから羅臼岳断念はペイする。ホテルの露天風呂で汗を流し、ふくらはぎをマッサージし、着替える。昼飯のおにぎりをホテルの庭で食す。時間つぶしに 三段の露天風呂に入る。

露天風呂で

15:00には登山組みが帰着。10.5時間かかっている。コースタイムは8.3時間のため1.3倍である。マーさんは山頂に一人で立った。クリさんは大沢の雪渓で音を上げて待ったという。ホテルグランティア知床(Hotel Serial No.462)に移動。このホテルはサンルート系のビジネスホテルで知床駅前にあり、まだ新しく快適なホテルであった。 知床の駅舎は建築家のデザインと思しき超モダンなものである。夕食はホテル前の飲み屋でホッケの定食をとる。


第四日

今日は休養日である。ゆっくりホテルで朝食をとり、明日の斜里岳登山口確認に出かける。 濃霧の中を出発。レンタカーのGPSでは目的地の清岳荘が見つからない。やむを得ず、ガーミン社製ハンドヘルドGPSで目的地を探し出して使った。ガーミ ン社製ハンドヘルドGPSは優れものだ。広大な斜里岳の裾野の条理のメッシュの中で間違わずに曲がるべきところを教えてくれる。道は次第に勾配を増し、直 線道路も終わり、ダートの山道になる。清岳荘は営林署が作ったものとか、やけに立派なもので箱物行政の最たるものだ。

次の目的地は摩周湖の裏摩周展望台だ。これもガーミン社製ハンドヘルドGPSで誘導する。展望台の駐車場周辺にはイワブクロ、オオハナウドが咲いている。

この展望台には非常に失望した。折角の展望台なのに樹木に遮られて湖はほとんど見えない。環境省の小役人が怖くて伐採許可をださないためなのだろうか。出 さないというのならそもそもなぜこのような展望台を造成したのか?ちぐはぐな行政に首をかしげる。下の写真はベンチの上に立ち、カメラを頭上に掲げてメク ラ撮影したものだ。

裏摩周展望台からの摩周湖

次の目標は野付半島だ。清里峠から根室海峡野付水道に向かって下ると広大な農地の中を走ることになる。その中心地である中標津(なかしべつ)は裕福な農地の中心になっているように見える。空港もある。ついに海岸にでる。海岸沿いの標津町は侘しいところだ。野付半島はここから根室海峡に突き出た砂である。海流と冬の北西風が形作ったのだという。半島が釣り針状に囲む野付湾はラムサール条約認定地だ。干潟では数千羽と思しきアオサギが餌さを狙っている。

野付湾のアオサギ

半島の原野にはミヤマタンポポ、チシマフウロ、カワラナデシコ、エゾノシシウド、オオハナウド、アヤメなどが見られた。

この界隈にはトドマツ・エゾマツ・ハンノキ・カシワなどの樹種から成る原生林が江戸時代まであった。しかし地盤沈下によって海水が浸入し、木々が立ち枯れ を起こした。枯れ木群のことをトドワラというのだそうだ。野付半島には数キロ毎に海に乗り出す漁船が置いてあり、定置網漁をしている。

浜の漁船

野付崎灯台でUターンし野付半島ネイチャーセンターに立ち寄る。レストラン・トドワラでホッケの煮魚昼食。眼前に国後島が見える。岸辺の断崖が褐色に光って見える。

国後島

時間があったので羅臼町まで深い霧のなかをドライブ。羅臼漁港では眼前に横たわる国後島を見る。左端には爺爺岳(1,822m)と思しき姿を見る。 知床峠経由で斜里に戻る。

帰路、斜里岳が全貌を現す。

斜里岳とジャガイモ畑

ホテルグランティア知床裏の食堂で野菜炒めの夕食をとる。


第五日

3:30起床、4:00出発、5:17登山口出発。下二股までは谷ルートである。川を十数度も渡渉しながら登る。時には 巨岩に抱きついて横ばいする箇所もある。下二股からは新道ルートを選んだ。旧道のいくつもの滝をクサリで登るより楽だろうと考えたのだが、アップダウンが ありかえって時間がかかった。ほとんどの人は旧道を登り、新道を下るようだ。

下二股手前

新道も尾根筋に出れば楽になる。カラフトイチヤクソウ、ミヤマヤナギが散見される。 ワタスゲのような綿毛につつまれた穂状についた種子をもっている。しかし草ではなく潅木である。初めてみたものなのでで写真を撮って帰って調べるとヤナギ科であるらしい。絞りこむとミヤマヤナギと判明した。刮ハが種子を包んだ綿毛(柳絮)を出している。

カラフトイチヤクソウ

ミヤマヤナギ

熊見峠から斜里岳の全貌が見張らせる。しかしどれが頂上なのかは分かりにくい。近くのピークが高く見えるからである。下の写真には実は頂上は写っていない。左のピークの更に左にある。

熊見峠を過ぎて

帰路に撮影した写真を下に示そう。3つあるピークの真ん中が頂上である。頂上の右手にある前山を右手に下った鞍部 にザレ場となっているところが馬の背といわれるところである。新道は長い尾根歩きの後、旧道が通る谷底に下り、再度、この馬の背に向かって谷底から這い上がるのだ。

本当の山頂

馬の背から前山に登る傾斜はキツイ。そして前山と山頂の間は痩せ尾根だ。

山頂は真近か

挫折しそうになる心に鞭打ち登って山頂に達すれば満足感に満たされる。山頂付近には礼文島でみたウメバチソウや塩見岳でみたミヤマキンポウゲがあった。 山頂では携帯が通じたので登頂成功のメールを送信。

 山頂にて マーさん撮影(光学フィルム)

同じルートを戻り、登山口に帰り着いたのは16:00だった。11時間かかったことになる。7時間のコースタイムの1.5倍かかった。独立峰だが複雑な形状をしていてアップダウンが激しい。マーさんは羅臼岳よりきつかったという。

これから2時間ドライブして雌阿寒岳登山基地の民営国民宿舎野中温泉別館(Hotel Serial No.463)に向かう。途中2001年のバイクツーリング時に立ち寄った噴煙を上げる硫黄山の脇を通過するが、時間がないため通過。弟子屈(てしかが)経由雄阿寒岳の脇を通過する。勾配が急で登りたくない山だ。国道241号線からは深い針葉樹林が遮って雌阿寒岳を見ることはできない。

民営国民宿舎野中温泉は最高だ。内湯は木製、露天風呂は岩組みだが、本格的な温泉だ。明日の天気予報はおおむね晴れだが大気が不安定で雷雨がくるかもしれないという。午前中に下山できるから雷は問題ないだろう。毛布の掛け布団だったおかげで熟睡した。 ここではmova携帯でも不通。


第六日

4:00起床。昨日Seicomartで買ったいなりずしを朝食とする。720m地点の登山口を5:00出発。アカエゾ松の樹林帯を越えるとよく繁茂した匐松の中に入る。本日登山を断念したクリさんが車で出迎えてくれることになっているオンネトーが西側に見える。

オンネトー

六合目(1,200m)まで匐松が無くなり、高山植物が咲く火山礫の裸地となる。 麓には登山口となっている民営国民宿舎野中温泉が見える。阿寒湖の傍を通る国道は針葉樹林が巨木のため山の上からでも見えない。

六合目を見下ろす

八合目まで上ると頭上に固まった溶岩が壁のように立ちふさがる。

八合目付近

溶岩壁の脇を登りきるといきなり噴気音とともに火口を覗き込むことになる。 火口底には黄色い水が溜まっている。これを赤沼というらしい。噴気は火口壁から噴出している。

火口底の赤沼

風に吹き飛ばされないように火口壁外輪にそって用心深く登る。火口壁の外側に目を転じると東側の側面にある噴気口が見えてくる。盛んにガスを放出している。そしてマチネシリ、そしてその向こうには阿寒湖と雄阿寒岳が見える。

山頂手前より阿寒湖と雄阿寒岳方面を望む

山頂で記念撮影。mova携帯は不通である。

山頂にて マーさん撮影(光学フィルム)

そのまま火口壁にそって下ると青沼が見えてくる。噴煙はほとんど蒸気のようだ。

青沼と阿寒富士

阿寒湖からの登山道を左に分けて火口壁にそって更に下る。

火口壁

火口壁から離れて下ると阿寒富士への登山道を左に分ける。 我々を追い越した元気なグループがこの阿寒富士に挑戦している。

火山礫の裸地に多いのはメアカンフスマである。そしてチシマヒメイワタデ、メアカンキンバイ、コマクサが色を添えている。

メアカンフスマ

チシマヒメイワタデ

メアカンキンバイ

コマクサ

あとはただひたすらオンネトーに向かって下るのみ。11:00オンネトー着。6時間かかった。コースタイム4時間だから1.5倍かかっている。オンネトーの湖畔 に環境庁が用意してくれている見晴らしデッキから雌阿寒岳と阿寒富士を望む。 このオンネトー湖畔から二つの山を見晴らすことができるのはありがたいが山の上から俯瞰するとここだけが瑕となって見える。ここでもむろんmova携帯は不通である。

オンネトー湖畔から雌阿寒岳と阿寒富士を望む

野中温泉で汗を流し、着替えて釧路に向かう。車中おにぎりの昼食をとりまどろむ。運転を交代して路傍のソフトクリーム店を見つけて入る。ここでようやくmova携帯が使えた。

「あかんランド丹頂の里」や有料の釧路湿原展望台を訪問したが釧路市街地にちかく湿原からは遠すぎて不満足。鶴居町の観光用丹頂もつまらんだろうとコッタロ湿原に向かう。国道53号、阿寒標茶線(道道243号)、クチョロ原野糖路(とうろ)線(1060号線)を疾走してコッタロ湿原展望台に立つ。コッタロ湿原は釧路川の支流、コッタロ川が作ったものだ。対岸にシラルトロ湖、茅沼温泉が見える。ここには釧網本線が通じている。湿原の奥は原野だと思い込んでいたが実は農耕地であることを発見して驚く。 考えてみれば当たり前か。

後で知ったが釧路湿原を展望するベスト・スポットは細岡展望台だという。こにには車では行けない。釧網本線で釧路湿原駅下車し、あとは徒歩で丘に登るのだ。湿原の本流は屈斜路湖を水源とする釧路川である。そして釧網本線はこの川にそって上り、屈斜路湖と摩周湖の間にある川湯温泉を通って斜里経由網走に向かうのだ。

コッタロ湿原

取って返し、20:25釧路空港発のJALフライトで帰る。

かかった費用は109,000円であった。

August 12, 2009

Rev. Aprir 24、2022


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