坂東巡礼

第2回 12-20番

山木会の有志による2006年9月8-10日の第1回巡礼に引き続き、第2回巡礼を11月12-14日の3日間行った。

西川隊長以下、北澤(章)、北沢(栄)夫妻、大久保(博)、松本(英)、飯田(邦)、藤島池田(司)、 和田(忠)、小澤(宣)、青木(一)の12名。 都合で松本(英)、西川隊長小澤(宣)の3名は部分参加であった。

今回も般若心経の読経と朱印の継続は無論、飯田は納経も行った。

第2回-第1日

11/12(日) 7:30東武野田線おおみや駅改札口に全員集合とした。 グリーンウッド氏は戸塚で湘南新宿ライン快速高崎行きに乗り換えれば4分遅れで大宮に着くことに後で気がついた。やむをえず予定通り、東京駅から新幹線を 利用した。ジパング倶楽部に入会したばかりなのに、栃木までの切符に固執し、宇都宮まで切符を通しで買い、栃木→宇都宮を無駄にする智慧を持たないが故 に、割引切符まで買いそびれた。以後気をつけよう。

東武野田線で豊春駅に向かう。第一回とはうってかわって寒風の中、12番慈恩寺まで歩く。古隅田川などと大げさな名前の ついた小川を渡る。元荒川、古利根川などが周辺にあり、関東平野の真ん中にいるという実感がする。快晴というのにまっ平らで山らしいものは目に入らない。慈恩 寺 は微高地にある。南京にあった三蔵法師の遺骨が旧日本軍高森部隊によって発掘され、分骨されたものがこの寺に安置されているというが訪れなかった。

12番札所慈恩寺にて全員集合

全て順調で予定より30分早く豊春駅に帰りつく。遅れてかけつけた小沢と携帯で連絡しながら彼と同じ新幹線に乗り高崎に 向かう。こうしてせっかく30分稼いだが、バスの本数が少なく、高崎発水沢観音行きのバスまで約1時間の待ち時間ができただけであった。コーヒーでくつろ ぐ。

水沢観音は思わぬ人出でにぎわっていた。晩秋の紅葉狩りが人々の目的らしい。坂東33ヶ所のうちでは浅草寺、銚子の万願寺についで三番目ににぎわう観音様だという。 隊長が代表で鐘をひとつき。水沢観音は榛名山塊のピークの一つ、水沢山(浅間山1,194m)を背負って立っていた。ここで名物の水沢うどんを賞味。

16番札所水沢観音

15番札所白岩観音

高崎行きバスは予定の13:39を約20分遅れて水沢観音を出発。箕郷本町バス停で途中下車して徒歩4kmにある15番白岩観音に向かって歩く。鳴沢湖付 近で近道しようとして道に迷う。白岩観音は極彩色 に塗られているが少しうらぶれてさみしい。朱印所は冬季は16:30で閉まる。朱印をもらって徒歩2kmのトドメキ駅まで走る。先頭を走った藤島が16: 06発の群馬バス、榛名湖線のバスが発車直後にこれを呼び止め、3分間待つように交渉。親切な運転手が乗客の不満を到着時間を保証して鎮めてて待ってくれ たおかげで全員がバスに乗れた。途中の渋滞にもかかわらず 他の乗客も含め、17:02発高崎発の両毛線に間に合った。松本は予定が重なったためここで別れる。小沢の機転で缶ビールを仕入れ、栃木駅までの1時間半 の時を楽しく過ごす。

サンルートプラザ栃木(Hotel Serial No.370)にチェックイン前に駅前の中華居酒屋で夕食。

第2回-第2日

栃木市は東北本線のおかげで発展した宇都宮に県庁まで奪われ、今では田舎町に成り下がってしまった。しかし江戸時代には日光例幣使街道が通過していた町で その雰囲気は今に伝わり、漆喰でかためた重い瓦をのせた伝統的な家並みが美しい。隊長は日光街道を3日で行脚したときここを歩いたという。山本有三のふる さととか。

栃木駅前9:45発の栃木市営バスで出流観音に向かう。出流 川流域は徳川家康が江戸城改修のとき、ここの白土の品質を評価して独占して以来の石灰の産地とか。白壁の材料をされたらしい。山の上は住友大阪セメント唐沢鉱山が大規模に採掘している。

出流観音は巨大な宿坊を持っている。帰りのバスに間に合う自信のある西川隊長、大久保、飯田の3人が舞台造りの奥ノ院に駆け足で往復する。

10:30出流観音発の栃木市営バスで栃木駅にもどり、オムスビを買って11:45栃木発の東武特急きぬがわで東武日光駅に向かう。幹事の不注意でJR特 急スペーシアきぬがわ3号で計画しながら、計画書に記載しなかったため、間違って東武線で同時刻発の特急に乗ってしまった。いずれにせよ用意してなかった 特急券は車中で適宜買い求める。車中で昼食。13:00発の東武バスで中禅寺湖温泉に向かう。第二いろは坂を登るのは2000/8/21の日光国立公園周遊の時に初めて登って以来6年ブリである。自分で運転する必要がないため視野が広くなり、かつ晩秋で落葉していたため 次々と移り変わる景色がよく見える。うっすらと雪化粧している男体山の崩落斜面が印象的であった。13:45中禅寺湖温泉着。

18番立木観音は入山料が必要。桂の大木から彫ったという観音像は1,200年前の作とか。素朴な姿がよかった。ここからみる中禅寺湖と日光白根山(2,578m)は真っ白に冠雪してすばらしい。 この朱印所は冬季は15:30で閉鎖である。中禅寺湖温泉14:45発の東武バスで第一いろは坂を下る。4年前の2002年10月9日、バイクツーリング時に この急カーブを恐る恐る下ったことを思い出す。神橋の渋滞のため、JR日光駅15:26着のはずが遅れて15:55着。suicaは使えないと言う。隊長の機転で切符をまとめ買いして16:00発の日光線に乗ることができた。

17番札所出流観音

18番札所立木観音

建築設計会社を経営している小沢は仕事のため、宇都宮から帰宅。

東横イン宇都宮(Hotel Serial No.371)にチェックイン後、居酒屋「恵比寿」(Restaurant Serial No.292)で酒盛り、店にあるストックを飲みかつ、食べつくす。北沢夫妻の部屋で二次会。

第2回-第3日

隊長は公務のため、朝食後帰る。

JR宇都宮駅8:25発の関東バス、立岩行きで大谷観音前に向かう。19番大谷観音は9年前の1997年10月、バイクをタンデムして益子・那須岳 をツーリングしたときこの前を通過した記憶がよみがえった。その時は巡礼には興味がなく、下車してお参りすることはなかった。

19番札所大谷観音は入山料が必要。朱印所は冬季は16:30で閉まる。本尊千手観音や釈迦三尊は大谷石の岩盤を直接彫りこんだ磨崖仏である。平安時代の作という。なかなか立派である。徳川家康が修理したがその後火災で鞘堂は焼失したという。 洞窟遺跡からは縄文時代の土器、石器、人骨が出土したという。特に人骨は1万3,000年前のものだという。

飯田の納経

19番札所大谷観音

戦後彫られた高さ27mの平和観音を参観後、9:58大谷観音前発の関東バス、宇都宮行きでJR宇都宮駅向かう。 途中作新学園があった。かって甲子園で鳴らした高校だが、最近は静かだ。現今の少子化で経営は苦しいのだろう。

11:09JR宇都宮駅発東高橋経由益子方面行き東野バスで12:13着益子城内坂着。1997年10月の益子・那須岳ツーリングの時にここを訪問した記憶がよみがえる。この9年間で城内坂の町並みが一新されたように思う。レストラン「やまに」(Restaurant Serial No.293)で乳茸そばの昼食とする。なすに乳茸の味が滲みてなかなか美味。

 

20番札所西明寺で全員集合  飯田撮影

ここに荷物をあずかってもらって20番西明寺 に向かう。益子ののどかな田舎道の散策は快適であった。西明寺は益子三郎行宗が築城した高館城があった高館山(標高301m)の中腹にある。長い石段を登ると古い三重の搭と 改築された銅葺きの本堂がある。ここで記念撮影。14:37益子 城内坂発の東野バスでJR宇都宮駅に戻り、解散。各位三々五々新幹線などで帰宅。

November 30, 2006

Rev. October 18, 2007


福島第一原発事故の影響

益子のレストラン「やまに」で食べた乳茸そばはなすに乳茸の味が滲みてなかなか美味だった。しかしここは福島第一に近いから乳茸など汚染されてもう口に入らないのかなと心配している。

陶土の汚染はどうなったのか気になる。益子では陶磁器用原料の大量生産地である瀬戸や信楽から原土や製土の調達を行う一方、益子焼の味わいな どを出すために陶土や釉薬に混ぜる土を、近辺の寺山土、福島の土など小さな鉱山から調達しているし、薪も汚染されたので心配。薪は長野以西の薪をつかって いるそうだが。益子焼きの釉薬には灰が使われている。釉薬の線量の安全基準値は示されていないので野放し。購入には線量計が必要となるか?

2013/11に益子を訪問した人の話によると、薪は使わず電気炉とか。釉用の灰は汚染されていないものを外部から購入。陶土は瀬戸などから買う一方、地下の深いところに 粘土層をみつけたので、当分使えるそうだ。放射線の計量は信用をなくさない様にしっかり組合でしているとか。こうなると何が益子焼なのかという話しにな る。デザインなのか?

October 28, 2013

Rev. November 19, 2013


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