坂東巡礼

第1回 1-11番と14番

山木会の有志 による2006年5-6月の秩父巡礼に引き、坂東巡礼の発願式を7月28日(金)に浅草寺で行い、 第1回巡礼を夏の最高 気温下で9月8-10日の3日間行った。

フル参加は西川隊長以下、北澤(章)、北沢(栄)夫妻、大久 保(博)、松本(英)、飯田(邦)、 藤島池田(司)、青木(一)の10 名。 部分参加は加畑(高)、和田(忠)、小澤(宣)の3名であった。

秩父巡礼に習い、今回も読経するために西川隊長が般 若心経を必要人数分用意してきた。またほぼ全員が朱印をもらって歩くことにした。 朱印帳は幹事がまとめて持ち歩き、納経所に提出して代金をまとめて支払う方式で時間のロスを軽減することにした。

第1回-第1日

8:30JR横浜駅中央コンコース京急改札口前集合。北口に出てしまった松本(英)を 残して出発するというミスをしたが携帯のおかげで、一電車遅れの8:49京浜急行ぐみょうじ着にて合流できた。歩いて14番弘明寺に向かう。ここで全員で 記念撮影。

14番札所 弘明寺にて全員集合

アーケイドのかかった門前町を歩いて横浜市営地下鉄に向かう。ぐみょうじ駅9:23発で戸塚駅に向かい、横須賀線に乗り 換える。かまくら 駅9:55着。若宮大路を歩き、金沢街道経由1番札所の杉本寺に向かう。

1番札所杉本寺

2番札所岩殿寺

3番札所安養院

1番杉本寺から報国寺前を通り、旧巡礼道を選んで逗子ハイランドに抜け、2番札所岩殿寺(がんでん じ)に向かう。旧巡礼道は結構キツイ山道だ。 鎌倉を三浦一族から守るために稜線に沿って垂直に山を削って作った外壁に沿った道のようで地蔵菩薩像やぐらという横穴墳墓がところどころに見える。


1番から4番までの10.6kmのルートは黒色で示した

2番岩殿寺からは新名越の各トンネルをくぐって3番安養院にむかう。安養院前の中華屋で昼食とする。 3番安養院から由比ヶ浜大通りを通り、若宮大路を横断し、4番札所長谷観音に向かう。 強い日射を防ぐために雨用のこうもり傘をかざす。

4番札所長谷観音

5番札所飯泉観音

4番長谷寺で部分参加の和田(忠)と小沢(宣)と 別れ、はせ駅14:41発の江ノ電でふじさわ駅に向かう。西川隊長は極楽寺切り通しと七里ガ浜をパスしたことにいたくご不満の様子。それでも1番から4番 までは10.6km歩くことになる。正味2時間強かかる。本当は極楽寺の切り通しを通って七里ガ浜を江ノ島まで歩きたいのだが、時間がないので先を急ぐ。 東海道線経由で15:46かものみや駅着。巡礼街道を歩いて5番札所の飯泉観音に着く。再度 、巡礼街道を戻ってかものみや駅17:59発の東海道線で18:13ひらつか駅着。駅前旅館の緑風荘泊(Hotel Serial No.358

第1回-第2日

早朝から東海道線の震動で目が覚める。 6:45朝食、7:20に緑風荘を出発、平塚駅北口2番のりば7:35発の神奈川中央交通バス秦野駅北口行き、(平71,74,78)で金目川沿いに7番 札所金目観音(金目山光明寺)に向かい、7:57着。8:00キッカリに納経所の呼び鈴ボタンを押す。 住職があわてて僧服を着用しているのかなかなか出てこない。

当初の計画では7番札所金目観音から秦野駅北口にバスで移動し、小田急線でほんあつぎ駅に移動し、そこから6番札所飯山観音にバスで向かう計画であった。 しかし隊長の発案で巡礼峠、物見峠、貉坂(むじなざか)峠、 白山経由の古巡礼路を2時間かけて歩くことにコース変更した。そのためには北金目入口バス停からバスで鶴巻温泉に行くバスを利用しようとした。だがバスの 待ち時間が小一時間あったため、鶴巻温泉まで歩くことにした。幹事が地図を読み間違えて、1.5kmとしたための判断であったが、実際には4kmあった。 それでもバスよりも早く鶴巻温泉に到着。

かなり疲れたメンバーが出たが、電車やバスで移動中に休めると考え、つるまきおんせん駅9:41発の小田急線で一駅移動し、いせはら駅に9:53着。隊長 が買ったブドウを食して元気を回復し、3番のりばより10:17発の神奈川中央交通バス上谷戸行きに乗り、七沢病院入口バス停下車。歩いて巡礼峠に向か う。急な登り坂で地面にうごめく山蛭を発見。 隊長は地面から飛び掛って這い上がる一部始終をみとどけたという。以後の2時間は山蛭との格闘となった。木の上からとびかかる種もいるそうだが、ここのは 地面から這い上がる。出血で 明るいベージュのチノパンの裾を真っ赤にしてしまう。スパッツを用意していなかったので6月の大山登山よりひどいことになった。

物見峠、貉坂峠、白山と幾多のピークを越えて白山の男坂を下り、ようやく6番札所飯山観音に到着。 水平距離にして約4kmだが、勾配10%の山道のため、速度が半分になり、歩くだけで2時間かかった。手持ち飲料水不足で脱水症状をきたした参加者も出 る。 コルムの腕時計が止まってしまって時間がわからない。いちいち携帯で時間を確認するハメになる。あとで汗がリューズ穴から入り、バッテリーをショートさせ たと判明する。立派なお堂だったが、山蛭ショックで飯山観音の写真撮影を失念、後日、飯田さん撮影の写真をここに掲載。 飯山観音像は奈良の長谷寺と同材の伝承があるという。

7番札所金目観音

6番札所飯山観音 (飯田撮影)

8番札所星谷観音

バス停飯山観音前の寿司屋で昼食とし、体に着いた山蛭を全て退治する。止まらない出血によりズボンを汚す。

飯山観音前14:16発の神奈川中央交通バス(厚18)でほんあつぎ駅に向かう。ほんあつぎ駅14:46発の小田急線で ざま駅に向かう。14:54ざま駅着 。歩いて8番札所星谷(しょうこく)観 音に向かう。星谷観音からは相模川の河岸段丘を下って相模線いりや駅に向かう。河岸段丘にそった段丘上の路に鎌倉街道の説明板がある。鎌倉時代は段丘下は 湿地帯であったため道路は段丘上につけられたものと推察する。相模線は相模川底に開墾されたのどかな水田地帯の灌漑用水沿いにある単線だが、近年に至り人 口が増え、学校も多いため、列車の本数は多い。いりや駅16:02発のディーゼル車ではしもと駅に向かう。16:32はしもと駅発の横浜線に乗り換え、は ちおうじ駅16:43着。17:06はちおうじ発の八高線で北上し、途中こまがわ駅で乗り換え、18:19おごせ駅着。越生駅前の越生館泊(Hotel Serial No.359)ホテルで風呂に入ると山蛭の傷口からの出血が再開し、ゆかたを汚し、洗濯代金を余計に支払うことになる。

第1回-第3日

6:45朝食。7:20越生館出発。松本が9番札所から11番札所にかけての比企丘陵地帯は二本スリーデーマーチが毎年11月に開催される ところだという。彼も何回か参加したらしい。7:46おごせ駅発の八高線で7:51みょうかく駅着。計画時バス時刻表を見落として期待したバスは日曜日は ないことが判明。やむを得ずタクシーを越生駅から呼ぶ。9番慈光寺は秩父の東にある都幾山(ときさん463m) の中腹にあり慈光寺とバス停慈光寺入口間は2.3kmだが、坂道のため、往復2時間かかる。納経を含めて3時間かかることが想定外だった。隊長と協議の 上、歩きたい気持ちを押し殺して慈光寺までタクシー乗入れして時間短縮することにした。8:30明覚駅発のタクシーは8:45慈光寺に到着。

タクシーは都幾川が作った谷間に入る。都幾川という名前も心地よい響きを持っているが、実際なかなか美しいところだ。バス停慈光寺入口で帰りの時刻をしら べて山を登り、慈光寺に着く。2,500円であった。

慈光寺は平安時代より延暦寺別院として名高く東国最古の寺歴を持つ。観音堂には高さ2.5mの千手観音が安置されている。673年に慈光寺開祖の慈訓(じきん)が刻んだという。国宝の装飾経は厳島神社の平家納経にも匹敵するという。防火構造のコンクリートの宝物殿が この国宝を守っている。隊長がここが坂東33ヶ所で唯一国宝のある寺だという。

9番札所慈光寺

10番札所岩殿観音

9番慈光寺境内は鉄平石で舗装しているにもかかわらず、落ち葉を掃除していないため、滑り易く、転倒者続出。バス停慈光寺入口まではアスファルト道を歩い て下る。 途中青石塔婆(あおいしとうば)を見る。

9:46発のときがわ町営バス、町役場行きに乗り、町役場まで行き、15分歩いて10:10明覚駅着。10:43みょうかく駅発の八高線で10:52おが わまち駅着。11:10おがわまち駅発の東武東上線でたかさか駅に移動。11:34たかさか駅着。11:44高坂駅前バス停2番乗り場発の川越観光バス、 鳩山ニュータウン行きに乗り 、11:51に大東文化大学バス停着。岩殿観音は物見山(136m)の中腹にある。バス停はこの物見山山頂近くにあるため、歩いて裏口から10番札所岩殿 観音境内にもぐりこむ形となった。

朱印をもらうには仁王門脇にある庫裏までまで急な石段を下るハメになる。仁王門から見下ろす岩殿観音の門前町は今は歩く人も少ないが、山門から600m程 真っ直ぐ伸びており、 昔の茶屋の面影をとどめた家々が並び往時の繁栄が偲ばれた。

11番札所吉見観音にて (松本撮影)

待ち時間ほぼゼロで12:16大東文化大学発川越観光バスでたかさか駅に戻る。12:30たかさか駅発の東武東上線で12:35ひがしまつやま駅着。ここ で昼食。13:34東松山駅東口発の川越観光バス、鴻巣駅経由免許センタ行きバスで13:45百穴(ひゃくあな)入 口バス停着。徒歩で 市野川橋を渡ると比企丘陵が市野川で削られてできた松山城跡の断崖が頭上にそびえている。戦国時代に小田原北条氏と上杉の攻防のフロントになったところ だ。百穴は古墳時代の横穴式集合墳墓だという。松山城のある凝灰岩の断崖にある縄文時代の滑川沿いに百穴射撃場・百穴温泉に向かい北上。不動橋で右折して 271号線で11番札所安楽寺(吉見観音)に向かう。 ここには立派な三重の搭がある。今回の最後の場所となるため全員で記念撮影。

百穴温泉に取って返して、入浴して汗を流し、ビールでノドを潤してのち解散。百穴射撃場でクレー射撃を楽しんだらしい若者達が大勢疲れを癒している。 頭髪を短く刈り上げた独特の雰囲気がある男達だ。16:45百穴温泉発のタクシーで長野方面の参加者はこうのす駅に、東京方面の参加者はひがしまつやま駅 に向かう。(1,600円)17:00ひがしまつやま駅発の東武東上線で17:55いけぶくろ駅着。隊長慰労の二次会を持つ。

ところで秩父巡礼も坂東巡礼も観音様めぐりである。観音様は施無畏(せむい)と も呼ばれ 、何ものをも恐れぬ力を与えてくれるということを、参加者全員の友人才口(千)氏が送ってくれた「法曹」第 670号で知った。 そういえば岩殿観音の仁王門には施無畏という扁額がかかっていた。

September 16, 2006

Rev. May 15, 2012


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