マンハッタン・ビーチ在住の友人、クーパー夫妻が2004年の夏、参加したバルト海の船旅の記録を送ってくれた。ロンドンで大型の汽船に乗り、ユトランド半島を横断するキール運河経由でバルト海に入り、ベルリン、エストニアのタリン、ペテルスブルグ、ヘルシンキ、ストックホルム、コペンハーゲンとめぐる旅である。かれの詳しい説明は英文ページにあるのでここでは写真の説明にとどめる。
ロンドン
タワーブリッジの夜景
ビール・フェスティバルの長いバー
キール運河
北海からバルト海に入る近道はユトランド半島を横断するキール運河を通過する。巨大クルーズ船が橋の下を通過できるように船の煙突やマストには高さ制限がある。歓迎のバンド演奏もあるし、大勢の観光客が運河を通過するクル−ズ船を見物に訪れる。
運河通過時の歓迎バンド演奏 |
クルーズ船の煙突は橋の下を通過できるように低い |
ベルリン
ドイツ人は英語も話せるようになり、英国人よりも気さくで友好的な感じがし、驚いた。
国会議事堂は戦後復元されたものである。1933年の火災はアドルフ・ヒトラーが総統に任命されるキッカケを作った歴史的な建物である 。この前庭にあるナチ収容所で犠牲となった人々の名前を刻んだ敷石を見たときには感動したという。クーパー氏はドイツ人の心を最も的確に表すものだろうと記している。 日本も見習ったら世界の尊敬を集めると思う。
国会議事堂
エストニアのタリン
エストニアの首都タリンは中世の面影をよく残した町である。下の写真はアッパー・タウンからローワー・タウンを望んだものである。ローワー・タウンは商業地区、アッパー・タウンは貴族と行政地区 となっている。
タリン
ペテルスブルグ
エルミタージュ美術館で模写の勉強をする画学生が多い。
模写の勉強をする画学生
エルミタージュ美術館の鏡の間はベルサイユ宮殿のそれより印象的であった。
鏡の間
グリバエドフ運河のそばに立つスパス・ナ・クローヴィ聖堂。1881年にアレクサンドルII世がテロに遭った場所に建てられたもの。そばを流れるのはグリバエドフ運河。
血の教会
ベルサイユを意識して建てられたというピョートル一世の夏の宮殿とその噴水群 はすばらしい。この水はポンプを使わず、自然の落差を有効利用している。
夏の宮殿とその噴水群
スターリン時代に造られた地下鉄は今でも健在である。
スターリン時代に造られた地下鉄
ヘルシンキ
Temppleiaukio教会は岩盤を掘り下げて作ってある。この地階には 6,000人収容の防空壕がある。
Temppleiaukio教会
ストックホルム
この戦艦バサ号は大砲のデッキを積み上げすぎて重心が高くなり、1628年にストックホルム港を出港直後に転覆沈没 した。永らく海底にあったが、数年前サルベージして展示されている。
戦艦バサ号
コペンハーゲン
デンマーク風力発電では先進国で海の中にも沢山設置されている。
コペンハーゲン沖の洋上風車発電機群
マーメイドの対岸にはシドニーのオペラハウスを設計したヨーン・ウッソン設計のオペラハウスが完成。(グリーンウッド氏が訪れた2003年は工事中であった)
マーメイドの対岸に完成した新オペラハウス
第二次大戦中はデンマークやスエーデンでは石油不足で木材をガス化して自動車を動かした。自動車に搭載したガス化炉が展示されていた。なぜかゼネラル・モーターのタグがついている。 下に置かれたクーパー氏の帽子の直径は34cm。
第二次大戦中に使われた木炭車用ガス化炉
May 31, 2005
Rev. April 24, 2008