木曾川流域と御嶽山の旅

1999年9月グリーンウッド夫妻は木曽路と御嶽山の旅に出た。御嶽山は百名山だ。

第1日

朝7時、七里ガ浜の自宅発。11時には木曾駒ケ岳の麓の駒ケ根ICに到着。マイカー乗り入れ限界点で駐車場に入れ、11時40分には専用バスでしらび平向け出発。正午にしらび平着。ロープウェーで5分後には標高2,600メートルの千畳敷カールに到着した。ここで千畳敷カールを見ながら昼食。昼食後、千畳敷カールを散策。山は花崗岩から出来ている。このためか、途中の川の水が澄んでいる。空気が希薄で息苦しい。霧が出てきて視界が悪化したため、午後2時には下山開始。

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千畳敷カール

午後3時には中央高速に入り、天竜川沿いに南アルプスの雄大な山並みを見ながら南下。中央アルプスをトンネルで木曾谷に抜ける。中津川ICを降りて、国道19号を北上。午後4時には馬籠宿に到着した。 馬籠宿はビンチ村を思わせる、馬籠峠の南面に縦に展開する宿場である。以前は上の入り口からはいったが、今回は下の入り口から入った。

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宿

馬籠峠を越えて妻籠宿に至るが、夕暮れのため、更に木曾川を上って大桑村野尻のフォレスバ木曾に入る。木曾川は数100トンもありそうな大きな石がごごごろしていて暴れ川らしい。フォレスバ木曾は発電用のダム湖(読書ダム)の岸にある温泉である。

第2日

フォレスバ木曾を9時出発、木曾川を下り、妻籠宿に戻った。昨日の雨とは打って変わった晴天。

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宿

天候が良いので木曾の御嶽山にアッタクすべく、先を急ぐ。途中「寝覚の床」に立ち寄る。花崗岩の節理にそって方形に岩が割れてできた岸が意外である。

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寝覚の床

木曾福島手前の元橋から木曾川と分かれて王滝川に沿って御岳山麓への分け入る。三岳村屋敷野から見た御岳山に感激。霊峰ラインに沿って登ると沿線に異様な石碑群がある。霊神碑群といい、神道の各教会が立てたものらしい。山岳宗教の本場を感じさせる。11時には6合目の中の湯に車を止め、7合目まで登山開始。林の中の登山に嫌気をさし、中断。6合目で昼食。6合目から昨日登山した木曾駒 ヶ岳が東に見える。5合目まで下り、ロープウェーを使えば、一挙に7合目近くまで登れるらしい。 御嶽山は火山で山頂には沢山の火山湖があるという。

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三岳村屋敷野から見た御嶽山

開田村から見る御嶽山は雄大である。開田高原の別荘地、キャンプ場、尾の島の滝などを巡り、J-ハウス泊。J-ハウスの洋食は良かった。夜はもう冷え込む。

第3日

開田村めぐりをした。200年前にここを開墾して水田を開いたので開田村と名づけたらしい。開田村の大馬主、山下家の住宅が県宝として復元保存されている。慶応元年(1865年)建築。二階建て切妻作りの破風の上にある飾りが独特である。板葺きで石を乗せたのが元の設計。領主尾張藩禁制の五木(檜、さわら、ねず、あすひ、こうやまき)は使用せず、松、ならを主材とし、大黒柱はけやき、床の間はつがを使っていると説明書きにある。北信では寄棟造の急勾配の屋根が伝統的民家だが南信では切妻で緩傾斜の屋根に特徴がある。

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開田村の山下邸

この家の切妻を連ねて沿道に並べれば、馬籠や妻籠の宿の町並みとなる。奈良井の宿でそう気が付いた。木曾街道経由で木曾福島にもどって中山道にもどり、北上を続ける。

奈良井の宿は分水嶺の鳥居峠を越えて木曽川流域から奈良井川沿いに出たところに在る。馬篭や妻篭が完全な観光地化しているのにここは一部を除き、実際に人が住んでいる。木曾にはかって十二宿あったそうであるが、今は完全き近く保存されているのは、奈良井を含め3箇所である。奈良井の宿には奈良井大橋が復元されている。檜製の立派な太鼓橋である。

平沢は高校の化学の巣山先生の出身地である。「木曾高木屋物語」によればご先祖は高木屋という漆器製造業を営んでいたそうだ。平沢は今でも漆器の本場で漆器の店が沢山軒を連ねている。

塩尻からは途中休止一回で午後4時には帰宅。

本旅に至るいきさつ

1999年9月18日

Rev. June 26, 2009


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