箱根

城山(しろやま)

2009年1月26日、wakwak 山歩会は箱根の城山(563m)に登った。頼朝が旗揚げしたとき石橋山の合戦で源頼朝を助けた土豪の土肥実平(といのさねひら)一 族の城があったところだ。2005年1月に幕山と南郷山に登ったとき南側に この山が見えた。そのとき、コンチャンがいつか登りたいと言って実現した登山である。

城山ルート 暗 褐色

9:30JR湯河原駅集合。 駅の隣には巨大な温泉リゾート開発が進行中である。ときあたかも簡保の宿入札で世間を騒がしている宮内氏率いるオリックス不動産が開発主体のようだ。規制 緩和に乗じて伸びたバブル企業だが、ここら辺が年貢の納め時かといぶかる。

土肥実平の菩提寺城願寺脇のアスファルト道を登る。城願寺のビャクシンの巨木が見えるが先を急いでいるので立ち寄らない。この巨樹は土肥実平手植の樹と伝 えられ、推定樹齢800年とされている。

アスファルト舗装の林道は頂上近くまで続いている。周りはミカン畑だ。登るにつれ、右手に南郷山から真鶴岬にかけて伸びる尾根の上に4階建ての立派な円形 の建物が出現しているのが見える。帰宅後グーグルで調べると大山祗命(ねずのみこ)神示教会偉光郷(ひかりのさと)という宗教施設のようだ。横浜市に本部、全国29カ所支部がある約80万人の信者を持つ新興宗教のよ うだ。集金能力が高そうだ。

登山途中には頼朝にまつわる「かぶと石」だの「立石」、「硯石」などがあるが全てパス。

登るに従い右手に幕山がその全貌を現す。全山溶 岩の塊のようだ。

幕山全貌

城山山頂には土肥城跡と男爵小早川某が大書した石碑が鎮座している。山頂からの眺望はよく、眼下の真鶴岬は言うに及ばず、初島、大島、利島、新島、神津島まで 見通せる。マーによれば、縄文時代には 神津島は黒曜石の産地で全国に輸出されていたという。

ここで記念撮影をし、昼食をとる。日当たりは良 いが風は冷たい。

城山山頂にて  マーさん撮影

昼食後「しとどの窟」に向かって縦走開始。道は石畳道である。代観山から湯河原に下る自動車道「椿ライン」のバス停に出る。ここから城山隊道を くぐると独鈷杵という仏具を右手に握り締めた弘法大師の石像群が道の両脇を埋めている。

「しとどの窟」は1180年8月伊豆の蛭島に兵を起こした頼朝が土肥の館に集結、300の兵で少し北の石橋山に陣を敷き、大庭景親の3,000、伊東祐親 300の兵と戦って敗れ、この洞窟に潜んで難をのがれた場所という。その後、真鶴から安房に向かったという。前田青邨(せ いそん)画伯が描いた大倉集古館蔵の「洞窟の頼朝」はこの故事を描いているという。

以後、幕山公園の早咲きの紅梅をめでながら鍛冶屋の五郎神社に詣で、「ゆとろ嵯峨沢の湯」(Hot spring Serial No.254)で汗を流 し、ビールで乾杯。意外に疲れた。バスで真鶴駅にでて帰宅。


2018/7/3 歩く会の仲間と宝永山に登った翌日、湯河原に一泊し、横浜からの合流組も参加して、安井氏の車で椿ラインを椿台の「ししどの窟バス停」に登り、そこから城山に再度登った。


今回のコースは2009年とは逆コースで下図のViewrangerの記録の通り、ほとんど下りであった。安 井氏は下の「登山口バス停」まで車を移動し、そこから登って城山で合流した。総距離2.77km、累積登り165m、累積下り333mで あった。Viewrangerは事前で地図をダウンロードしてなかったため、ガイドには使えなかったがGPSは機能していたので記録はできた。

実は城山山頂にたどりついて土肥城跡と男爵小早川某が大書した石碑が鎮座しているのをみるまで、2009年1月26日、 wakwak 山歩会の仲間と登っているとは気がつかなかった。「ししどの窟バス停」から城山までの殆ど水平の整備された尾根道は逆に歩いたことも気がつきにくかった理 由だろう。前回は登頂後、「ししどの窟」に立ち寄ってから下山しているらしいが古い記録を読みなおしてようやく記憶がよみがえった。

城山から湯河原の万葉公園の足湯で疲れを癒す。

城山の後は真鶴岬に立ち寄った。真鶴岬には若い頃1度訪問して以来である。記憶にある「三つ石」もしめ縄をつけてしっかりそこにあった。



三つ石


ケープ真鶴で昼食をとり、カフェ真鶴見晴台でコーヒーや甘酒をすするながら絶景を楽しむ。右手から天城山、大室山、小室山、初島、大島、房総半島突端の大 山、かすかに三浦半島の大楠山、横浜高層ビル群、大磯の裏手の高麗山、湘南平、二宮の吾妻山が一望である。手前に整備後の試運転をしているとおぼしきサン フラワー号が低速でよぎる。

参加者:和田、秦、榎本、加畑、安井、青木

January 27, 2009

Rev. July 4, 2018


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