箱根

幕山・南郷山

2005年1月27日、wakwak 山歩会は幕山(625m)に登り、南郷山(611m)に縦走した。当初の計画は冬の丹沢山だったのだが、 積雪が60センチあるとのことで断念し、箱根山から真鶴岬に至る尾根にある2つの山に変更した。幕山は1999年2月に湯河原梅林に梅見にでかけた折 にも登ったので今回で2度目になる。前回は幕山を一周したが、今回は隣の南郷山に縦走して鍛冶屋の五郎神社に下山するコースをとった。総距離 7.47km、累積登り665m、累積下り647m。

湯河原駅9:30発のバスで鍛冶屋の五郎神社前(220m)につく。五郎神社にはクスノキの巨木が沢山ある。梅林まで車 道を歩き、幕山登山口(300m)から登りにかかる。梅は1分咲きである。ウィークデーというのにロッククライミングしているグループがある。山頂付近で ようやく雪の上を歩くようになる。山頂には10数名の2パーティーが昼食中であった。黒い雲がかかって薄暗い。初島と真鶴岬は眼下に良く見える。

幕山山頂より初島を望む

南郷山は箱根ターンパイクのある尾根からブランチした星ヶ山(915m)のある尾根の末端にある高まりである。幕山すらこの尾根が枝別れしたものと思って よい。

南郷山山頂からの360度パノラマ

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雪の中を幕山を下り、杉林の中の白銀林道を横断し、自鑑水に向かう。杉の梢から雪解けの水が滴りおち、ザックがぬれる。スパッツをつけなかったのは失敗。 自鑑水(自害水)という看板が立つ小さな水溜まりに到着。看板には1180年8月23日、石橋山の合戦に破れ、土肥実平の先導により落ちのびてきた 源頼朝が、水に映った己が姿に失望し、自害せんとするを実平がおしとどめ 、

「この土肥の杉山隅々まで、私の知らないところはありません。敵の追及の手の緩むまで、幾日でも隠しおおせましょう。このくらいの事で源氏の頭領たるもの が志を棄ててはなりません」

といさめ、はげましたと伝えられていると書いてある。 司馬遼太郎の「三浦半島記  街道をゆく42」に石橋山の合戦に破れたのち、熱海界隈に隠れていた頼朝に政子が合流する話がでてきたので、自鑑水も身近に感ぜられる。

再度白銀林道にでたところで、スパッツを付け、ザックカバーをつける。すぐ南郷山に直登する急坂を登る。 雪道だが、二代目の登山靴が前の登山靴より滑らないことを確認した。ビブラム底の深い溝が利いているようだ。アイゼンをつけずとも登れた。南郷山からは幕 山が良く見える。その右手には 気象観測用の箱根レーダー局のドームが雲の中から顔をのぞかせていた。大観山は箱根レーダー局のある無名の山に隠れて見えない。幕山の裏の尾根には椿ライ ンが見える。その向こうは十国峠に至る伊豆スカイラインが通ずる尾根だろう。眼下には”さつきの郷”らしき建築物、湯河原カンツリー倶楽部、真鶴道路等が 見える。

幕山山頂より真鶴岬を望む

南郷山から幕山を望む

南郷山からの下山路は雪解けの泥んこ道で転倒しないよう、用心して下る。途中みかんを地元農家から買う。安い。五郎神社(220m)に14:45着、 16,000歩であった。バスで湯河原駅に行き、バスを乗り換えて”こごめの湯”で一風呂浴びる。ここは3回目だ。(Hot spring Serial No.102)

小田原の海鮮問屋 ”ふじ丸”で反省会。(Restaurant Serial No.227)

パノラマ地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図 25000 (地図画像)、及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平16総使、第367号)

 January 28, 2005

Rev. November 23, 2017


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