奥秩父

四阿屋山

2009年2月16-17日、wakwak 山歩会は奥秩父の四阿屋山(あずまやさん772m)に登った。 今回は私が年3回務めなければならない幹事だった。四阿屋山などどこにあるか分からない。年間計画表作成したマーさんにどこにあるか聞いたところ奥秩父だ という。両神山の尾根の一つの末端にあるピークだという。つぎに「なぜこの山の幹事を私に割り振ったのか」と聞くと「あなたの希望だったから」という返事 である。私は信州の四阿山(2,354m)に登りたいという希望リストを出した覚えがある。コンチャンは多分「屋」を入れたため誤解されたのだろうとい う。いつも誤字脱字の常習犯だから責任は取らなければならない。しかし標高差たったの465mの山にしては頂上直下はマッターホルンのような岩場である。 「登頂の責任はない」と両神神社奥社でUターンした。高いところは平気なクリさんとマーさんだけが、頂上を極め、満足した笑顔で戻ってきた。総距離8.1km、累積登り424m、累積下り413m。

あとは節分草の日本で唯一の自生地といわれる「堂上」に下り、満開の節分草を愛でた。2月の花は初めてだ。「堂上」は小森から白井差口に向かうバス道路わ きにある。ちょうど四阿屋山の南側の谷にある。白井差口は両神山に向かう最短の登山道だったが、小鹿野町と山林オーナーの話し合いがこじれて現在は閉鎖さ れているという意味で有名なところである。

セツブンソウ

フクジュソウ


第一日

西武秩父駅からかって石灰石をセメント工場に運んでいた秩父線に乗り換える。御花畑駅の駅舎は時代物だ。のんびりと三峰 口に向かう。 武甲山の杉林から大量の杉花粉が舞い上がるのを見て、マーさんがもう帰ると悲鳴を上げる。白久駅まではかって秩父巡礼の時歩いた行程である。白久 駅を過ぎると、周りの山並みが高くなる。三峰口駅は終点。ここで本日の宿の国民宿舎両神荘(Hotel Serial No.451)に電話すれば迎車 サービスがあるとコンチャンとクリさんが言うが、利便性を追求して無駄な二酸化炭素放出 させるのも気が重い。どうせ暇なのだ。幹事として旧両神村村営バス(現小鹿野町営バス)を待つ判断をする。寒風が吹いているが、登山装備で寒くはない。駅 員が植えた、フクジュソウとセツブンソウを見る。雲取山登山口となっている三峰のロープウェイは廃止されたと書かれている。1999年、バイクで秩 父市から雁坂トンネルを通過して甲州に入ったことがある。そのときはここを通過しループ橋を登ったことを思い出す。

バスに乗って国民宿舎両神荘に向かう。地図を見て想像していたより、川は深くえぐれて渓谷を作っていた。巡礼路としては西川の提案を入れて32番法性寺を 先に廻るために平和橋で荒川を渡ったのが正解であったと納得した。

薬師堂バス停で下車。ここにある法養寺薬師堂は室町時代のものだということでなかなか品格があった。すぐ裏手には両神(りょうかみ)神社がある。丹党薄(たんとうすすき)氏の氏神であった という。大正時代に奥社は四阿屋山 に里社は薬師堂境内に置くことにしたのだそうだ。

法養寺薬師堂

ちなみに「丹党」とは武蔵の国の土着豪族集団である武蔵七党の一つである。「丹党」は、多治比(丹比・丹治)氏の流れを汲むと言われている。多治比一族は かの有名な「菅原道真」の乳母を出したこともある奈良時代以前から続く名家である。708年秩父で自然銅が見つかったことから 銅が採掘され日本最古の貨幣である和同開珎鋳造が始ま った。この責任者に命じられたのも多治比一族で、平安時代以降、彼らはこの武蔵国に渡り、国司として勢力を築いていたのだ。この界隈は縄文時代の遺跡も発 掘されているという。司馬遼太郎によれば丹は水銀を意味し、当時の鉱山技術者集団がこの氏名を持っていたようだ。

国民宿舎両神荘の庭には中国山西省と埼玉県の友好県省締結の記念に建設したらしい巨大な中国風建物「神怡(しんい)館」がある。場違いで折角の両神村の雰囲気を壊しているのは残念だ。もっと別の立地があるだろうに、行政の 雑な対応が目に付く。

両神荘は建物の質も良く、職員の態度も良くて快適に過ごせた。掛け流しの露天風呂をじっくりと味わった後、カナダ出身の民俗学者で国連大学の高等研究所石 川・金沢オペレーティング・ユニット所長のアン・マクドナルド女史推奨の有機米をつかった日本酒「一ノ蔵 無鑑査本醸造」を楽しむ。


第二日

8:30両神荘出発。薬師堂コースを登る。途中両神山は手前の尾根にさえぎられてみえないが、二子山というピークが2つ見えた。この山は群馬県と埼玉県の 境にある。この山の群馬県側には叶山(かなやま)と いう石灰岩の山がある。

やがて両神神社奥社につく、ここからは上級者コースで難路のため、登頂組と分かれて少し下り、日当たりの良い見晴らし台でフクジュソウをながめながら待 つ。

11:00に全員集合してカップラーメンとアンパンの昼食後、記念撮影。

見晴らし台にて  マーさん撮影

大堤バス停に向かって下山。堂上までバス道路を歩いてセツブンソウ自生地に向かう。思ったより沢山咲いていた。セツブンソウはキンポウゲ科の球根植物で落 葉樹林下に自生している。

白井差口からのバス時間に1時間もあったので薬師堂まで数キロのアスファルト道を歩く。巡礼の気分でテンポを維持すれば歩ける。薬師堂でバス待ちの間、南 方を見れば雲 取山とおぼしき巨大な山塊が雪をいただいているのが遠望された。帰ってカシミールで確認したが、山頂は前山に隠されているようだ。

薬師堂では当初予定していた西武秩父駅直行の15:28のバスをつかまえた。バスは小鹿野町を通り、川を渡って般若(はん に)を通り、長若交差点から皆野荒川線を南下する。かって巡礼の時歩いた道 を逆走する。蕨平から秩父市街の西に横たわる丘陵を越えて武甲山を見ながら荒川を巴川橋で渡るコースである。なぜかキャノン電子株式会社の前を通過して大回りで西武秩父駅に着 く。

池袋の「天狗」でコンパ。3月の神津島の天上山は来年にして丹沢の三峰とし、4月の佐渡の金北山と米山は1週間遅らせること、7月の平ヶ岳登山のための伝 之助小屋はすぐ予約することなどを話し合った。

February 25, 2009

Rev. November 16, 2017


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