宝善院

宝善院は片瀬山越えの時にしばしば前を通る。このところ片瀬山周辺の真言宗の寺シリーズのページを作成した。ついでにこの寺も収録しようと 2014/2/9、40年ぶりといわれる大雪の翌日にでかけた。



宝善院

2017/1/29 梅の花を見ようと目白山下経由常立寺に 出かけたとき、途中の宝善院にたちよった。真言宗の寺で創建は天平神護年間(765 年〜767年)とされている。その昔は、弘法大師が開山の青蓮寺の四月の法要には、宝善院の前を通るのが本道であるとされていたという。

この寺の墓地にある梅がなかなかよかった。そしてその墓地を取り囲む鎌倉独特の崖が古刹の品を保っている。崖の上は平地になっており、桃源郷の趣。宝善院の如意庵や一般住宅地となっているが、いづれも袋小路で通り抜けはできず、奥はうっそうとした林だ。



宝善院の梅 2017/1/29撮影

Google地図の航空空写真をみると一般住宅に 取り囲まれて広大な屋敷がある。ここへのアクセスは南側の腰越保育園脇にある門だけのようである。そういえばこの門の奥は朝日新聞記者や鎌倉市長を歴任した方の邸宅だと松談会で ご本人から直接聞いたことを思い出した。その門にはこの屋敷を造った弁護士だったその方のお父様の表札がついたままだ。おじい様は、阿部定らの弁護にあたった刑 事弁護士であったという。



この邸宅は深い森に囲まれている。その緑地は殆ど急な崖だ。地元民としてはそのまま維持されるのを期待する。神戸川の対岸の万福寺の墓地から深い森が望まれる。右手の丘の上にちらっと顔をだしているのが如意庵である。



万福寺から
宝善院方向を望む

元に戻り、モノレールに向かう。腰越小の西北の 裏手には原敬の別荘もあったが、現在この腰越荘の建物は分割移築され、書斎部分は盛岡市の原敬記念館へ、居間部分は盛岡市の原の菩提寺でもある「大慈寺・ だいじじ」に移築されている。土地は分割されて宅地として売られている。

あとはモノレール沿いに目白山下から片瀬山に歩き、友愛会鎌倉静山莊脇を下って神戸川に下った。ここは野鳥達の楽園でヒヨドリやメジロが川に降りて水をのみ、畑で餌をついば んでいた。

February 8, 2014
Rev. February 2, 2017


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