マゼラン艦隊のビクトリア号

500年前、 フェルディナンド・マゼランが世界一周したのはモルッカ諸島のクローブが目当てだった。マゼラン艦隊はコンセプシオン号、サンチアゴ号、ヴィクトリ ア号(英語読みヴィクトリー号)、トリニダッド号での5隻のカラベル船で出航し、マゼラン海峡と太平洋を発見。

マゼランはフィリピンのセブ州マクタン島で軍事力誇示し、報いを受け、命を落とす。残る2隻はモルッカ諸島についてクローブを積み込む。2隻の船はポルトガルに拿捕されるリスクを避け西回りと東廻りに分かれて帰国することにし た。東廻りはポルトガルに拿捕され、西回りの1隻ビクトリア号だけ帰還に成功した。船長はフアン・セバスティアン・エルカーノであった。

ビタミンC欠乏症でジャムを持っていた船長と航海士以外の多数が死に、帰還できたのは18名であった。皮肉なことに積荷のクローブを食べれば死なず にすんだのだ。 無知のなせる業だ。スペイン王は5隻の船の代金としてクローブ全量を取り上げ、船員には分け与えなかったという。トリニダッド号の航海士がつけていた航海 日誌から地球を一週すると日付けが1日ずれることがわかり、コペルニクスの天動説である地球の公転の最初の証明とされ、人々に感銘を与えたことが知られて いる。エルカーノはモルッカでの支配権を確立するために再びモルッカにもどったがクローブを食べれば死なずことに気が付かず結局ビタミンC欠乏症で死ぬ。

キャプテン・クックは貴族階級出身ではなかったが、その有能さを認められ、南方大陸発見の目的の英海軍調査隊の指揮官となった。かれは壊血病での死亡を防ぐため、ザワークラウトを毎食食べることを士官と水夫に義務づけて一人も失うことなく、ニュージーランドを発見。グレートバリヤー・リーフが広がるオーストラリア東海岸の地図を作成し、オーストラリアの併合宣言をした。

愛知万博に参加するためにヴィクトリア号が復元され、2004年10月スペインのセビリアを出港し、20名弱の乗組員で今回はパナマ運河経由で4月末に東 京港に入港した。5月25日までビッグサイト近くの岸壁に係留されているという。この後、名古屋港、大阪港に寄港するという。

2005年5月25日にアジア大学の研究会出席に出かけたついでに見物にビッグサイト近くの岸壁まで足を運んだ。

ちなみに、ヴィクトリア号は全長25.9m、最大幅6.72m、排水量170トンである。

Rev. July 8, 2013


トップページへ