エべレストの話

2007年9月11日(火)鎌倉プロバスクラブ例会 卓話者:野村欣司氏

昨年の11月、中国のチベットのラサに飛び、ヒマラヤを越えてネパール経由インドまで旅行しましたのでそのときの写真を使ってお話ししたいと思います。

はじめの写真はエベレストの北壁です。標高は8,848mといわれて、世界第一の高峰であります。中国名はチョモランマといい、第三の女神という意味だそうです。ネパール名はサガルマータ、世界の屋根という意味です。最近再測量しましたら8,850mとわかりました。過去40年間に2m隆起したようです。

ベースキャンプから仰ぐチョモランマ北壁 野村欣司氏撮影

この写真は海抜5,200mのチベット側のチョモランマ・ベースキャンプから撮影したものです。はじめは雲の中に隠れていましたが、強い風で次第に雲が晴れで全容を現した時の写真です。気温は低くとても寒かった。この山の裏側がネパールです。ネパール側にもベースキャンプがありましてカトマンズからルクラに飛び、一週間歩いてベースキャンプにいたるルートがあります。

1924年にエベレストで遭難した第三次イギリス隊のマロリーとアーヴィンはこの北嶺ルートにアーヴィンのピッケルを残して行く不明となり、後に遺体が発見されますが、カメラは発見されず登頂したかどうかは不明です。1,953年に初登頂に成功したヒラリーとテンジンは南からのサウス・コル・ルートを登りました。登頂ルートはこの他にも沢山あり、1,500人位の人が登頂しています。このうち100人は日本人です。今回4人のガイドを務めてくれた人はヒマラヤ山頂に2度到達した人でした。

中国はチベット開発に熱心で、道路も舗装されて大変便利になっています。ネパール側はポーターに荷物を担がせて1週間歩くのですが、チベット側はトヨタのランドクルーザー2台を使っての移動です。とはいえ標高3,650mのラサから5,200mのチョモランマ・ベースキャンプへ車で移動したら、たちまち高山病になります。1週間かけて毎日300m位ずつ高度を上げて 体を順応させます。東京の三浦雄一郎氏の高所順応施設も利用いたしましたが、それでも家内は酸素吸入しなければなりませんでした。

ルートの開始点のラサではポラタ宮観光をします。外からみて褐色の部分がラマ教の寺院ですが、ダライラマがインドに亡命しておりますのでここは寺院であることをやめて博物館になっています。高度順化ルートにはキャンツェ(3,950m)の白居寺、シガツェ(3,900m)のタシルンポ寺、ティンリ(4,342m) があります。そしてチョモランマ・ベースキャンプ近くににはロンブク氷河の語源となったロンブク僧院などがあります。このルートからはチョー・オユー(8,201m)、ガウリ・シャンカール(7,145m)の特異な姿が見えます。

車でヒマラヤ越えをしてカトマンズに入り、ヒマラヤ観光飛行をしました。その後インドのラジャスタン州のジョードプルに飛び、インドで最も美しいという元マハラジャの宮殿であったUmaid Bhawan Palace Hotelに宿泊しメヘラーンガル城砦の観光をしました。

September 13, 2007


山野井夫妻がヒマラヤのチョモランマの東隣にあるギャチュンカン(7,922m)に挑み、その北壁に世界で2度目に挑戦して敗退した物語「」を読んだことがあるが、上の写真のようなところなのだろう。

ネパール側ルート


北京オリンピック開催間際になってチベットでチベット族の抗議デモが発生した。 中国はチベット開発に熱心で、道路も舗装し、トヨタのランドクルーザー を使っての移動サービスを提供し、ラサでのポラタ宮観光をセットにするなどしている。しかしこれは皆、漢民族がリードしているわけで、利益も漢民族が独占している。そしてチベット族はますます貧困になり、尊厳も冒されている。その不満が爆発したのだ。ソ連崩壊の折、大陸内奥部の民族が国家として独立したように、共産党独裁下の中国もいずれソ連のように空中分解するのだろうという予感を感ずる。ヨーロッパ諸国民はこういう問題に敏感で、オリンピックの松明リレーに抗議デモが殺到している。チベット族に続き、ウィグル族の独立機運も刺激されるのだろう。台湾にも影響を与えずにはおかないだろう。

Rev. April 9, 2008


トップ ページヘ