言語録

シリアル番号 日付

1297

2009/7/1


名言 日本の民主化の実現を妨げるものありとすれば、それは唯一つ、国民自身の無自覚怠慢


人生の本舞台は常に将来にあり                     1935  逗子の風雲閣

世を挙げてわれを罵(ののし)る今日なれど、花のみ我をねぎらう     1928

依らしめて知らしめざるを好しとする人の招ける今日の国難           1941

生きがひもあらぬ身なれど長らへん 世に逆らひて世を救うべく   1945

国よりも党を重んじ党よりも身を重んずる人の群れ哉                     1950
言った人、出典 尾崎行雄 咢堂
引用した人、他 素粒子      上野真城子

「中央公論の2009年7月掲載の管直人の政権構想は管直人氏の提案はどうにもならない夢のような話です」とS.K.が書いてきた。たしかに中途 半端で官僚にごまかされて上手く行かないと感じたが、唯一、彼が指摘している事務次官会議が日本をだめにしているという危機感は共有する。

なぜ問題かとゆうと、全ての政策はここで国民の目の届かない密室でフィルターにかけられているからだ。そして各省には拒否権があるから省の不利益(主として権力の喪失)を伴う政策はここを通過しない。 ということは閣議にかけられて法案として国会に提出されないのだ。官僚内閣制と言われる所以だ。

たとえば温暖化防止は炭素税が一番有効である。環境という経済の外部にあるものを経済のなかに組み込む一番単純な方法だからだ。そしてヨーロッパで導入され有効に作動しているこの税は日本では無視されて気候変動防止に たいして有効でもないエコポイントなどに化けて税の無駄使いをしている。なぜなら石油・石炭税、ガソリン税の配分の権限を手放したくない経済産業省が反対するからだ。政治家はこの決定過程に関与しないから、実質役所が無責任な我田居引水な政策を決定していることになる。

各省に拒否権があるということは恐ろしいことで、日本が太平洋戦争に突入する原因となった軍部大臣現役武官制も一種の拒否権だった。軍部大臣の補任資格を 現役武官の大将・中将に限る制度である。広田弘毅内閣が軍部大臣現役武官制を採用した結果、組閣に軍部の合意が事実上必要となり、軍部の意向にそわない組 閣の阻止が可能となった。また、たとえ一度組閣されても、内閣が軍部と対立した場合、軍が軍部大臣を辞職させて後任を指定しないことにより内閣を総辞職に 追い込み、合法的な倒閣を行うことができた。このようにして、軍部の政治介入が可能となり、軍部の政治的優位が確立した。

国連がうまく作動しないのも第二次大戦の戦勝国に拒否権があるためだろう。

要するに多数決が機能しない仕組みなのだ。

秦の始皇帝は中国を始めて統一したが、彼が育てた官僚制(含宦官)により彼の王朝は早期に崩壊した。トルコ帝国も同じく官僚制(含宦官)により内部から崩壊。

官僚制を採用しなかったローマ帝国もやはり滅んだのだから官僚制だけが悪いとはいえない。弓削達の「ローマはなぜ滅んだか」によればローマの強さの秘密のキーワードは「オープンと寛容」であったのに、4世紀頃からローマ社会が閉鎖的になり、勃興しつつあるゲルマン的生活文化によってギリシア・ローマ文明を変成させてゆく大きな度量をもてなかったためあるという。

少なくとも今の日本の事務次官会議は官庁という閉鎖的社会のためにのみ動く亡国の仕組みであろう。官僚自らはこれを正すことはできない。これをゆるしてきた歴代自由民主党は当然政権を失っても当然。

官僚の弊害は事務次官会議だけではない。新野(にいの)哲也が「日本は勝てる戦争になぜ負けたのか 本当に勝つ見込みのない戦争だったのか?」 で指摘するようにバブル崩壊前夜、アメリカが仕掛けてきた金融戦争に国際派エリートや官僚は何の手も打たなかったばかりか、旧大蔵省は「総量規制」、日銀 は「金利の逆操作」で日本経済を叩きつぶし、日本の富がアメリカに持ち去られてゆくのに、手を拱いた。しかるべきポジションにいる官僚が無能だったという ことだ。優秀なエリートというイメージは実は虚構であったわけだ。

科挙の制に発する官僚制度は身分の垣根を打破して有能な人材を登用するシステムであったはずである。ところが アメリカのリーダーシップはトップダウン型であるのに対し、日本はボトムアップでスタッフがリードし、トップはハンコを押すだけというスタイルが好まれ る。このためにトップは無能になるのである。記憶型秀才が得意とするような定石は現実には役に立たない。全体を俯瞰して相手の出方に応じて考え抜かれた手 を打つしかないのだ。それがトップの役目だろう。この第二の敗戦で日本は第二次大戦以上の経済的損失をこうむったのだ。S.K.が薦めた竹内洋の「学問の下流化」は実は現実のことだったのである。

これもS.K.から教えられたのだが福田元最高裁判事が指摘するように、「一票の格差」も真の民主主義実現ができない原因の一つであろう。しかしなんといっても尾崎行雄のこの名言の通りであると思う。少なくと今までは自業自得。文句を言っても始まらない。ただ行動あるのみ。



トップ ページヘ