読書録

シリアル番号 950

書名

ひらめき脳

著者

茂木健一郎

出版社

新潮社

ジャンル

サイエンス

発行日

2006/4/20発行
2008/2/15第24刷

購入日

2008/5/3

評価

新潮新書

友人T.H.にもらう。

いちど「ひらめき」を経験した人はその時感ずる歓喜が一生忘れられず、もう一度「ひらめき」を経験しようと努力するようになる。 脳内快楽物質であるドーパミンが分泌されるためであるが、科学者や芸術家で成功した人は皆この「ひらめき」時に感じた歓喜に駆動されているといっていい。この感じはランナーズハイに似ている。

筆者はオックスフォード大教授ロジャー・ペンローズの「創造することと思い出すことは似ている」というテーゼを引用して「ど忘れ」現象を持ち出す。「ど忘れ」は思い出せないが、自分はそれを知っているはずというFeeling of Knowing(既知感)を伴うという特徴がある。それがなければ「ど忘れ」とはいわず単に「知らない」ということになる。この「ど忘れ」とひらめきを要求している脳の状態は非常に似ている。

思い出そうとするとき、私という自我の中心たる前頭葉が記憶をつかさどる側頭葉に「あれは何か」と答えをリクエストし続けている状態にある。側頭葉がなぜそれを探し出せないかというと側頭葉は常に記憶を編集し続けているため、インデックスを作っておいても用をなさなくなるためだと思われる。また常に編集し続けていることそのものが、創造そのものであるといえる。これらの編集は前頭葉が知らないところで行われる。すなわち無意識下で行われるので編集の結果新しい 意味結合ができたときのみ、前頭葉のAnterior Cingulate Cortex(前部帯状回)がこれを感知するという仕組みになっている。前頭葉と側頭葉のコミニュケーション不足が驚きの原因ということになる。 驚きとともに快楽物質が分泌されるのだ。

外界からはいった刺激はまず前頭葉にワーキングメモリーとして蓄えられる。爬虫類の脳である扁桃核を中心とする情動系(感情を司るシステム)が海馬を使って側頭葉に長期記憶として蓄える。ここで「ヘッブの法則」にしたがいシナプスが強化されるのだが、シナプス結合を定着させるためにはタンパク質の合成が必要となる。

側頭葉が行う自発的な編集とはエピソード記憶を意味記憶に変えることにある。この記憶の編集力こそ、ひらめきを生み出す力である。この編集の中枢は中側頭葉でエピソード記憶を書き換えて意味記憶に置き換えてしまう。したがって若い頃のエピソード記憶は思い出せないが、意味記憶として残る。

記憶の編集能力が欠如した人は異常記憶者となる。このような人は或る人と何度会ってもその人の性格とか人柄を認識する能力がない。山下太郎もそのような一人だろう。サヴァン能力者といわれる。ラスコーやショベの壁画はサヴァン能力者が描いたと進化心理学者のニコラス・ハンフリーが指摘している。

ひらめき能力がなぜ我々に備わっているかといえば、不確実性にうまく対処して生き残るためである。そのためには自発的に記憶の編集を行い不時に備えるということが行われるのだ。このような自発的編集は脳を束縛から解放しなければよく行われない。歩きなれた道を散策するときにヒラメキがおおくなるのもその故である。エピクレス派が逍遥派とよばれる由縁である。

米国は「ひらめき」を奨励する社会であるため、不確実性に柔軟に対処できる社会であるがが、日本は「ひらめき」を持つ人を軽蔑し、コンピュータのような記憶、すなわちサヴァン能力者のような人を賞賛するところがある。受験の難関を突破した人にはこの傾向がある。これでは不確実な世界では生き残れない。

「ひらめき」を渡世の糧としてきた身にとっては全く納得できる説であった。

茂木健一郎の書くことは何でもOKだがスノーボールアース後の「カンブリア爆発」を生物種が急激に進化したとするスティーブン・ジェイ・グールドの「平衡断絶説」を引用しているところは不勉強だと思う。 もったいない。「カンブリア爆発の謎」を勉強してほしい。


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