読書録

シリアル番号 789

書名

栗林忠道(ただみち) 硫黄島からの手紙

著者

栗林忠道

出版社

文芸春秋社

ジャンル

書簡集

発行日

2006/8/10第1刷

購入日

2006/8/21

評価

まえじま氏から私の旧制長野中学の先輩で栗林忠道と云う方を、ご存知ですか? 旧帝国陸軍の中将(死後大将に昇格)、硫黄島で最後まで戦い、バンザイ突撃を禁じた司令官です。

栗林氏は長野中→陸士→陸大と進学、しかも恩賜の刀拝領の優等生、米国に2年留学の後カナダ大使館の駐在武官3年との知米派だったようです。

米国留学時まだ字の読めない長男「太郎くん」宛に送った絵手紙、硫黄島守備司令官になった時末娘「たこちゃん」宛に送った絵手紙が、栗林忠道/吉田津由子編「玉砕総指揮官の絵手紙」(2002年、小学館文庫、¥630)として発刊されています。

また、栗林忠中将をモデルにした、梯(かけはし)久美子著「散るぞ悲しき-硫黄島総指揮官・栗林忠道」(2005年、新潮社、\1575)は、2006年度大宅ノンフィクション受賞作です。

戦前/船中にこんな「子煩悩」なオヤジが居て、しかも彼が帝国陸軍のエリ−トだったことに驚きますが、そろそろ「死」のことも考えなくてはならない我われにとっては、彼の生きざまも(少なくとも私には)多いに参考になるように感じました。

と書いてきた。さっそく書店で検索してみると梯久美子の本はなく、栗林忠道の手紙だけ編集したものが新刊としてでていたので買い求めた。直後針ノ木岳に出 かけたのでまだ半藤一利の解説しかよんでいない。半藤一利の解説で気に入ったところは「栗林忠道が大本営の作戦指導で正統視されてきた水際撃滅戦法をおの れの一存の判断で後方防禦、それも地下陣地による迎撃法に転換させたことだ」という点であった。結果、米軍の死傷者が日本のそれの2倍となって、米軍に畏 敬の念を持たせたとのことであった。

まえじま氏からC.Eastwood監督は、2006年に硫黄島戦を米国側から見た「父親たちの星条旗」と日本側から見た「硫黄島からの手紙」の2本の映画を同時製作とのことだ。渡辺謙が栗林中将を演じるとのこと。

忠道は松代の郷士の子で妻の義井の実家は稲里村の氷鉋(ひがの)である。妻への手紙のなかで子供たちを氷鉋に疎開させるどころか、妻も一緒に疎開し、ひいては長野に引越しを薦めている。敗戦を予感していたのだろう。私の母の実家は氷鉋の隣の小島田で小学校は氷鉋にあった。このため、氷鉋の地名は子供の頃から耳に焼き付いている。

梯久美子に栗林忠道を取材し書けと薦めたのは作家の丸山健二氏だと学士会のインタービュ記事で知った。昔、梯久美子がフリーランス作家としてアエラのために丸山健二を取材した記事を読んで、私は丸山健二に興味を持ち、 「私だけの安曇野」と「まだ見ぬ書き手へ」 という彼の本を2冊よんでしまった。梯久美子が描くほど丸山健二は素晴らしくはなかったのだが、梯久美子は対象を上手く謳いあげるのがとても上手い。じつ は丸山健二氏はその取材の時、取材されながら「 日本人で尊敬できる人は三人いるのだが、そのうちの一人が軍人ではあるけれど軍人の域を超えた、日本人には稀有な生き方をした栗林中将だ。彼を書きたいの だが自分は小説家なので梯さんみたいなノンフィクション・ライターが書いたらよいと思う」と強くすすめたという。丸山健二氏は梯久美子の力量を知っていた のだ。そしてその目は確かであったのだろう。 取材した量は書いたものの10倍あるそうだ。

2007/1/3「硫黄島からの手紙」を観た。映画館は今まで見たこともないい大変な混雑であった。梯久美子さんらの著作を読んであらかじめイメージが出 来上がっていないため率直に楽しめた。日本映画にありがちなステレオタイプの人物描写ではなく、クリント・イーストウッド流のヒュ−マン・ドラマに仕上 がっている。

文芸春秋2007/2号に「栗林中将衝撃の最後、ノイローゼ、部下による惨殺説」という検証記事が載ったので買わざるをえない。著者は梯久美子であった。 彼女は徹底した調査で本説は、SAPIOの2006/10/25号に掲載された大野芳の記事が出所であるとつきとめた。大野芳は昭和36年防衛研修所戦史 室がおこなった硫黄島関係者からの聞き取り調査での堀江芳孝元少佐証言を紹介したのである。梯久美子は父島に駐在していて硫黄島の直接情報を持たない参謀 堀江芳孝元少佐が間接情報を元に組み立てた推測にすぎないとしている。堀江芳孝元少佐の証言は戦史室も採用しなかった。反証が多かったためでもあり、堀江 芳孝元少佐証言にブレが多いためである。堀江芳孝元少佐がこのような証言をしたのは、戦後、米国流の価値観にそまった遺族が栗林司令官が早く降伏してくれ ればもしかしたら夫は無事かえれたかもしれないとひそかに思っていたという背景があるのではと梯久美子は推測する。

最も真実にちかい証言は硫黄島からの生還者の大山軍曹が氷鉋の義井に送った手紙と、彼が実家を訪れて口頭で話した内容であるとする。息子の太郎氏がその話 をメモにしているのだ。真相は被弾した司令官が出血多量で絶命し、その遺体を彼の生前の命令にしたがい木の根本の弾痕に高石参謀長がシャベルで埋めたが真 相のようだ。

C.Eastwood監督作品で最後の軍刀で首を跳ねよと命じられた参謀が敵弾で倒れるというシーンは無論架空ということになる。首切りシーンは米国人の固定観念と真相との妥協の産物なのだろう。

おなじ長野中学の先輩に今井武夫大佐もいる。

Rev. January 14, 2007


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