読書録

シリアル番号 755

書名

プリンシプルのない日本

著者

白洲次郎

出版社

潟<fィア総合研究所

ジャンル

伝記

発行日

2001/5/17第1刷
2006/2/3/第10刷

購入日

2006/3/30

評価

武相荘で購入。

本の帯に参議院など不要だ。大企業は困ると政府に泣きつく乞食根性を捨てろ・・・権力者たちの横暴、癒着、無能ぶりを鋭くついた「風の男」の直言集とある。

今日出海が、野人白洲次郎を紹介した一文に「彼は戦前日米戦争が不可避だと予言していた。その時は蒋介石を相手にせずと日本が言っていた頃である。そして日本人の大部分が米国と戦うなどとは思ってもみぬ頃である。そして必ず日本が敗北し敗北の経験のない日本人はあくまで抗戦して、東京は焼野原になるだろうともいった。そこで彼は地の理を研究して現在の鶴川村に戦前の疎開を敢行したのである」と書いてある。そこは今では町田市能ヶ谷町の武相荘になっているのである。まさに先見の明の見本のようなものだ。

白洲次郎自身が文芸春秋などに書いた時評などは今でも適用可能だ。 辻井喬(つじいたかし)も言っているが、その理由として白洲次郎がプリンシプルに立って発言しているためか、日本が進歩していないかのどちらかだが多分その両方だろう。

白洲次郎自身は小林秀雄の意見を採用して明治以前の日本の武士階級は朱子学の影響でプリンシプルに立って考えるクセがあったがそのようなことはなくなって、だらだらと流されてゆく国になってしまったと嘆いている。

白洲次郎、河上徹太郎、今日出海の対談は白眉である。

主としてこの本にでてくる秀逸な白洲次郎語録を作成してみた。

辻井喬が巻末の文で白洲次郎が誤解された理由として「俗人は、自分の卑しさを照らし出すような人物の前に出ると、恥ずかしさからか、相手を憎むものである」といっている。


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