読書録

シリアル番号 738

書名

山と雲と蕃人と

著者

鹿野忠雄

出版社

文遊社

ジャンル

博物学的紀行文

発行日

2002/2/22第1刷

購入日

2005/12/14

評価

まえじま氏から本著をよんで「読み終 わって3日も経つのにまだ興奮しています」とメールをもらったので書店で取り寄せてもらう。3,500円の高価な本である。

彼の父君の遺品の中にこの「山と雲と蕃人と 台湾高山紀行」の初版本があり、彼のHPの山関係の蔵書リストに載せておいたところ、台湾の鹿野忠雄研究家から「自分は復刻版は持っているが初版本は持っ ていない。何とか譲ってくれないか」とメ-ル がきたそうである。旧カナ使いや旧漢字の初版本をめくっ てみたが読みづらいので、台湾の鹿野忠雄研究家の林瑾君(ChinChun Lin)氏に初版本を進呈し、自分は復刻版を買って初めて読んだのだそうだ。台湾の鹿野忠雄研究家は日本文学専攻の20歳後半〜30歳位の女性で半導体関 係の日系会社に勤めながら修士論文「鹿野忠雄の台湾山岳行脚」(日文)をまとめているとのこと。

われも読まんと14日に入手した後、自宅の耐震診断をしたり、坂東33ヶ所 札所の5番まで35kmの巡礼 事前調査をしたため、読む始めるに時間がかかった。そして読み始めると数日にして第1章新高山と南玉山の初登攀 、第2章新高東山登攀、第3章秀姑らん山脈、第4章尖山単独行そして第5章東郡大山塊の縦走 、第6章マリナガン山より再びマボラス山へ、第7章卓社大山すべて読破した。これを読むだけで台湾の山に実際に登ったような感激と知識が得られる。

特に第1章新高山と南玉山の初登攀は手に汗握る。兇蕃ラホアレ族が跳梁する南玉山の初登頂を新高駐在所の長銃身の拳銃携帯の警官真瀬垣氏、猟銃を持つ蕃人 人夫マキリタケシタホアンとともに玉山経由の日帰りで初登頂したのだ。真瀬垣氏は信州の産、マキリタケシタホアンにはラホアレ族の血が流れている。鹿野氏 本人は兼光の鎧通し1本。

 最後の第8章新高雑記は台湾の地理、自然、動植物、そしてなにより蛮人についての彼の観察記録だ。これだけでも一読の価値がる。最大の蛮族、 ブヌンは数百 年前という比較的最近山地に入った種族で無論狩猟もするが、粟、陸稲、甘藷、里芋を焼畑で農耕する民族だとの指摘が意外であった。これに対するにタイヤ ル、パイワン族は狩猟区域を争って首狩をしていたのであるがブヌンは斜度60度でも焼畑をして高山にいたり、人口当たり耕作面積は最大で余剰生産物を備蓄 していて飢饉にも耐えられるという。彼らの先祖はスマトラ島のメナンカバウ族のように山岳民族でかつ船もあやつれた連中で台湾西部に上陸し、中央山脈に入 植したのではないかという仮説をたてている。このブヌン族も日本警察の説得に応じ平地での農耕に同意して山を出たという。

欧米の博物学者が大航海時代、世界をめぐって書き記した博物学と同じトーンで台湾を自ら踏査して書き記してある。彼の観察の視点が私のそれと同じで 共感を覚えた。簡潔にして詳しく正しく表現できる能力はさすがと思った。全く未知の世界なのに自分が実際に登ったように感じさせる筆力はたいしたものだ。

巻末に付録で掲載されている楊南郡氏の注、写真、年譜、後記、鹿野の助手だった日本で教育を受けたアミ族のトタイ・ブテン氏の思い出話はタイヤル族の首狩 の伝統をビビッドに描いて興味深い。

物理の散歩道」の著者グループ、ロゲルギストの一人で日本山岳会会長もされた物理 学者の木下是雄先生は2002年に台湾にゆかれて新高山に登ろうとしたのだが、腰痛で断念したとかという話を思い出した。

若き頃、仙台の下宿のおばさんは若き警察官の夫を台湾の蕃人の反乱(1930年の霧社事件)で失い、残された息子も柔道で首の骨を折って亡くすとい う二重苦をかかえた人で あった。

楊南郡氏にしてもトタイ・ブテンにしても完璧な日本語を話す世代である。米国のエアプロダクツ・アンド・ケミカル社で会ったケミカルエンジニアの王 博文博士を 思いだす。蒋経国に反対していたので台湾には帰るつもりはないと言っていたが、今いかがしておられるだろうか。

2012年5月大学の同期仲間と一緒にこの本を背負って台湾一周旅行を したが、仲間の一人が毎日遊んだという旧 制台北高等学校に出かけた。建物も創建当時のままで台湾師範大学になっていた。この建物こそ鹿野忠雄が東大理学部に進学する前に学んだ学舎 であった。

Rev. May 30, 2012


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