坂東巡礼

予備調査第2日

2005年12月19日に坂東三十三ヶ所観音霊場1-4番までの巡礼に引継いで5番札所飯泉観音まで巡礼をした。9時間かけて35`を歩き16:10飯泉観音に到着した。

紫色のルート

大磯までの東海道はつまらないのでそこまでは国道134号線を歩き、大磯から旧東海道の松並木、巡礼街道を経由して飯泉観音まで長谷観音から約39`である。すでに4`歩いているので残り35`である。7:00には歩き出せば日暮れ時には着くだろう と目論んだ。

国道134号線茅ヶ崎付近

 

金目川河口

 

大磯の鴫立庵

 

大磯の太平洋岸自転車道

 

5番札所飯泉観音

 

7:10、七里ヶ浜の自宅を朝出発。気温は今年の最低、ここ2週間継続している冬型気候で富士の山頂には雲がかかっているが快晴である。大島以南の太平洋上には日本列島で雪を降らせて乾燥した空気が太平洋で再度水分を補給し雲が発生しているのが見える。

前半は平均時速5`で歩けたが、前日、客人があってしたたか酒を飲んでしまったためか、或いは登山くらいでは筋肉の鍛錬が不足しているのか道半ばにして、もも、ふくらはぎの筋肉はこわばり、後半は時速3.5`まで落ち、全行程の平均時速4.3`であった。

改装なった片瀬橋を渡ると国道134号線は海岸にそって大きく西南西に向かうため富士山も左手海上にみえる。国道134号線はこの数年の大工事で4車線となった。相模川までは風防林の中を黙々とあるく。茅ヶ崎付近では富士山が正面に見えるようになる。

相模川河口の新湘南大橋では4車線にするための基礎工事が始まっていた。現在の2車線の橋は1986年長洲県知事の時に完成とある。橋が4車線になれば平塚の国道134号線も4車線に拡幅され、慢性渋滞は解消されるのでは期待される。

昼には大分間があるが足底が痛くなってきたので平塚市の市営プール脇の東屋で昼食とする。

足底にマメ防止のジョンソン・アンド・ジョンソン社のフットケア用バンドエイドを張って再開。

いつも車で通過するとき花水川橋のたもとになかなか風情があるのどかな一軒家があるのを知っていた。折角のチャンスとここに立ち寄る。花水川の上流は金目川といい、第7番札所金目観音があるところだ。国道1号に合流すべく金目川の西岸を歩く。山王町で国道1号に合流する。

大磯駅入口を過ぎて600bのところで鴫立庵(しぎたつあん)を見つける。京都の落柿舎、滋賀の無名庵とならぶ日本三大俳諧道場の一つといわれる。小田原の崇雪がここに1664年に草庵を結んだ時、「著盡(ああ)湘南清絶地」と標石に刻んだので湘南発祥の地として注目を集めているという。

「こころなき 身にもあはれは 知られけり 鴫立沢の 秋の夕暮れ」  西行法師「

この庵のある界隈は鴫立沢をよばれていたようで今でも渓流が東海道の下を流れている。白洲正子の祖父樺山資紀は晩年鴫立沢の二松庵に住んでいた。

更に500mゆくと太平洋岸自転車道という道案内があった。いつも西湘バイパスを車で行くとき、気になっていた散策道だろうと気が付く。 自転車道は見晴らしがよいだけ風も強い。箱根を正面に左手に真鶴半島をみながら歩く。途中、草原で小休憩をとる。旧吉田邸で太平洋岸自転車道も終わり 不動川岸を国道1号にもどる。旧吉田邸は海側からみると潮風で松林が殆ど枯れて荒れている。デニーズで小休止と思ったが厚着した身には暑すぎる。路傍で缶コーヒーで喉を潤しつつ小休憩。

大磯プリンスホテルを左手に見ながらただひたすら歩く。二宮に入ると1995年に登った吾妻山がせまってくる。

トイレが見つからないのでやむを得ず増田屋のチェーンの蕎麦屋に入ってざる蕎麦をいただく。足指が痛くなってきたので、再度ジョンソン・アンド・ジョンソン社のお世話になる。

国府津に向かって小高いところがある。史跡車坂とあり、太田道灌、源実朝、阿仏尼の歌が紹介されている。この界隈を前川といい、その前の海を前川瀬と呼んだようだ。阿仏尼の「十六夜日記」に阿仏尼が前日酒匂に泊り、明日鎌倉に入るとき詠んだ歌

「浦路ゆく こころぼそさを浪間より 出でて 知らする 有明の月」   北林禅尼(阿仏尼)

先妻の子と自分の子の相続問題の訴訟のためとはいえ、京より鎌倉まで旅してきたとは。母は強し。

前川の常念寺入口に従是大山道という石標があったのでここから山越えで中村川沿いにでて大山に向かう道があったとすれば次の7番金目観音への巡礼路は頼朝が越えた矢倉沢往還ではなかったと思われる。

路傍に日本橋から78`との標識がみえると ようやく親木橋に15:00に着く。予定より1時間遅れだ。巡礼道路入口を間違えてしまい日立製作所のストレジシステム事業部を大回りしたため800b余計に歩くハメになる。巡礼道路は並木も整備されて昔よりきれいになっていた。途中酒匂堰を渡る。

足を引きずって歩き、ようやく飯泉観音に16:10着。日も暮れかかっていた。息子に連れられた老夫婦と一緒に参拝。寺の縁起には真言宗東寺派に属し、奈良時代に弓削道鏡が流されて下野に赴くときに千代の里に建立したのが始まりであると書いてある。

もう歩けないのでタクシーでも拾って鴨宮駅まで行こうかと思案していると山門の前にバス停があるではないか。10分待ちであった。バスは酒匂川の飯泉橋を渡り大雄山線に沿って南下して小田原駅に向かう。

行き徒歩9時間、帰り東海道線で35分。一応35`歩けたことに満足。鎌倉高校前駅から自宅までの高度差30bを登るのはカタツムリのような速度であった。風呂に入って早々に寝る。

データ

場所 時刻 歩数(歩) 距離(km) 平均時速(キロ)
自宅 7:15発 0 0

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相模川河口 10:00発 19,000 13.5 4.9
平塚市市営プール 10:30着、10:50発(20分休憩)昼食 22,580 15.6 4.2
不動川休憩 12:10着、12:20発(10分休憩) - 22.3 5.0
二宮の蕎麦屋(増田屋) 13:15着、13:35発(20分休憩)ざるそば 32,593

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親木橋 15:00着 37,364 30.3 3.5
飯泉観音 16:10着 41,769 34.9 4.0

平均時速4.3`、平均歩幅84aであった。

さて巡礼と登山を両方してみて30`歩いた時の疲労度と1,000b登った時の疲労度がほぼ同じような感じであったのでそれぞれの理論消費エネルギーを計算するグリーンウッドモデルを作成した。このモデルで計算した理論消費エネルギーと実際の人体の消費エネルギーから人体の熱効率を計算してみた結果、約7-9%であった。

December 21, 2005

Rev. February 2, 2006


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