読書録

シリアル番号 1256

書名

骨が語る日本人の歴史

著者

片山一道(かずみち)

出版社

筑摩書房

ジャンル

歴史

発行日

2015/5/10第1刷
2015/6/10第3刷

購入日

2015/12/20

評価



ちくま新書

著者は京大の先史人類学者で古代骨の専門家。骨から

長浜浩明著「日本人ルーツの謎を解 く 縄文人は日本人と韓国人の祖先だった」という展転社の本を勧めてくれた総合知学会の森田氏から頂く。

一言でまとめれば「縄文 人南方起源説は間違いだし、弥生人が大陸から大挙してやってきたという証拠もない」という見解のようだ。

ミトコンドリアDNA分析から縄文人はまず北海道経由で列島にはいり、のちに半島経由で入った人々が根幹となって日本人の基層となった。南方起源の人間は いない。縄文人の貝塚はアルカリ性で縄文人の骨はよく残っている。それによれば骨格は全体に骨太で頑丈。特に下肢が立派。ただし短躯。頭骨は鼻骨と顎骨が 立派で、エラが張り、才槌頭で、鉗子状咬合。これは環境がなせる業。抜歯がしばしばみられる。これは文化的なもの。

BC2,500-1,800年の弥生時代は東日本にあった重心が西に移ったとか、温暖化したとか、人口が増えた程度で外から弥生人が大挙してやってきて縄 文人と置き換わったということはない。稲作がもたらされ、土器の様式がかわり、金属文化が入ってきた程度の変化。古墳時代に入ると人口が急に膨張し、社会 の緊張や確執が高まった。

弥生人の人骨は埋葬地が貝塚ではないため、酸性土壌で溶解してしまってほとんど残っていない。九州北部や日本海沿岸部にはたしかに渡来人は来ていた。渡来 系弥生人の特徴は縄文人より4−5センチ高い。鼻骨は低く、扁平。顎骨が細くで、エラが張らず、面長。鋏状咬合。後頭部は絶壁。
しかし、これ以外の場所では渡来系弥生人人骨は見つからず縄文系人骨だけだ。渡来した生活の技術やシステムのインパクトは圧倒的だったというだけのこと。 それから弥生後期から古墳時代にかけて殺傷傷の残る人骨が圧倒的に増えている。

王族や貴族や地方豪族が葬られた、大型古墳の被葬者は高身長、鋏状咬合の特権階級。横穴墓の被葬者は短躯、鉗子状咬合で階層化の結果を反映している。中 頭。

律令国家となってからは背丈が低くなり、才槌頭、オチョボ口、反っ歯(歯槽性突顎)、小太り。

鎌倉・平安時代は短躯、低い鼻骨、才槌頭、オチョボ口、反っ歯、長頭、鋏状咬合

江戸時代は長頭、短躯、鉛汚染、梅毒

戦後は過短頭、長身。

ところで2015/12/27のNHKの番組では富山県の小竹貝塚で見つかった6000年前の貝塚で見つかった多量の人骨の歯から採取されたミトコンドリ アDNAからは小竹縄文人はロシアのバイカル湖周辺や北海道縄文人に多い北方系と、東南アジアから中国南部に見られる南方系の2系統が混在することがわ かった。縄文時代中期以降の系統と遺伝的なつながりを確認することもできた。一方、渡来系の弥生人や現代の日本人に多い型は見られなかった。

同じ2015/12/27のNHKの番組では糸 魚川(いといがわ)のヒスイが縄文時代からの交易品だったということが紹介されていた。また八ヶ岳山麓の尖石(と がりいし)石器時代遺跡の「縄文 のビーナス」なるものが小さなもので、身代わりにこわされたものだという解説があった。

Rev. December 28, 2015


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