読書録

シリアル番号 1165

書名

日本人の神様とGODは何が違うか?

著者

橋爪大三郎、大沢真幸

出版社

講談社

ジャンル

宗教

発行日

2011/5/20第1刷

購入日

2013/10/22

評価



講談社現代新書

ミセス・グリーンウッドの蔵書

橋爪大三郎、大澤真幸、宮台真司の対談「おどろきの中国」の橋爪氏の 見解がなたで切ったように明解で大変面白かった。そのご橋爪氏の「一時間でわかる世界の宗教」という小冊子を読んだ。これも橋爪氏独特の明解な見解が述べ られている。いわくグローバル世界=西欧キリスト教文明(25億人)+イスラム文明(15億人)+ヒンドゥー文明(10億人)+中国儒教文明(13億人) +日本ムラ文明(1億人)方程式がなりたつという。橋爪大三郎とは何者かと言ったとたんこの本がでてきた。これがまた明解で面白い。

社会学者の大澤が質問し、比較宗教社会学者の橋爪が明解な回答を与えるという仕組みの本だ。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は一神教(monotheism) であり、啓示によって真理が開示され、それによって信仰が成立する宗教で、「啓示宗教、revealed religion、ギリシア語でアポカリュプシス、黙示」と呼ばれる。グローバル・ヒーティングの黙示録などという論文を書いたがいささか大げさであったかなと反省。

ユダヤ教とキリスト教は殆どおなじ。ちがうところはメシア(キリスト)がいることだけ。イスラム教は勝ち組の一神教、ユダヤ教は負け組の一神教。国家は当 てにならない。あてになるのはGodだけ。多神教(polytheism)は異民族の居ない自然と人間が調和している社会に発生する素朴な宗教。

ヒンドー教、儒教、仏教は一神教ではないが、多神教を克服するために脱呪術化(エントツァンベルグ)するために考案された。呪術は恵みをもたらして もらうために人間が何か捧げものをしたり犠牲を差し出したり、儀式をしたりする行為を意味なきものとしたところに意味がある。脱呪術化すれば多民族 に普遍な普遍宗教となる。このロジックを人為的温暖化説批判に利用でできる。すなわち:

人為的温暖化説はヨーロッパ産だが、この考えは化石燃料を我慢すると いう犠牲を捧げるから神様どうぞ温暖化はしな いようにお願いしますという多神教の呪術のようだ。温暖化は自然現象という神の設計図のとおりに発生しているもので、まだその仕組み、すなわち神の設計図が分かっていないにすぎない。海洋のモデル化がまだ不完全なのだ。したがって人間が犠牲をささげたから 神がゆるしてくれるというものではない。そもそもヨーロッパが近代化する原動力となった一神教であるキリスト教の教えは神は人間と交渉しないという信仰で はなかったか?神の業、すなわち自然現象としての温暖化は甘受し、適応するしかないのでは?

面白いのはユダヤ教は強大な政治権力または帝国的な権力とはそりが合わない。ユダヤ民族は寄留者であったため人間が権力をもつことを警戒する。

科学は神の計画なり、設計図をあきらかにしようと自然の解明に真剣に取り組んだ成果だ。マルクス主義は宗教を否定しながら、世界観は宗教的、一神教的である。

ユダヤ教とイスラム教は宗教法があるため、社会は硬直的であるが、キリスト教はそのようなものはなく、必要に応じて法を作ってよいことになっている。した がって社会がフレキ シブルに進化する。特にプロテスタント後、その傾向がはげしい。こうして権力の集中に対抗する民主主義も、神の見えざる手にしたがう資本主義も、キリスト教 の産物 として出現した。イスラムは音楽を禁止したが、キリスト教は自由である。偶像崇拝は禁じられてもキリスト教は文盲に教えを伝えるために絵画を利用し、芸術 が発展した。

こうしてキリスト教徒が近代文明をもたらし、世界を制覇した。これからはどうなるかだが、中国とインドも結局、キリスト教文明を採用して近代化に成功しつつ ある。問題はイスラム世界である。ものつくりを蔑視していて、宗教法にしばられているから社会が硬直化している。そしてインドはまだカースト制に縛られてい るため労働人口の融通がつかない。

以上は橋爪理論の要約だ。これにたいし小笠原氏から

「不思議なキリスト教」ですね。ちょっと、橋爪流に割り切りすぎているところもありますが、面白く読みました。カントもマルクスも、完全には、キリスト教から足を抜けなかった、という話は、「無神論者」との議論の折などに使わせてもらっています。

貴ブログから・・・
    「・・・そもそもヨーロッパが近代化する原動力となった一神教であるキリスト教の教えは神は人間と交渉しないという信仰ではなかったか?・・・」

確かにキリスト教は西欧近代化の原動力になったけれど、同時に起こった啓蒙主義とそれに伴う「科学万能主義」によって、キリスト教の権威は著しく凋落し た。西欧カトリック国の代表選手だったフランス、スペインなどでは、現在も信者数が激減し続けています。それほど、フランス革命とそれに続く近代化の影響 は大きかった。

かつて旧約聖書の中の神は「人間と交渉する神」でした。新約の時代になってもその関係深くなるばかりで、神と人とは常時、共に歩む存在になりました。「交渉しない神」の像(イメージ)が生まれたのは近代啓蒙思想以降のことではないでしょうか。

いわゆる科学的態度は、測定・検証・証明ができるものだけに信をおきますね。超自然的なもの、形而上のことがら、「見えない世界」を否定します。合理主義、理性主義、科学万能主義の限界がそこにあると思うのです。

と書いてきた。私は

「交渉しない神」の像(イメージ)が生まれたのは近代啓蒙思想以降のことではないとわ たしもおもっていたのですが、橋爪氏はユダヤ教の経典である旧約聖書のヨブ記を引用しています。このテーマは人間は神とコミュニケーションできないというこ とをいっていると理解したからです。多神教の神はお供え物をすれば何らかの御利益はきたいできますが、Godはそのようなことは期待できない。ヨブ記はユ ダヤ民族の記憶ですね。そこで交渉しない神のイメージができた。キリスト教もその上に構築されています。というわけで旧約聖書の中の神は「人間と交渉する 神」なのではなく、一方的に命令する神ではないですか?

無論、現在はキリスト教は死んでいます。メルケルと同じ大学で物理学を勉強したフランチャスカ嬢も一体私が英語と日本語チャンポンで何をはなしているか理 解できなかったのでしょう。ただにこにこ聞いてくれただけです。でも科学も民主主義も資本主義も共産主義もすべてキリスト教から派生したことはそのとおり なのではとおもいます。

と返信。ただ、交渉しない神にも例外があって、アブラハムは神から一人息子のイサクを犠牲にささげよと命令され、ちゅうちょなく従おうとした。これを多とした神は自分のひとり息子のイエスを犠牲にしたことから神はアブラハムに応えたともいえる。

小笠原さんから

「ヨブ記」は、読めば読むほどテーゼとアンチテーゼがないまぜになって混乱させられ ますね。我々としてはその???の連鎖をどこで切り上げて取り敢えず「理解した」ことにする かいう対応しか無いように思える程です。旧約の神が「交渉可能」な存在であるという典型的な例が創世記18章16節〜38節にあります。今では「不道徳」 の代名詞になっているソドムの街の話です。この話は、神との対話の大切さを強調するときによく引用されます。橋爪さんも本の中で「人間はGod との対話をやめてはいけないんです・・・」(p78)と言っています。

と返信。

私は

ソドムの街の話もアブラハムの話ですね。たしかにここではアブラハムと神がバナナのた たき売りのような対話をしているように見え、条件闘争しているように見えますが、交渉しているというより、神の原則を確認しているだけとも取れます。橋爪 氏がいう78pのGod との対話もやはり交渉じゃない。多神教のように、ご利益をほしいとはいわないわけです。人はただただ心のなかで神の意思を推量してるわけです。神はなにも こたえてはくれない。こ の自分で考えるという思考の癖、がサイエンスの始まりなのでしょう。これが西欧が世界をリードした秘訣。すくなくとも中国、日本、インドにそのような文化 は育たなかった。その伝統が権力を持った人間の意向ばかり気になる社会ができたのでしょう。これではその日暮らしで消耗するばかりで蓄積がありませんね。 ユダヤ教が権力に疑惑を持っていた伝統と宗教法を持たなかったがためにキリスト教文明圏で民主主義政治体制をそだてたということでしょう。

Rev. October 31, 2013


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