社内報No.199/1994.4号随想欄掲載原稿

潮風

グリーンウッド

「なぜ山に登るのか」との問に英国の登山家マロリーが「なぜなら、そこに山があるから・・・」と答え た話は有名である。ヨットの魅力も同じである。いつ変わるとも知れない自然への恐れが根底にあるのではないかと思う。我々のご先祖が経てきた自然との戦い において、自然を恐れつつも自然に敢然として戦いを挑むことに喜びを感ずるという性癖が我々の遺伝子のなかに刻み込まれているのではないかと思う。

「板子一枚下は地獄」との言葉の通り、海にでて時化とまで行かずとも寒冷前線の通過に遭遇しでもすれば、何を好ん で海にでてきたのかと思うが、何とか帰還し、数日も過ぎれば、何か咽の乾きを感ずるこの不条理はやはりただものではない。

船にて海へ乗り出し

その大海原に生計をたつるもの

彼らぞ底知れぬ世界に

神のみわざと奇跡とをみる

詩篇第107篇)

世の中には、レースに純粋な喜びを見いだす人、ただ仲間と一緒にいることに喜びを見いだす人、豪華なヨットを所有 し、それを人に見せることに喜びを見いだすスノビッシな人、少数派であるが、ヨットを自作することの方に喜 びを見いだす人など様々である。私はしかしヨットの楽しみ方は、自然との戦いとは言わぬまでも、自然との知恵くらべに極まるとの思いをいだいているもので ある。

鬼無里村とはゆかぬまでも、善光寺さま近郷の高田の庄の出身で小学校の修学旅行まで海も見たことがない私がヨット に興味をもったきっかけはなぜか思い出せないが、とにかく、会社に初めてのヨット同好会が結成され、第一号艇として発注したシーホースの進水式に立ち会っ たことは確かである。私の場合はレースに入れ込む時間的余裕もなく、仲間と付き合うエネルギーも不足し、無 論、豪華なヨットを所有できるほど金もなく、ヨットの喜びの一つである自然との知恵くらべに収斂していった。自ら判断を下し、自らその判決をいただくとい う立場に立たないとヨットは面白くないと感じ、弱輩のため、そのような立場になるには時間のかかるヨット同好会とは次第に疎遠になってしまった。

ヨット、特にクルーザーは元手と維持費がかかるため、個人では所有がむずかしい。仲間を募って共有する方式が一般である。田辺英蔵氏 によると、関東では遭難事故が多く、関西では少ないという。この差は関東は均等に資金を出し合うオーナーが多いのに対し、関西はシングル・オーナーにク ルーという編成が多いためとされている。イコール・パートナーの場合、行動を決する時どうしても合議制となり、生死を決する判断に厳しさが欠落する傾向が あるためとされている。英国海軍の艦長権限の強 さは生き残るための知恵からきていると理解できる。

skipper.jpg (10140 バイト)

ベガIII世号にて

このように勝手に考えて20フィートのクルーザー(ベガIII世号)を個人で購入し、数年間維持したが、仕事中心 の生活ではクルージングを楽しむ時間も限られ、時期早尚と処分してしまった。そのうち充分時間が使えるよ うになったら再開しようと思う。できれば地の果てまで出かけたいと夢をみている。世界ではじめてシングル・ハンドで世界一周をしたキャプテン・ジョシュ ア・スローカムのスプレー号 世界周航記を読み返すなど書斎での仮想クルージングをしつつ英気を養い、江ノ島セイリング・クラブ (Sailing Club Serial No.98) にM 氏所有のトッパーを預け、ときどきM氏と一緒に数時間のセーリングを楽しんで肉体的感覚の維持に努めている程度である。クルーザー・オーナーからクルーと してのご招待を受けるときには喜んで受けるが、決してオーナーの決定には口をさしはさまないことにしている。オーナーの動物的本能に身の安全を委ねるほう が得策と考えてのことである。

さて仕事で旅に出たときには週末など可能な時、土地のクラブに出向きセーリングをしたり、ハーバーのレストランを 楽しむことにしている。最近ではマスカット・オマンに出張のおり、アル・ブステン・パレスホテル前の入江でレーザーに初めてトライした。紫色 にかすむ草木一本もない禿山に囲まれた無人の浜に忽然と出現した超近 代的ホテルとその前庭のビロードのような芝生と一条の無垢の白浜の向こうに蒼い入江がある。観光客もほとんど居ない別天地である。船すら一叟もみえない。 「遭難してもだれも助けに来てくれないことを承知する」との契約書に署名し、念のためビーチ・ボーイを一人雇って海に出た。海側から観るホテルの景観はマ スカット・オマンのサルタンが国家の威信をかけて600億円で建設したといわれるだけあってなかなかの偉観である。しかしなによりその自然に圧倒される思 いであった。

たまたま仕事でニューポート・ビーチに出張中のことである。モービル社の某エンジニアリング・マネジャー氏と休日 にサンファン・キャピストラーノというかっての伝導所の遺跡を尋ねたあと、サンジエゴに向かい南下中のことである。突然大平洋に望む眺望のよい絶壁に出た。案内板によるとデーナー・ポイントという。カルフォルニアがまだスペイン王の統治下にあった時、ボストン から出港してホーン岬周りで現在のカルフォルニアに牛皮のトレードに来ていた帆船が沢山あった。

リチャード・ヘンリー・デーナーという若者がこのような船に水夫と して2年間乗り込んだ経験を後にハーバードを卒業し、弁護士になったときに「マストの前で二年間」という本にまとめて出版した。欧米では先のスローカム船長の単独航海記とともに海洋文学の傑作として知られている。かってこの本を読んだことを思いだして、思わぬ出会いに感激したことがあ る。デーナー・ポイントの下の海は今では贅沢なヨット・ハーバーに変わり、なかなか瀟洒なレストランもある。その内の一つ「Wind & Sea」というところで優雅なシーフードをくだんのエンジニアリング・マネジャー氏と楽しんだことは言うまでもない。

仕事でロンドンに一年間滞在していたとき、一週間休暇をとり、2ヘッド(トイレのこと)、6バース(ベッドのこと)のクルージング・ボートをチャーターして家族と共にテームズ河をオックスフォードまで遡上したことがある。日変わりで、車でやってくる隣人の家族ともども、目の前を過ぎ行く自然のままに維持されている緑ゆたかな川岸やロック、パブ、水辺の邸宅、城砦、水 車小屋、カヌーやボートなどの景色をながめつつ一日一日をゆったりと過ごすのである。このとき、手作りの美しい木製のセーリング・ボートを見つけた。

帰国後、キットを取り寄せ、ヨットを自作することの喜びも味わせてもらった。英国の著名なヨット・デザイナーのジャック・ホルト氏設計のミラー・クラス・ディンギーである。独特のステッチ・アンド・グルー工法で木肌の美しいボートが出来上がった。これは今でも我家のガレージに大切に保管してある。ガフ・リグの古典的なスループは艤装は面倒であるが、 江ノ島のハーバーに持ち込めばたちまち人だかりがすることだけは請け合える。

とかく船乗りのホラ話はとどまる所を知らないので、この辺にて切り上げるが、このホラ話がヨットのひそやかな楽しみの一つでもあることを告白しておこう。 ♪


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