鎌倉大仏

鎌倉の長谷にある大仏、阿弥陀如来を本尊とする浄土宗の寺院は高徳院という。第3代執権北条泰時(ほうじょうやすとき)の時代に、 源頼朝の侍女、稲田野局(いなだのつぼね)の発願で浄土宗の修行僧の沙門浄光(じょうこう)という僧が、日本各地をまわって寄付を集めてまず木像を造ったと言われているが、鎌倉幕府の残した公式記録には一切触れられていない。最近の研究では、吾妻鏡に記載ある1252年に第5代将軍藤原頼嗣(よりつぐ)と その父の頼経父子が関わっていたのだろうだろうという説が浮上している。第5代執権北条時頼がこれら父子を追放したので公式記録から抹殺されたのだろうという推論 である。材料の銅は不純物の銅の量から中国南部産をわかっている。当時の中国を支配したモンゴルは紙幣にこだわったため貨幣は外に出た。これを鋳つぶして 鋳造したと推定されている。

かまくらや みほとけなれど 釈迦牟尼は 美男におはす 夏木立かな   与謝野晶子

晶子は大仏は釈迦如来だと思ったのだが実は阿弥陀如来であった。梵名は、अमिताभ「アミターバ」(amitaabha)、あるいはअमितायुस्「アミターユス」 (amitaayus)といい、それを「阿弥陀」と音写した。西方にある極楽という仏国土を持つ大乗仏教の如来の一つである。東南アジアに伝わった小乗仏教は釈迦如来像だけだが、中国経由で日本に伝わった大乗仏教は諸尊諸神を併合して多様な仏像を持つに至った のである。

奈良の大仏は国産銅を使っているが鎌倉時代は銅資源が枯渇していたため1,150年ころから中国華南産の銭を輸入して鋳潰して大仏を鋳造したらしい。国産 銅には鉛が1%しか含まれないが、中国銭には10%の鉛が含まれている。鎌倉大仏の鉛含有量も10%だ。同じ頃日本で沢山作られた銅製の経筒の鉛の同位体 比を測定しても中国銭と同じと判明した。

世界遺産登録をめざしている国指定史跡の一つである。

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ミセス・ヴィーツと

仕事などで東京滞在中の外国人にとって手っ取り早い観光地は鎌倉であろう。七里ヶ浜に住みはじめて少したった1983年ころ、週末に顧客のヴィーツ氏夫妻を鎌倉散策の案内に連れ出した。鶴岡八幡宮銭洗弁 財天、長谷の大仏など観光定番コースを案内して七里ヶ浜の自宅に招待した。外国人には大仏がもっとも印象深いようだが、銭洗弁財天でお札を洗うと金持ちになるという信仰は米国人でも面白がった。

大 仏の裏に15世紀中頃、漢陽(今日のソウル)の朝鮮王宮内に建築されたと伝えられる建物で、1924年当時これを所持されていた山一證券の社長、杉野喜精 氏によって、東京目黒の私宅から移築・寄贈された観月堂がある。ここに徳川秀忠が所持していたという聖観音像が安置されている。このため鎌倉三十三観音第 23番札所でもある。2015/3/23に仲間とともにここを訪問。



観月堂

黒文字は世界遺産登録をめざしている国指定史跡

2002/4/3

Rev. February 6, 2016


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