六郷用水

2001年には登山のための筋肉トレーニングと称し、昼休みには蒲田にある会社の近辺を歩いていたが、六郷用水というものの遺跡に遭遇した。以下、インターネットで調査整理したものである。

六郷用水は、徳川家康の新田開発政策にそって六郷領(大田区)の開発を目的に代官小泉次大夫が慶長2年 (1597)に開さくを始め、 十余年を経て完成した用水堀である。「次大夫堀」とも呼ばれた。小泉次太夫が58歳から73歳までの晩年のことであったようだ。当時は、北多摩郡和泉村 (狛江市)で取水し、多摩川に平行して掘られ、世田谷領を貫流した。全長は23.3kmあった。堀の幅は、世田谷領では平均約4.5m程あったらしい。上 沼部、鵜の木に至り、 鵜の木(目蒲線鵜の木駅)で六郷羽田方面と池上・入新井方面に分れていた。主に六郷領(現大田区六郷付近)の35ヶ村を灌漑する目的だったが、この用水が 通る世田谷領14ヶ村も恩恵にあずかった。

大田区によって用意された説明板によれば、取水地点は今の狛江市の北の境近くにあったらしい。狛江市に岩戸川緑公 園、喜多見緑道があるが、かっての六郷用水の跡か。喜多見には次大夫堀公園が出来て掘の一部やかっての農家が保存されている。六郷用水は多摩川に流れ込む 野川や千川と交差している。かって玉川上水が水道橋を越えるために巨大な水樋をつかったと同じく、木製の樋を採用したのか、または現在の二ヶ領用水のようにサイホンの原理を採用したのだろうか。千川は水神橋付近でクロスしているが、いまでは丸子川(旧六郷用水)と名前を変えている。岡本公園と親水公園の南の縁にそって流れ、等々力では谷沢川と再びクロスしている。多摩川台公園で丸子川は暗渠に消えてしまう。

東急目蒲線の沼部駅を下車して多摩川の河岸段丘を少し上ると六郷用水が昔のままに保存されている。多摩川からの取水がなくなった後でも河岸段丘から涌き出る水があったため水もかれずに残ったものらしい。長さは約400メートルである。

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今も残る六郷用水

河岸段丘の斜面には樹齢数百年幹の直径1.25mのスタジイの巨木が 茂り、用水添いには桜の並木が最近植えられたようだ。涌き水の量はかなりあり、用水にある堰を水音をたてあふれて流れ、大きな鯉が泳いでいる。この六郷用 水は多摩川の土手の高さに近くあり、多摩川の水面から10メートルに近い高さを維持していたことがわかる。このように充分な高さを維持するために多摩川の 河岸段丘添いに用水を引いたのだろう。普段はここは人通りは少ないが、桜の時期は人でにぎわうとのこと。

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スタジイの巨木

沼部駅でまた暗渠に入るが玉堤通りになっているところが用水路の跡であろうか。今ではこの上を新幹線が直交している。目蒲線下丸子駅北側、光明寺東側に六郷羽田方面と池上・入新井方面への分岐点があったことが道路の形からわかる。

六郷羽田方面の分流の跡の玉堤通りもJR蒲田電車区の操車場の中に消えている。操車場の中にはかって蛸の手といわ れる分岐点があったようである。ここでは3本の分流となった。東海道線を渡った東側、JR蒲田駅南の環状8号線の南にある都立蒲田高校の前にかっての新宿 村、糀谷村への分流の一部が保存されている。もう水は流れていないが、大田区によって説明板が用意されている。近くに新宿稲荷神社があり、その前の通りは かっての用水路の跡である。呑川に添って流れ、北前掘緑地に連なっている。かってはここで江戸湾に流れでていたわけである。いまはその先の東京湾は埋めた てられて羽田空港になっている。

蛸の手から一番南の分流は六郷水門で多摩川に合流している。さて鵜の木で分流した池上・入新井方面への支流は池上線千鳥駅を貫流し、池上本門寺前を流れる呑川に添ってしばらく流れ、浄国橋で呑川とクロスしたようである。環7号道路とJR東海道と交差している入新井小学校北側の道路がかっての用水の跡のようである。かってこの分流が江戸湾に流れでていたところは埋めたてられて平和の森公園となっている。

小泉次大夫は多摩川の南側にも二ヶ領(稲毛領と川崎領)用水も完成させた。こちらも「次大夫堀」と言われる。 こちらは今でも現役である。二ヶ領上河原堰堤も近代化されている。

世田谷区で利用できた用水は、北沢川用水(1658)、烏山川用水(1659)、品川用水(1667)、三田用水(1724)であったと言われる。これらは玉川上水の水の使用許可を受けて分水された。

2001/5/14


15年後の2016/9/28にこの六郷用水を再び歩いた。多摩川の源流を求めて河口に近い川崎から歩く計画を立案中なのだが、北岸を歩くべきか南岸を歩くべきかを決めるためである。

横須賀線の新川崎駅下車。ここは多摩川の南岸である。ガス橋を渡って北岸に移動しようとくねくねとした鹿島田の町 を南武線平間駅に向かって歩く。昔の水田に家が建てられたという風情の道がくねくねと曲がるわかりにくい街だ。府中街道に出ようと右折すると二ヶ領用水に かかる朱印橋を渡る。なるほどこの水田は二ヶ領用水で灌漑されていたわけだ。

南武線を横断してガス橋に向かう。ガス橋は東京ガスが昭和4年にガスパイプのために建設したものだそうだ。ついでに歩道もつけたという。昭和36年に架け替えたとある。

この橋の袂にある歩道橋からは多摩川の雄大な流れを一望に出来る。ガス橋を渡る。

ガス橋の中央から川下を望む

北岸の交番ちかくで正午になったためここで持参のおにぎりの昼食とする。

北岸を東急多摩川線沼部駅に向かって歩く。途中、昭和14年からあった三菱重工の丸子工場が昭和46から三菱自動車トラック工場になり、平成13年に巨大な住宅地になったという記念碑があった。それぞれの時代の産業の栄枯盛衰が見える。

沼部駅手前で土手を降り、かって訪問した六郷用水に向かう。六郷用水に沿って東横線多摩川駅に向かって歩く。多摩川事前調査は多摩川駅で終了。

結論としてスタート地点はJR川崎駅を考えていたが、京急六郷土手駅から北岸を歩くのがよさそうだ。

September 29, 2016


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