三浦半島一周 No.9

八景島駅からみなとみらい線元町駅ま で

三浦半島一周第8ステージに引 き続き、第9ステージは2016年6月20日(月)。

集合場所:京急金沢八景駅 集合時間は9:30

参加者:榎本、秦、和田、加畑、安井、青木の6名。会食には田中、西沢が参加。

本日の予定コースは京急金沢八景駅⇒(金沢シーサイドライン)⇒八景島駅→金沢緑地→並木中央駅→富岡八幡公園→富岡総合公園→国道16号 →新杉田駅⇒(JR根岸線)⇒根岸駅→根岸台→ 山手本通り→中華街→関帝廟

根岸駅までのルートは下図の通りで全長11km。スタートが遅れたので富岡八幡公園をパスして金沢緑地を鳥浜駅まで歩 き、そこから金沢シーサイドラインにのり、富岡総合公園もパスした。昼食は新杉田駅構内のサンドイッチ店でとる。結局、新杉田駅から根岸駅まで根岸線でキ セルしたため、歩いた距離は4.3kmであった。

JR山手線の事故で全線がとまり、東京組は30分遅れでやってくる。待っている間、かっての金沢八景の重要構成要素だった瀬戸神社、琵琶島、瀬戸橋を訪問。瀬戸神社は平潟湾に突き出た岬の上にある。



瀬戸神社


琵琶島は瀬戸神社の正面の平潟湾のなかにある。下の写真は金沢シーサイドラインの八景駅から撮影したもので、手前は琵琶島、左手画面外に瀬戸神社、対岸の瀬戸橋を囲むビルの向こうに称名寺のある丘が見える。瀬戸橋の向こうに内川入江が広がっていたのがわかる。



瀬戸橋と琵琶島

瀬戸橋が平潟湾と内川入江(現在の泥亀)のくびれの上にかかっていたことは金沢八景の江戸時代地図が参考になる。



金沢八景の江戸時代地図 南北逆


金沢緑地:埋め立て地の工業地帯と住宅地を隔離する人工緑地

富岡八幡公園:1190年〜1199年源頼朝が摂津国難波の蛭子神(恵比寿神。西宮神社の末社のものと言われる。)を勧請して創建、1227年〜1229 年に八幡神が合祀された。八幡宮の山が応長の大津波から富岡地区を守ったことから「波除八幡」の別名を持つ。なお、東京深川の富岡八幡宮は分社である。

富岡総合公園:旧日本軍の横浜海軍航空隊の基地として開設され、それと同時に日本航空の南洋航路の基地にもなった。太平洋戦争(大東亜戦争)終戦と共に米 軍に接収され富岡倉庫地区と呼ばれていたが、その後返還され、公園として整備した。

根岸駅から関帝廟までは加畑氏が先導。根岸台地から仲尾台経由山手台地に至る7kmのコース。新杉田駅までの距離と合わせ11.3kmを歩いたことになる。



根岸駅を下車して根岸八幡から階段を登って根岸台の不動坂上にでる。米軍消防署前を通り、根岸森林公園にある馬の博物館に向かう。ただし月曜日は公休日であった。

根岸森林公園はかっての横浜競馬場(根岸競馬場)の馬場内エリアを公園にしたものである。普通の競馬場とちがって平坦ではなく、なだらかな傾斜地にある。



根岸森林公園


芝生でしばらく昼寝し、米軍接収地域内最高地点にあり、廃墟となって蔦に埋もれている旧一等馬見所まで登る。ここからは富士山が見えるという。



旧一等馬見所


横浜と根岸結ぶ道路を山に手向かってあるき、本日の案内人の加畑邸で小休止。加畑夫人は毎日、根岸森林公園に散歩にでかけるという。加畑氏は現役時代は山越えで根岸線の山手駅にでて通勤したという。

山手に向かって歩いていると、昔、路面電車がはしっていたという横浜駅根岸道路の上にかかる打越橋がみえた。この橋は山手から増徳院に向かう尾根道に懸けられた橋である。



打越橋

坂を登り横浜共立女子学園、地蔵坂、山手イタリヤ山庭園と歩き、坂上から横浜の市街地を俯瞰する。




イタリア山庭園 2006年5月25日撮影

大丸谷坂を下らず、山手の尾根道に戻り、カトリック山手教会と歩く。



カトリック山手教会


カトリック山手教会の裏手に回ると山手公園がある。



山手公園

山手公園の奥に日本でもっとも古いテニスコートである横浜インターナショナルテニスコートがあった。クレイである。尾根道に戻ってフェリス女学院、汐汲坂、代官坂上、エリスマン邸と歩きここで小休止。



エリスマン邸 
2006年5月25日撮影

続いて貝殻坂、外人墓地で入り口の門柱にあるトーマス・グレイのElegy written in a Country Churchyardの34-36行 目を確認。

美人の栄華  富豪の驕奢
熟づれか無常の風に逢はさらん

栄光の路 向ふ所は墳墓のみ

港の見える丘公園のイギリス館、フランス山と歩く。



地蔵坂


汐汲坂


代官坂


貝殻坂

17:30中華街の関帝廟に到着、記念撮影。



関帝廟


「善隣門」または加賀町警察署前の「四五六菜館別館」(045-641-4569)で17:30より打ち上げ夕食会。

横浜村の増徳院: ペリー艦隊のミシシッピー号の乗組員ロバート・ウィリアムズという24歳の二等水兵が墜死したときヘンデルのオラトリオ「サウル」の葬送行進曲が演奏され た。これが外人墓地の始まり。増徳院は火災で焼失後は米軍根岸住宅近くに移転。

January 17, 2016

Rev. June 23, 2016


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