メモ

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1491

日本人が日本の地で初めて聞いた西洋音楽
2015/11/20

NHKの音楽番組「ラララ・クラシック」でどこかの音楽大の研究者の説を採用して

@日本人が日本の地で西洋音楽を聞いた初めての瞬間というものがあった。

1853年7月8日、アメリカ海軍のペリー提督が東インド艦隊を率いて横須賀の浦賀に到着(黒船来航)。同年7月14日、アメリカ大統領フィルモアからの 親書を江戸幕府の代表らに手渡すため、久里浜に海兵隊とともに上陸した。その際、軍楽隊40人が上陸してフォスターの行進曲Yankee doodle doo (アルプス一万尺)を演奏した。これが日本人が日本の地で西洋音楽を聞いた初めての瞬間。

Yankee Doodle went to town,
a-riding on a pony;
Stuck a feather in his cap
and called it macaroni.

これがなぜか

アルプス一万尺 小槍の上で アルペン踊りを さぁ 踊りましょ
昨日見た夢 でっかいちいさい夢だよ のみがリュックしょって 富士登山
岩魚釣る子に 山路を聞けば 雲のかなたを 竿で指す
お花畑で 昼寝をすれば 蝶々が飛んできて キスをする
雪渓光るよ 雷鳥いずこに エーデルヴァイス そこかしこ
一万尺に テントを張れば 星のランプに 手が届く
キャンプサイトに カッコウ鳴いて 霧の中から 朝が来る
染めてやりたや あの娘の袖を お花畑の 花模様
蝶々でさえも 二匹でいるのに なぜに僕だけ 一人ぽち
トントン拍子に 話が進み キスする時に 目が覚めた
山のこだまは 帰ってくるけど 僕のラブレター 返ってこない
キャンプファイヤーで センチになって 可愛いあのこの 夢を見る
お花畑で 昼寝をすれば 可愛いあのこの 夢を見る
夢で見るよじャ ほれよが浅い ほんとに好きなら 眠られぬ
雲より高い この頂で お山の大将 俺一人
チンネの頭に ザイルをかけて パイプ吹かせば 胸が湧く
剣のテラスに ハンマー振れば ハーケン歌うよ 青空に
山は荒れても 心の中は いつも天国 夢がある
槍や穂高は かくれて見えぬ 見えぬあたりが 槍穂高
命捧げて 恋するものに 何故に冷たい 岩の肌
ザイル担いで 穂高の山へ 明日は男の 度胸試し
穂高のルンゼに ザイルを捌いて ヨーデル唄えば 雲が湧く
西穂に登れば 奥穂が招く まねくその手が ジャンダルム
槍はムコ殿 穂高はヨメご 中でリンキの 焼が岳
槍と穂高を 番兵において お花畑で 花を摘む
槍と穂高を 番兵に立てて 鹿島めがけて キジを撃つ
槍の頭で 小キジを撃てば 高瀬と梓と 泣き別れ
名残つきない 大正池 またも見返す 穂高岳
まめで逢いましょ また来年も 山で桜の 咲く頃に

「キジを撃つ」「花を摘む」は登山仲間における隠語で、それぞれ野糞をすること、女性が用を足すことである。 また「小キジを撃つ」は小用を足すことであり、槍ヶ岳の尾根が高瀬川・梓川の分水嶺であることを歌っている。

A2番目に聞いたのが横浜村の増徳院前で演奏されたヘンデルのオラトリオ「サウル」の葬送行進曲

横浜では艦隊の中の一隻ミシシッピー号の乗組員ロバート・ウィリアムズという24歳の二等水兵が墜死し、この水兵の埋葬地として幕府は横浜村の増徳院(現 在の元町一丁目から入った所にあったが大震災で全焼したのち、南区に移転)の境内の一部を提供した。これが外人墓地の始まり。日米和親条約によって伊豆下 田の玉泉寺に米国 人用墓地が作られることになり、ウィリアムズの遺体はこの3ヶ月後にここに移された。 現在、玉泉寺にはペリー艦隊の日本遠征中に死亡した水兵らアメリカ人5名、ロシア人3名が埋葬されている。

その葬式にヘンデルのオラトリオ「サウル」の葬送行進曲を演奏した。横笛とスネア付きドラム各1名。この葬送行進曲はワシントン、リンカーン、チャーチル の葬儀にも使われた。



このメモを読んだ友人の永田氏から「日本人が初めて聞いた西洋音楽」は実は織田信長、豊臣秀吉の時代、ヨーロッパ音楽史では「ルネサンス音楽の時代」と呼 ばれており、宣教師たちが音楽を携えて列島に来ています。添付した論文によるとルイス・フロイスの「日欧文化比較」にその旨が書かれているようですと書い てきた。

添付されていた「ルイス ・フ ロイスの記述にお け る中世日本の音楽観」という論文をななめ読みしてみた。

ルイ ス ・フ ロ イ スが日本音楽をどう感じたかは書いてある。しかし日本人のまえで西洋音楽を演奏したとは書いてない。ただ 「日本人に とっては ,われわれ のすべ ての楽器は ,不愉決と嫌悪を生 じる」 と書いているので、誰かが演奏はしたのだろう。

さらに現在の演奏スタ イルでは宗教的多声音楽は無伴奏のア カペ ラで演奏され ることが多い。ルネサ ン ス 期の宗教的多声音楽は楽譜でも声楽パート しか記譜されていない場合がほとんどである。当時の日本で ミサ等で演奏される 「キリシタン音楽」 もこういっ た宗教的多声音楽や 単旋律のグレゴリオ聖歌であっ たと思われる。 フロイスの記述から「クラヴォ,ヴィオラ,フル ート,オルガン .ドイセン」によって声楽パー トを補助 していたと考えられという。

Rev. December 9, 2015


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