妙法華経山安国論寺は日蓮が安房より鎌倉にきてここの岩屋で20年を過ごし、立正安国論を書いたところとされていれている。 後の蒙古来週も予言していたとされ、仏教界の情報網が通じていたことを思わせる。
立正安国論は宿屋左衛門尉光則を通じて三浦一族を滅ぼした5代執権北条時頼に建白したため 、焼き討ちの法難となったとされている。
グリーンウッド夫妻が2007年4月14日名越切通にでかけたついでにここを訪れたときはちょうど茶会を催していた。グリーンウッド氏にとってはここははじめて訪れたことになる。
茶会
紫色のルート
April 15, 2007
Rev. February 12, 2008