光則寺

鎌倉に越してき て25年になるが2007年12月26日はじめて光則寺を訪れる。由比若宮から和田塚経由、歩いてやってきた。長谷寺への入口の一つ北側にこの寺に通じる 路地が口を開いている。光則寺は緩やかな坂を登った奥に山懐に抱かれた閑静なところにたっている。花の寺とか、感じのよいところだ。

光則寺は日蓮宗の寺である。日蓮上人の著した「立正安国論」は1260年に第5代執権北 条時頼の重臣・宿屋左衛門尉光則の父・行時から、時頼に建白された。日蓮上人が佐渡へ流された時、高弟・日朗が捕らえられて光則の邸内の土牢に監禁され た。光則は日蓮上人が自らの不運を嘆くことなく、弟子の身の上を案じる心に打たれ、次第に日蓮宗に心を寄せる様になり、日蓮上人放免後は、邸を寺として日 朗を開山と仰ぎ1274年に創建された。現在の本堂は1650年に建てられた。

光則寺本堂

夏目漱石は大学予備門時代からの友人、中村是公の別荘に遊んでいる。この別荘は光則寺の入口の右手の高いところにあった。東南が開けて、東の正面に材木座と山を見ると日記に書いている。

2015年3月23日、桜が咲き始めるころ、仲間4名で再訪。日蓮が佐渡に流された時、同時にとらえられた高弟日朗(にちろう)上人が幽閉されたという土牢まで登る。光則寺本堂ははるか下に見える。



土牢前にて

ここの住職は長野高校の5年先輩だと、才口氏から聞いた。

鎌倉地図

December 26, 2007

Rev. March 27, 2015


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