永福寺跡(ようふくじあと)

奥州より凱旋した頼朝が中尊寺大長寿院の二階大堂に擬(も)して鎌倉の二階堂の地に永福寺(ようふくじ)を建立した。奥州平定の戦没者の霊を供養するためであった。そしてその庭は頼朝が目撃して感服した平泉の毛越寺の浄土庭園をコピーしたものだろうという。

平泉の毛越寺の浄土庭園

永福寺は当初二階堂と呼ばれていたため、地名の二階堂に残ったという。現在の中尊寺には大長寿院の二階大堂は無論残っていない。

瑞泉寺に 向かう時よく永福寺跡史跡の前を 通ったが2007年4月12日にはじめて遺跡を一周した。2007年12月、ここを再訪したとき、すでに二階堂、阿弥陀堂、薬師堂の三堂基壇の復原と苑池 の掘削工事は始まっていた。発掘調査で三堂に加え、三重の塔、宝塔なども西方の山にそってあり、ひょうたん形の苑池がその前にあり 、吾妻鏡の記述と一致していることが確認されている。2013年に史跡公園として公開予定という。

永福寺跡 2008年春撮影

2012年完成した基壇 2013/9/27撮影

2015/1/19 2順目の鎌倉33巡礼の途上、立ち寄る。建物の基壇の発掘・復元が終わったため前の池の発掘中であった。近くに湘南工科大学が制作した復元CG図が展示されていた。

復元CG図

永福寺跡は世界遺産登録をめざしている国指定史跡の一つである。

黒文字は世界遺産登録をめざしている国指定史跡

April 13, 2007

Rev. January 19, 2015


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