奥丹沢

冬の大室山・加入道山

おとそ気分もぬけない2007年1月7日、wakwak山歩会は西丹沢最奥、大室山(1,588m)・加入道山(1,418m)で冬山を楽しもうとでかけた。前回の2003年5月23日とは逆の犬越路から登り、加入道山から下るプランであった。

箒沢荘で前泊するならばと権現山(1,138m)でトレーニングと早めにでかけた。しかし西丹沢自然教室の指導員は権現山は丹沢でも最も危険な山で毎年1人は救急車の世話になっているという。それな ら畦ヶ丸山の途中まででも登ってみようと西沢に入った。

ルートは緑色

西沢は昨夜の雨で増水している。登山道は河原につけられており、川をジグザグに何度も丸木橋で渡る。一辺1m角の金網の箱に20センチ位の石を詰めて作った箱を流れの両端に設置し、その上に6本の丸太を渡し、横木で束にした橋である。雪は降ってないが、気温が零度近く、夜間凍結した横木が滑る。当然用心して横木に足を乗せないように渡ったが、4つ目の橋が終わるところで横木の向こうに石を詰めた金網の箱が見えない。やむを得ず横木に足を乗せた途端に横に滑った。そこで仰向けに倒れるのも危険と1m下の河原に飛び降りた。手をついたが思ったより頭が重く 、したたかに河原の石に顔面をぶつけた。鼻血は出るし、帽子をとれば多量の血が額から滴り落る。ただ昨冬のような脳震盪は起していない。鼻 は皮膚がむけ、めがねのフレームが捻じ曲がっている。厚い防寒帽をかぶっていたにもかかわらず額に3センチ程の裂傷を負ってしまった。

マーに手ぬぐいで額の止血をしてもらい、30分静かにして脳に異常が出るか様子をみた。鼻時も止まったのでリュックなどを仲間に持ってもらって、クダンの橋を這って戻る。 歩けそうなので、水など重いものはクリサンに持ってもらい、リュックは自分で担いで西丹沢自然教室までもどった。指導員は「あいにく連休なので、殆どの病院は救急患者をうけつけない。119番で受け入れてくれる病院を教えてもらえ」とアドバイスしてくれた。足柄上病院 が受け入れてくれることになった。

手鏡とティッシューをもらって顔をぬぐったが顔面全て血ノリで埋め尽くされ壮絶な風情だ。

タクシーを呼んで松田にある足柄上病院にゆく。外科医がメスをいれて処置したのち、縫合してくれた。5針縫ったという。一人でJRで自宅まで帰ると言うと用心のためとX線、CTスキャンで内出血などの異常がないことを確認してくれた。CTスキャンの影像には傷口から頭皮と頭骨の間に入った空気層が映っていた。医者が縫合した部分を指で何度も押し付けた理由がわかった。 頭骨は意外にぶ厚い。そのご24時間経過しても異常はないので後遺症の心配はないだろう。あとは1-2ヶ月慢性硬膜下血腫になるか用心することだけだ。 抜糸など術後の治療は近くの病院で処置できるように紹介状を書いてもらった。

無事帰還した姿

厚い皮製の防寒帽をかぶっていたため命拾いしたと思う。

wakwakのメンバーはこの事件を肴に痛飲して次の日にはちゃんと登ったとのこと。大室山は頂上に近づくにつれ雪が多くなって 意外に時間がかかったという。ただ決して平安であったわけではなく、コンちゃんは

「 加入道山からの下りのカーブでバランスをくずして転倒、谷側へ大きく吹っ飛んだ瞬間は「まずい!これはかなりの事故だ!」と覚悟しました。ところが、一本の若木が小生の下半身をがっちりブロックしてくれ、谷への滑落をギリギリのところでとめてくれました。じつにラッキー。

その一時間後、白石沢沿いの林道をダラダラ歩いていたら、どうしたわけかまたも転倒。あと1メートル川寄りで転んでいたら間違いなく50m下の沢に転落というところでした」

と書いてきた。冬山はあなどってはいけない。

翌日は皮下出血の血が流れ下って瞼の廻りが紫色に腫れた。1週間で抜糸したほうが跡が残らないという。ただ傷口を再度開かないないように注意が必要とのことだ。

曲がってしまったチタンフレームは折れずに元の形にほぼ修正できた。

January 9, 2007

Rev. October 17, 2007


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