わが車こと始め

赤坂の目抜き通りにあるエンジニアリング企業で働きはじめて4年目の1965年、赤坂の運転教習所でTBSのタレント達 に混じって運転免許を取得した。不思議なものですぐ車が欲しくなる。初任給18,750円の若造が持てる車は日野ルノーの中古車であった。ポルシェ博士の 設計とはいえ、すでに耐用年数を過ぎた車で故障が多かった。ただ当時の車は構造が簡単なため、対処も簡単にできた。以下いくつか思い出せるトラブルと対処 をご紹介しよう。

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日野ルノー

(1)環状7号線と中原街道の交差点の真ん中で突然エンストして動けなくなる。親切な紳士に押してもらい交差点を出る。 原因はバッテリーが上がってしまったため。新しいバッテリーに交換してもすぐバッテリーが上がる。バッテリー屋に調べてもろうと過充電保護回路の設定不良 だと判明、設定点を調整して再発はなくなった。当時のバッテリーは6ボルトの大型なものだった。

(2)夜中原街道を運転中突然ブラックアウトし、エンジンも停止する。これはバッテリーの端子がはずれたためと判明。

(3)横浜を走行中突然エンジンルームで異音発生。ファンベルトが切れたためと判明。

(4)エンジンキーが傷物であったが、厚木で力を入れてエンジンキーを回したら根元で折れてしまってエンジン始動不能になる。直結で始動し、帰着。

(5)燃料ポンプのシール不良でよく空気を吸い込み、燃料を送り込めなくなった。その都度、ポンプを分解して空気を抜い て走っていたが、ついに中津川渓谷で力みすぎてポンプのボルトをねじ切ってしまい万事休す。次ぎの日、会社を休み、部品屋で新品のポンプを買って中津川渓 谷にとってかえし、無事車を回収。新品のポンプが900円。交通費がこの何倍もした。それならと予備のポンプまで買ったが、ついに出番はなかった。

(6)エンジンのカムシャフトの隙間が磨耗で大きくなっていた。市街地走行は問題ないが、登坂時にエンジン回転数が上が ると油圧も上がり、漏れ出る潤滑油量がカムシャフト室のダウンカマーパイプの能力を越えてクランク室に戻れない余分の潤滑油がエンジントップからあふれ出 てしまう持病があった。自動車屋は直せないというのでそのまま使っていたが、富士山登山になると、さすが、ドンドン潤滑油が無くなり。潤滑油を継ぎ足しな がらの走行となった。ツーリング仲間が持っていたタコ糸をその隙間に詰めたら漏洩が見事に止まり、その後、1年間は問題なく使えた。結局そのまま転売。そ の後の経過は不明。

1967年に2代目として中古のスバル360に替えた。ルノーは重い車であったが、スバル360は超軽量。乗り込むと車 体が沈み込む感じであった。トラブルは皆無。新婚家庭の足としてフルに活用させてもらった。会社の後輩に転売したが、車検業者が事故で壊してしまったとい う。

山中湖のスバル360


伊豆スカイラインのスバル360

3代目は中古のコロナハードトップ。これもトラブルは皆無。長期間愛用した。つつじヶ丘から七里ヶ浜に引っ越して潮風で屋根に穴が空き、廃車。 ゴールドメタリックのレザートップであった。

コロナハードトップ

4、5代目は名前も覚えていないトヨタの中古車で全て潮風で車体に穴があくまで使用して廃車とした。以後、鎌倉では週末 は渋滞で車が使えず、腐食テストを継続する意味なしと判断し、10年以上車なしの生活をする。車無しの生活をおくっているころ、娘がオースチン・ミニを 買った。これを借りて、伊豆のドライブをしたが、エンジンオーバーヒートには悩まされた。オースチン・ミニを潮風で腐食させることに耐え難く、ガレージを 造る。

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オースチン・ミニ

結局、現役時代の5台の車は全て中古車で、その取得費用は100万円を越えなかった。

引退間際の1998年になってはじめて週日なら車も使えるだろうと、クライスラーのジープ、ラングラーを新車で買う。

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May 1, 2003

Rev. June 8, 2015


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