妙高高原スキー場

妙高高原は中学生の頃、一家でワラビ採りにでかけたり、中学校時代の登山で訪れただけで、スキーはしたことがない。最近では家族と一度、バイクで何度か訪れている。

今回はバイク仲間の徳山夫妻と坂間夫妻と一緒にスキーを楽しむために4Sクラブの野沢温泉スキー例会の後、立ち寄った。宿と案内は同じバイク仲間の荻野夫妻だ。氏が育て上げた宿に泊まる。(Hotel Serial No.255)

第一日目(2009/1/23)

長野からジープで30分で着く。東京を朝4:00出発した徳山夫妻と松本を出発した坂間夫妻は全員9:00までに到着した。

荻野氏によれば妙高高原スキー場は4つの異なるリフト会社によって分断されていて別々に切符を買わなければならない。荻野氏は統一券を作るように説得しているというが、互いに反目していてなかなか1本化出来ないらしい。

荻野氏はまず我々を妙高杉ノ原スキー場に連れて行ってくれた。プリンス系が作ったスキー場だ。ゴンドラと高速リフトを乗り継いで海抜1,855m地点まで一気に上る。ゴンドラの下駅は雲海の下だ。

妙高杉ノ原スキー場最高地点で下界の雲海を背に

妙高杉ノ原スキー場は妙高の外輪山の赤倉山から南東方向に伸びる尾根の一つにつけられていてその最高地点からは黒姫山が眼前に見える。その右手には高妻山(2,363m) が迫力をもって控えている。飯綱山は黒姫にさえぎられて見えない。高妻山と乙妻山の右手遠方には北アルプスの杓子岳、白馬岳から雪倉岳にかけて遠望できた。

高妻山と乙妻山

午前中は三田原高速リフトを何回か登って幅の広いコースを下った。全長3kmを前日の雨で重くなった雪の中をノンストップで下ることは出来なかった。野沢と比べてなんと難しいことかと思い知った。 飛ばし屋の徳山・坂間にはついてゆけない。

車で妙高高原駅まで下り、地元の人だけが利用するという、蕎麦屋でもり蕎麦をいただく。これがすこぶる美味であった。

午後2時まで午睡をとって、午後は池の平スキー場で2時間ほど楽しむ。このスキー場のリフトはバブル崩壊後、景気振興策に熱心な政府系金融機関にそそのかされて1,622mのクワッド15億円という 過剰投資をしてしまった。しかし政府系金融機関が全国的にリフトに融資したため設備過剰となり、スキー客の取り合いとなって倒産した。荻野氏は連帯保証人になっていたため、保証金は全部没収された。施設はその後1.5億円で払い下げてもらって氏の弟が経営しているという。 荻野氏から圧雪機をピステと呼ぶと教えてもらった。娘がイタリアのヴァルキアヴェンナスキー場でオフ ピステに挑戦したと聞いて、ゲレンデでないところろと理解していたが、圧雪機で固めてないコースという意味だと分かる。

ここからは野尻湖を遠望する。斑尾山が噴火で作った湖と聞いていたが、ここからみるとまさにそう見える。

野尻湖

風呂に入って、宴会は荻野氏差し入れの越後のめ銘酒「越乃寒梅」で皆したたか酔った。

第二日目(2009/1/24)

夜のうちに新雪が降って15cm程積もった。今日は赤倉観光リゾートスキー場である。池の平から赤倉温泉にあるホテル秀山前の荻野家まで車で移動。赤倉観光リゾートスキー場は赤倉温泉スキー場から分かれたのだという。 老舗の赤倉観光ホテルは大倉喜七郎が1937年に建設したものだ。(Hotel Serial No.450)大倉喜七郎は帝国ホテル、上高地帝国ホテル、川奈ホテルを作った人物だ。設計士の高橋貞太郎をスイスに学ばせている。戦後1965年焼失したがほぼ同じ設計で再建された。経営権は外資→国内資本と転々としている。

上部は新雪の下はアイスバーンであったが、下部は程よい雪で快適に楽しめた。2.3kmノンストップで滑れるところまで慣れた。早めに上がって荻野家でくつろぐ。

赤倉観光ホテル

午後4:00にはお暇してジープで鎌倉の自宅に帰る。

January 25, 2009

February 7, 2009


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