石原隊ツーリング記録

2016-2017

2016年10月23-24

2年ぶりに石原隊が伊香保温泉の「如心の里 ひびき野」(Hotel Seril No.545)に集結した。

参加者は石原夫妻、荻野夫妻、中本、阪間、斎藤、押川、青木、谷田、天田の11名。

2年の間にメンバーの身辺にも激動の波が押し寄せていた。4名が高齢を理由にバイクを手離した。従って集まったバイクは3台のみ。赤倉のホテルは閉鎖、マルイア・スプリングスは売却したそう だ。オーストラリア資本が赤倉のホテルを買収しているが、彼らはスキー客が目的で日本人向けの各部屋、露天風呂付の温泉では勝負できなかったようだ。バラ 園方式の霊園ビジネスは成功して次世代に経営を引き継ぎ、創業者は目下中国向け、コンサルティングを隠居仕事として始めたそうだ。



全員集合


中本氏

行きは茅ヶ崎ICより高速に入れば圏央道経由で伊香保ICまで2時間で到着。昔日の感あり。帰りは首都高速経由にしたため渋滞で40分余計にかかった。

2017年10月18-19日

中本氏 が幹事となり、1年ぶりの集まりが群馬県の川場村のホテル田園プラザ(旧ホテルSL)で開催された。この会のメンバーは自営業のオーナーのため、レベルの 高い宿所を選ぶのが恒例だったが、今回は7000円レベルの格安ホテルを選んだそうだ。なぜ安いかというと川場村の施設の為の様である。かって竹下内閣が 思い付きでばらまいた1億円の村おこし予算でD51を払い下げてもらって設置し、圧縮空気でD51を動かす趣向が売りであったが、それをメンテナンスし、 動かせる人が亡くなってから、動いておらず、メンテもされていない。雨水をさけるビニル・シートをかぶって無残な姿をさらしている。村は雨よけの屋根の予 算をたてているところだという。

川場村は沼田市と武尊山との間に横たわる谷間の村である。豊かで桃源郷のようなところだった。沼田市の入り口には真田一族が築いた沼田城跡があるが、雨のため立ち寄らなかった。

全員4輪車で参加。

D51の前で

さて仲間の一人の押川氏の車で茅ヶ崎を出発し、圏央道経由で群馬県に向かった。昼食を関越の最初の高坂SAでとった時の逸話を紹介する。

レストラン周辺は駐車スペースが全て一杯のため、矢印に従い、反時計廻りに移動し、出口近くのトイレ前の空いた駐車スペースに駐車した。それから大きな駐 車場を歩いて横断し、レストラン前のポーチの空いたテーブルに向かった。途中、1台の白い車がトイレ前のポーチに接岸するように停まっているのを目撃し た。押川氏は「あの駐車違反を注意したら付きまとわれて、死ぬ羽目になるね」などと話しながら持参したサンドイッチを食べていると、急に6-7台の黒塗り の車の一団が時計回りに(矢印と反対に)一列縦隊でやってきてわれわれが昼食を摂っているポーチに横付けし、止まった車から黒色の背広で決めた着た大勢の 男たちが降りてきた。そのうちの一部が早足でレストランに消えた。そのあとにカメラを持った男が数名でてきたが、いでたちは普通のマスコミのカメラマンと 雰囲気が違うし、なにも撮影していない。外に残った一団の男たちは体格がよく、目つきがするどく、皆怪しげなバッチをしている。すわ!これはどこかの暴力 団ではないのかと思い、暴力団同士の抗争に巻き込まれたくないなという気持ちを一瞬もった。

更に用心深く観察していると黒塗りのバンから黒の背広の男たちが工事現場で交通規制する赤色のプラスチック製のコーンを20個程とコーンの先端を結ぶ黄色 と黒のマダラ模様のバーを同数持ちだし、トイレのポーチに向かって一列にならべはじめた。ハテ!何に使うのかと疑問がわく。

押川氏がカメラマンのバッチに自民党広報部という文字があるのをみつけて、これは暴力団ではなく、自民党の大物の選挙運動だろうといいだした。それなら命の 心配はなくなったとほっとする。では大物は誰だろうと興味が移った。黒塗りの車列の先頭の車は黒塗りのスポーツカーだが、アンテナが屋根から6本もでてい て、逆走をリードするときは赤色灯を点滅していた。ただサイレンは鳴らしていない。そういえば暴力団といえども道路交通法で赤色灯を点滅することは禁じら れているから、これはSPの車に違いないと分かった。ならば大物に違いないと、レストランに入り、近くにいたSPらしき男に聞くと安倍首相とのこと。

安倍氏が乗ってきた黒塗りのプレジデントは空いている駐車場で待機しているのも確認された。それでも赤色のプラスチック製のコーンを20個程とコーンの先端を 結ぶ黄色と黒のマダラ模様のバーの目的が分からない。トイレに立ち寄るためのルート確保かとも思ったのだが、それにしても長さが不足する。やがて安倍首相 がでてきてこの意味が分かった。彼は女性ファンを連れてきていたのか、まず彼女たちと握手し、並んで写真を撮り始めた。阿呆面してプラスチック製のコーン 際に立っていると手を差し出されそうなので、一歩後退して観察を続けた。どこかの小母さんが急に首相に満面の笑みと共に握手を求められて、一瞬逡巡してか らしぶしぶ握手していたのを目撃し、しまった動画を撮影して置けばTV朝日に売れたかもという思いがチラッと頭をかすめた。

例の黒色のプレジデントは首相の動きに合わせてゆっくりとポーチ際を並走している。こんどは矢印の方向だから、先導するSP車は赤色灯を点滅していない。 私がポーチを離れ、駐車場側に移動すると、黒背広をきた目つきの悪い男が「そちらは危険ですから戻ってください」という。ところが私も用心して車の走行禁 止帯のゼブラゾ−ン上に立っているから、それ以上文句もいえない。もっていたスマホを見せるとわたしへの興味は失ったようだ。

帰って押川氏が道路交通法施行令14条を調べて書き条項を送ってくれた。

道路運送車両の保安基準の細目を定める告示 第231条 道路交通法施行令13条1項に規定する緊急自動車は、緊急の用務のため運転するときは、原則として、道路運送車両法第3章及びこれに基づく命令の規定等に より設けられるサイレンを鳴らし、かつ、赤色の警光灯をつけなければならない

とされている。

とするとくだんのSP車は矢印マークの反対方向にサイレンを鳴らさずに走行したので法律違反していることになる。

安倍首相とその取り巻き(SPも含め)はどういう集団かこれで明らか。

彼らは大量の弁当箱を車に積み込むのをみた。とりまきは車中で昼食を摂るのだろう。

帰路、第三京浜の横浜港北JCTと首都高速を結ぶ首都高速神奈川7号横浜北線を使って生麦JCTまではじめて走行した。かなり長大な地下トンネルであった。この路線は将来東名も¥とも結ぶ環状線にしないと中途半端になりそう。多分、そういう計画があるのだろう。

私は新子安からJRで帰宅。

石原隊ツーリング記録

October 24, 2016

Rev. October 20, 2017


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